「人々はあなたを無信仰背神と名づけ、
あなたを悪人たちに教える。
そしてキリスト教徒は自分たちを
これらのきわめて正しい人たちと名づける。」
1872年9月13日、フォイエルバッハ歿。68歳だった。引用はフォイエルバッハの友人でドイツ博物館の事務長ヘクトールの葬送の詩の一節である。
1850年代以降、フォイエルバッハは時代から忘れられ、かなり逼迫した生活を送ったらしい。しかしその周りには彼を経済的精神的に支える友人たちや同志たちもいた。15日、ニュルンベルグにおけるヨハネ墓地で埋葬された。葬儀には多くの人々が弔問に訪れた……ようだ。
「ようだ」「らしい」とあいまいなのも、『唯心論と唯物論』(岩波文庫)に収められた「跋 ルードヴィッヒ・フォイエルバッハの生涯と著作」(1921)の記述が意味不明だからである。機械翻訳ではないかと思うほど、みごとな直訳調の悪文で、意味がとれないのだ。次の調子である。
「フォイエルバッハ自身の諸力はもちろん終末に来ていた。彼は一人の敗れた男としてドイツの政治的な再誕生を体験した。彼は繰り返された<脳卒中の諸発作>の後に1872年9月13日に死に、一つの巨大な人間集団の流れのもとで同年9月15日にニュルンベルグにおけるヨハネ墓地の上で埋葬された」
「一つの巨大な人間集団の流れのもとで」は多数の参列があったという意味なのか。「墓地の上で埋葬」とは、いったいどういうことか。フォイエルバッハは埋葬せずに、風葬されたのだろうか。1970年代の改訳なので、もちろん機械翻訳ではありえない。こうしたドイツ観念論=唯物論の機械的な直訳が、日本左翼思想・理論の観念性に与えた悪影響は決して小さくない。
『法の哲学』のヘーゲルは、市民社会が矛盾をはらんだものであることを見抜いていた。市民社会はアダム・スミスの信じた「神の手」すなわち調和でなく、「放埓な享楽と悲惨な貧困の光景」を、そしてこの両者に共通な「肉体的かつ倫理的な頽廃の光景」を生み出す。享楽とは資本家であり、貧困とは労働者である。市民社会には本当の自由が失われているのだ。ヘーゲルは当時啓蒙的な改革をしつつあった立憲君主制のなかで自由が実現していくことを望んだ。マルクスのヘーゲルにたいする批判は、まず市民社会と国家が分裂していることこそ矛盾だというものだった(「ヘーゲル法哲学批判」)。
ヘーゲルの精神の弁証法は、キリスト教の三位一体の影響をうけている。目に見えぬ聖霊が神と子を媒介するように、ロゴス(神)と万物(自然)を精神が媒介するのだ。
フォイエルバッハはヘーゲルの神学に深い影響を受けた。しかし自然を眠れる精神と見なすヘーゲルの考えを批判するにいたる。「精神」こそが物質の実存する真実のかたちであり、物質性そのものはいかなる真理性ももたないとヘーゲルはいう。これにたいして、フォイエルバッハの思想は、自然主義的な唯物論といわれる。
「物質」を「セックス」、精神を「愛」、感性を「恋」といいかえると、ヘーゲルとフォイエルバッハの対立点がよくわかる。感性はたしかにヘーゲルのいうように「邪悪の源泉・罪の源泉・諸犯罪の源泉」である。しかし感性は罪を犯すための諸器官を与えるだけでなく、罪に対する治療手段をも与えるのだ。
「神学的な愛すなわち僧侶的な愛は、魂を地獄の焔から救い出すために、生きた肉体を拷問する、そうだ焼き殺しさえもする。しかるに現実的な愛は愛人の肉体を最もやさしくいたわり、愛人のために自分の肉体を最もやさしくいたわる。(中略)
ドイツ唯物論はいかなる私生児でもなく、またドイツの学問と外国の精神との情事のいかなる産物でもない。ドイツ唯物論はすでに宗教改革時代において日の目を見た真正なドイツ人である。ドイツ唯物論はその上にルターの直接の肉体的後裔である」(『唯物論と唯心論』)
精神(ガイスト)が先にあるのではない。私たちの矛盾におびた存在が先にあるのだ。そして自然は精神の客体ではない。自然はそれ自身で存在するものであり、人間は自然の一部なのだ。こうした自然主義的な唯物論は、青年ヘーゲル派に影響を与え、若きマルクスに継承される。
「哲学者たちはこれまで世界をさまざまに解釈してきた。だが、必要なことは世界を変革することである」(「フォイエルバッハ・テーゼ」)
このことばは、マルクスの数あることばでも最も有名なものの一つであり、同時に最も悪影響を与えたことばのひとつだろう。マルクスがヘーゲルを転倒したところで、人間が観念をもち、ことばを持つという矛盾が解決されたわけでないのに、そう解釈した左翼は、度しがたき観念的なマルクス主義となっていった。
最後に、ふたたび、ヘクトールの葬送の詩を引用しよう。こちらもこなれない直訳調の訳だが、それなりに味わいがある。
「あなたは信じた。それは預言者のまなざしであったか?
天が地へ落ちて来た。
平和が、最も完全な幸運が来なければならない。
あらゆる人間たちの上に。」
【参考文献】
『唯心論と唯物論』 フォイエルバッハ/船山信一訳(岩波文庫)
『ドイツ・イデオロギー』 マルクス+エンゲルス/廣松渉訳(岩波文庫)
『フォイエルバッハ論』 エンゲルス(岩波文庫)
『イラスト西洋哲学史』 小阪修平(JICC)
(2005年9月13日 記)
あなたを悪人たちに教える。
そしてキリスト教徒は自分たちを
これらのきわめて正しい人たちと名づける。」
1872年9月13日、フォイエルバッハ歿。68歳だった。引用はフォイエルバッハの友人でドイツ博物館の事務長ヘクトールの葬送の詩の一節である。
1850年代以降、フォイエルバッハは時代から忘れられ、かなり逼迫した生活を送ったらしい。しかしその周りには彼を経済的精神的に支える友人たちや同志たちもいた。15日、ニュルンベルグにおけるヨハネ墓地で埋葬された。葬儀には多くの人々が弔問に訪れた……ようだ。
「ようだ」「らしい」とあいまいなのも、『唯心論と唯物論』(岩波文庫)に収められた「跋 ルードヴィッヒ・フォイエルバッハの生涯と著作」(1921)の記述が意味不明だからである。機械翻訳ではないかと思うほど、みごとな直訳調の悪文で、意味がとれないのだ。次の調子である。
「フォイエルバッハ自身の諸力はもちろん終末に来ていた。彼は一人の敗れた男としてドイツの政治的な再誕生を体験した。彼は繰り返された<脳卒中の諸発作>の後に1872年9月13日に死に、一つの巨大な人間集団の流れのもとで同年9月15日にニュルンベルグにおけるヨハネ墓地の上で埋葬された」
「一つの巨大な人間集団の流れのもとで」は多数の参列があったという意味なのか。「墓地の上で埋葬」とは、いったいどういうことか。フォイエルバッハは埋葬せずに、風葬されたのだろうか。1970年代の改訳なので、もちろん機械翻訳ではありえない。こうしたドイツ観念論=唯物論の機械的な直訳が、日本左翼思想・理論の観念性に与えた悪影響は決して小さくない。
『法の哲学』のヘーゲルは、市民社会が矛盾をはらんだものであることを見抜いていた。市民社会はアダム・スミスの信じた「神の手」すなわち調和でなく、「放埓な享楽と悲惨な貧困の光景」を、そしてこの両者に共通な「肉体的かつ倫理的な頽廃の光景」を生み出す。享楽とは資本家であり、貧困とは労働者である。市民社会には本当の自由が失われているのだ。ヘーゲルは当時啓蒙的な改革をしつつあった立憲君主制のなかで自由が実現していくことを望んだ。マルクスのヘーゲルにたいする批判は、まず市民社会と国家が分裂していることこそ矛盾だというものだった(「ヘーゲル法哲学批判」)。
ヘーゲルの精神の弁証法は、キリスト教の三位一体の影響をうけている。目に見えぬ聖霊が神と子を媒介するように、ロゴス(神)と万物(自然)を精神が媒介するのだ。
フォイエルバッハはヘーゲルの神学に深い影響を受けた。しかし自然を眠れる精神と見なすヘーゲルの考えを批判するにいたる。「精神」こそが物質の実存する真実のかたちであり、物質性そのものはいかなる真理性ももたないとヘーゲルはいう。これにたいして、フォイエルバッハの思想は、自然主義的な唯物論といわれる。
「物質」を「セックス」、精神を「愛」、感性を「恋」といいかえると、ヘーゲルとフォイエルバッハの対立点がよくわかる。感性はたしかにヘーゲルのいうように「邪悪の源泉・罪の源泉・諸犯罪の源泉」である。しかし感性は罪を犯すための諸器官を与えるだけでなく、罪に対する治療手段をも与えるのだ。
「神学的な愛すなわち僧侶的な愛は、魂を地獄の焔から救い出すために、生きた肉体を拷問する、そうだ焼き殺しさえもする。しかるに現実的な愛は愛人の肉体を最もやさしくいたわり、愛人のために自分の肉体を最もやさしくいたわる。(中略)
ドイツ唯物論はいかなる私生児でもなく、またドイツの学問と外国の精神との情事のいかなる産物でもない。ドイツ唯物論はすでに宗教改革時代において日の目を見た真正なドイツ人である。ドイツ唯物論はその上にルターの直接の肉体的後裔である」(『唯物論と唯心論』)
精神(ガイスト)が先にあるのではない。私たちの矛盾におびた存在が先にあるのだ。そして自然は精神の客体ではない。自然はそれ自身で存在するものであり、人間は自然の一部なのだ。こうした自然主義的な唯物論は、青年ヘーゲル派に影響を与え、若きマルクスに継承される。
「哲学者たちはこれまで世界をさまざまに解釈してきた。だが、必要なことは世界を変革することである」(「フォイエルバッハ・テーゼ」)
このことばは、マルクスの数あることばでも最も有名なものの一つであり、同時に最も悪影響を与えたことばのひとつだろう。マルクスがヘーゲルを転倒したところで、人間が観念をもち、ことばを持つという矛盾が解決されたわけでないのに、そう解釈した左翼は、度しがたき観念的なマルクス主義となっていった。
最後に、ふたたび、ヘクトールの葬送の詩を引用しよう。こちらもこなれない直訳調の訳だが、それなりに味わいがある。
「あなたは信じた。それは預言者のまなざしであったか?
天が地へ落ちて来た。
平和が、最も完全な幸運が来なければならない。
あらゆる人間たちの上に。」
【参考文献】
『唯心論と唯物論』 フォイエルバッハ/船山信一訳(岩波文庫)
『ドイツ・イデオロギー』 マルクス+エンゲルス/廣松渉訳(岩波文庫)
『フォイエルバッハ論』 エンゲルス(岩波文庫)
『イラスト西洋哲学史』 小阪修平(JICC)
(2005年9月13日 記)
(『唯物論と唯心論』)
これは、本当に…最もフォイエルバッハ的な精神ですね。
こういった素朴な唯物論的な「愛」を、弁証法という思弁的な論理で見えづらくした「弁証法的唯物論」の罪科は大きいです。
いつもの日常の生活という、悟り清ました弁証法なんぞ不要な所で、赤裸々な事実と、そこから生まれる形式的な論理で、充分に人々は「対話」をして、そこから「愛」も育まれるのだと、私は思っていますので、既に「弁証法」なんぞ不要だという記事を過去に書いたのですが…
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/116.html
あくまでマルクスは、乗り超えるべき対象であって、今の時代に(現実の肉体を持って)生きる我々は、彼の限界に踏みとどまるべきでは無いでしょう。