締切のない休日はいいね。
放置している本を読もうと思ったけれど、今の自分には、しばらく休息が必要な気がする。
気楽なテーマで。
漫画雑誌では、一話限り、一期一会のストーリーやキャラクター一の衝撃力が重要だと思ってきた。
最初の1ページは前回を読んでない人にも伝わるものでなければならないし、最後の1ページは続きを読みたいと思わせるものでなければならない。
『DEATH NOTE』も『ZETMAN』も、そういう部分がうまかった。
電子書籍の時代の今は、無料で読めるお試し版の第一話のインパクトが重要になっているのだろう。
これも良し悪しで、『お前、タヌキにならねーか?』のような幸運な出会いもあるけれど、気になってリンク先に飛んだら、よかったのはツイッターで紹介された前半部だけで、後半はグタグタでもう読む気になれない作品というのも少なくない。
久しぶりにサンデーを読んで、紙媒体の雑誌においては、私の持論は今も有効であると再確認した。
名作や人気作品は、前作を読んでいなくても、単話としておもしろい。『名探偵コナン』もそうだし、『MAO』もそうである。『古見さんは、コミュ症です』も、今回取り上げるコトヤマさんの『よふかしのうた』も、またしかりである。
『よふかしのうた』は、「源氏物語に関する著作がある元過激派」という独特(?)のスタンスを持つ私の琴線に、クリティカルヒットするものがあった。
私のこころを掴んだのは、廃ホテルの屋上で、少年が焚き火で日記を燃やすシーンである。
「どれも大して思い入れは無いつもりでいたけど、
いざ燃やすとなると
色々と思い出すものだ」
この少年は、どうやら吸血鬼になりたてらしい。人間時代の痕跡を抹消しようとしている。
「吸血鬼は人間時代の私物が弱点となる。それに思い入れが強いほど、その効果は高まる。だから、今のうちに私物を消しておくことにした」
ゲームを燃やす場面でつぶやくことば。
「どれも大して思い入れは無いつもりでいたけど、いざ燃やすとなると、色々と思い出すものだ。
このゲームだって、兄ちゃんのやつを触ろうとすると、母さんが怒るから、同じやつを中古で買ったんだ」
主人公の夜守コウは中学2年生。とすれば、中古のゲームを手に入れたのは、3年から5年くらい前の話だろうか。
その頃には、閉店した私の地元の新古書店も健在で、中古のゲームも取り扱っていた。
私の小学生時代は、ゲーム&ウォッチが出て、テレビゲームが流行った頃で、ゲーム世代の走りともいえる。しかしあの頃のゲーム(端末)は、まだ小学生に手の届くものではなかった。そんな私も、新古書店で出会うゲームソフトを求める男子小学生たちに、お年玉を握りしめて、プラモデルやミクロマンを買いに行った時代を思い出して懐かしかった。
コウはこんなことを語る。
「吸血鬼になる前の身辺整理って
自殺の準備みたいだな」
そして好きだったペンケースを火にくべるのだ。
わかる。
吸血鬼も過激派も、似たようなものであろう。
16歳で革命家として生きると決めたとき、私は考古学者になる夢も、文学の趣味も捨て、それまでの友人とも距離を置いた。23歳で組織の路線転換に反発して運動を離れたとき、一労働者として生きると決め、同志やシンパの方々との関係を絶った。私も過去の痕跡をほとんど消している。若いころの写真は、一枚も残っていない。
「自殺の準備みたい」というコウのセリフは、『源氏物語』の「幻」帖を思い出させた。出家を控えた源氏が、亡くなった紫の上と交わした文をすべて焼かせる、あの場面である。
私は、この場面を、かぐや姫がみかどに残した不死の薬を、駿河の山で焼かせたという『竹取物語』のオマージュくらいに受け止めてきた。
谷崎潤一郎ではないけれど、私も光源氏が大嫌いだ。紫の上を拉致して犯して籠絡した上に、裏切り続け、晩年は女三宮を迎えて正妻の地位さえも奪い、出家も許さなかった源氏ほど、ひどい男はいない。あの場面も、客観的にみれば、娑婆にいたころの思い出が、出家の妨げになるのは間違いないとしても、この男は自分だけ救われようとしている。全く源氏という男は許せない。
しかし、過去を消すのは辛いことだ。わかる。光源氏のようなゴミクズにとっても、同じことだろう。
コウは最後にスマホを処分しようとする。
「ちょっとなら 電源入れても …いいよな。」
表示されたのは、写真フォルダ。みんな笑顔の友人たちとの楽しい思い出。
そこに謎の女性キクが現れる。
少年は慌ててズボンのポケットにスマホを隠す。
「終わった?」と彼女は聞く。
「いや…
はい…」
と少年は答える。
この夜は、この謎の女性のキクさんが大好きな恋愛映画を二人で観て終わる。
彼女の好きな映画には特徴がある。
「本来
出合うことの
なかった2人が惹かれ合い」
「いくつもの
トラブルを
乗り越え
結ばれ」
「最後は
どちらかが死ぬ」
結局、スマホは燃やせなかった。ヒロインのキクさんが好きな恋愛映画が、「最後はどちらかが死ぬ」というエピソードも、スマホを燃やせず隠してしまったエピソードも、この後の伏線になるのだろう。この引きの強い終わり方。来週も気になる。
本作も、前作の『だがしかし』も、『月姫』や『空の境界』の世界観に影響を受けているのかもしれないと思った。
今作のキクさんも、前作のほたるさんも、『月姫』の「先生」こと蒼崎青子を思い出させたのだ。コウの立ち位置も、本作の主人公・志貴と重なりながら、弓塚さつきを思い出させる。
しかし、スマホって燃やせるのだろうか?
初代iPhoneはガソリンをかけて燃やしても、ディスプレイも表示されたままでタイマーアプリも作動したままらしいが、さすがにいまどきの若者は持っていないだろう。
『だがしかし』最終巻は読みそびれていて、ココノツと行方不明になっていたほたるさんが再会するところで終わっている。富津市が舞台というところが、館山にルーツがある者としては気に入っていた。あらためて、最終巻も読んでみたいと思った。