今日ようやく労組の定期大会議案書を配信することができた。
わずか40ページほどの冊子に難渋してしまった。この1年の活動報告がメインで、組合通信の記事をまとめるだけである。運動方針案だって、毎年そうたいして変わるわけではない。新規に執筆するのは数ページで、せいぜい1万字程度である。調子のいいときは一晩で書けたのに、体力、気力ともに衰えを実感した。まったく健康はありがたいものである。
この秋も2回、3連休があった。9月の3連休を利用して、前半部を完了できた。ただしその後再び停滞した。クラブの活動報告は、提出してもらった書類をまとめるだけだが、労組のメールアカウント、会社のメールアカウント、グループウェアのメッセージ、あちこちに送られてくる。紙しか無いデータはスキャンが必要である。その他の報告事項の元記事も、組合通信だったり、配布した資料だったり、執行部通達だったりして、あちこちに散らばっている。
こういうときに限って、スマホの機種変更が重なる。これも面倒で鬱陶しかった。
結局、10月の3連休は、酒を飲んで寝て終わりだった。PCに向かうと、甚だしく疲労しているのがわかった。ブログ記事を更新して終わりだった。
今回の反省は、休日返上を前提としたスケジュール設定の誤りである。脳梗塞をやらかしてからは、夜はしっかり寝て、休日はしっかり休まないと体力が続かなくなった。後進が早々に引き継いでくれたらうれしいのだが、すぐにはむずかしかろう。来年は議案書作成のために有給休暇を取得する必要がある。
いざとなれば、今週、有休をとればいいと開き直ることにした。連休最終日の10日は近所に新しくできたインド料理店で夕食をとり、ネパール人のご店主と話を楽しんだ。その夜は、PCを開くことなく、家に帰って酒を飲んで、静かに寝た。じたばたしても、書けないものは書けない。なんとかなるだろう。
心地よく酔っ払い、眠りに落ちて、明け方、夢を見た。
前に見た夢の続きのようだった。
前回は新しく引っ越したマンションから家族旅行に出かけるという内容だった。家族で行った上高地や伊勢、かつて住んだ名古屋や多摩や大阪の郊外の風景、仕事で通った丹波や播磨の風景がシャッフルされた、どこでもない場所だった。沼があった。これもどこかで見た風景だが、どこでもない。沼から船に乗って行くと、気味の悪い双子の老婆が経営する温泉宿に着いた。その後はよく覚えていない。
今回はもその旅行が終わって家に帰ってきたらしい。しかし荷物はまだ届かず、キッチンにはガスコンロもテーブルもない。母がフローリングの床にカセットコンロを置いて、鍋でおじやかうどんか何かをグツグツ煮ている。壁の時計を見るともう7時30分を過ぎている。おじやもうどんも、熱くて食べるのに時間がかかる。8時過ぎには家を出なければならないのに、どうしてもっと早く起こしてくれなかったのか。シャワーだって浴びたい。
しかし母は気にするふうもなく、私を見ると、「あんた、それどうしたの」という。左腕の肘の内側に、天地4センチ、左右1センチ半ほどの菱形になった赤紫色の腫れ物ができている。その菱形の腫れ物からミミズ腫れが放射状に広がっていた。いったいどうしてしまったのか。「皮膚科に行くよ」と私はいった。スカートの裾から見える母のふくらはぎにも、私よりは小ぶりだが、同じ色同じ形の腫れ物ができていた。
皮膚科に予約を入れねばならなくなった。また金がかかる。原稿を書く時間がなくなるのも気鬱である。しかしこの腫れ物は何なのか。この夏、草刈りのときに横着して、半袖のままでいたせいで肌がかぶれたのが、悪化したのか。それとも肝機能の悪化が影響しているのか。
きょうは9時からMRIの検査があったことを思い出す。それなのに、10時までにアップの仕事が入っている。とりあえず完成はしているが、朝からもう一度見直す予定だった。今から会社に寄るのでは間に合わない。連絡を入れなければならない。面倒なことになった。
そこでようやく完全に目が醒めた。私はいつもの自分の部屋で寝ていた。窓の外は白み始めている。
あわててスマホでカレンダーを確認する。MRIの予定は2週間後で、9時40分からだった。胸を撫で下ろす。左腕に腫れ物などできていない。母も24年前に死んだ。
奇妙な夢だったが、父もいて弟の顔も見えた。夢の中とはいえ、家族全員揃うのは数十年ぶりのことだった。
二度寝して、アラームで目覚めると、脳の疲れがとれているように感じた。延髄のあたりがスッキリしている。
抑うつ状態もいくらかマシになっているように感じた。3連休は休息に専念したのがよかったようだ。
(10月14日の追記。夢を見た直後のメモが出てきたので、追記した。MRI検査があったのを思い出すくだりである)
11日はそのまま普通に出社したが、12日、13日は5時起きで、なんとか残りの原稿をまとめることができた。
定期組合大会は10月23日。母の命日である今日は、組合員に議案書を回すギリギリタイムリミットでもある。
今夜はお供えのかわりに、新潟の酒とグルメが楽しめる泉の広場近くの「新潟をこめ」に出かけることにした。亡母が夢に出てきたのも、「早く仕事を終わらせろ」の催促だったように思ったからだ。
れんちゃん、笹団子とおばあちゃんの好きだった〆張鶴をおみやげに買って帰ろうか。
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