少女と並んで『老女』というのも大切に描いているモチーフのひとつですね。おばあさんの中にある少女性のようなものを、絵で少しでも表現できればと思っていて、愛おしさを感じています。老女の中でも特に『魔女』が好きで、心惹かれる存在です。
先のエントリで引用した夜汽車さんのインタビューの一節です。
私がこの夜汽車さんのことばに思い出したのは、レオノーラ・キャリントン作、92歳の老女のアリス大冒険物語『耳ラッパ』でした。
冒頭部分で、92歳の主人公マリアンが、自分の老いについて語るくだりが、とぼけたユーモアとウィットに富んでいてすばらしいのですよ。
「言っておきますが、年のせいで私の感覚すべてが鈍ってしまったわけではありません。視力はまだ確かですし、といっても読書に眼鏡が必要ですが、もう本はほとんど読みません。リューマチで背は少し曲がってしまいました。でも天気のいい日に散歩をしたり、一週間に一度木曜日に部屋を箒で掃くことに差し障りはありません。掃除は体操のようなもので、有益かつ精神を高揚し道徳心を養うことにもなります。私はまだ社会で十分役立つし、事情によっては感じもよく楽しい人物になれるはずだと思っています。歯は一本もないのですが、入れ歯にはしていません。べつに不自由はないのです。噛みついてやりたい人がいるわけではないし、柔らかくて消化にいい食物は何でも簡単に手に入るのです。マッシュポテトとチョコレートと湯に浸したパンが私の毎日の質素な食事の基本です。肉は決して口にしません。動物の命を奪うことに反対だし、それに何より噛むのに面倒ですから」
『耳ラッパ』は、この主人公マリアンが友人から贈られた奇妙な耳らっぱのことです。この耳らっぱを手に、老人ホームで痛快な冒険を繰り広げる大冒険物語が、この作品です。
しかし、『耳ラッパ』のような、おもしろい作品は稀有な存在です。
たとえば、こんなくだり。
「聖書がまちがいだらけなのは周知の事実よ。そう、ノアは方舟で脱出したけれど、酔っ払って水中に転落したのよ。船尾でノア夫人は彼が溺れるのを見ていただけで助けなかった。そして家畜全部を相続したの。聖書の時代の人はとても下劣よ。当時家畜をたくさん持っているのは、多額の銀行預金を持っていたのと同じよ」
聖書を否定しまくる本書の作中には、こんなセリフが出てきます。さて、旧約聖書にはそんな話は書かれていたでしょうか。
しかし、1928年撮影・公開の映画『ノアの箱舟』では、映画のクライマックスの洪水シーンで、実際に60億ガロンの水をセットに放流したそうです。1ガロン約4リットルですから、240億リットルですね。重量にして2400万トン? 2400万トンといえば、14億人の中国の一年間のトウモロコシ輸入量くらいのようです。
うん。これは人が死ぬわ。
この結果、なんと1929人のエキストラが溺死し、多くの人が骨折したんだそうです。 これにより、XNUMX年に映画スタントの安全規制が導入されたのだとか。たかが映画のために、エキストラが1929人も死亡? ちょっと信じられないですよね。
話がそれてしまいましたが、ラストに近い場面の次の会話も、おもしろいのです。
「あなたは私たちがまた氷河期に突入していると言っているの?」 やりきれない気持ちで私は尋ねました。
「そうよ。すでに始まっているわ」、カルメラは理路整然と言いました。「もしすべてのひどい政治が議会という統治宮殿に凍りついてしまえば、それは詩的正義だと言ってもいいほどよ。実際彼らはいつもマイクの前に坐っているから、凍死するチャンスがあるってものよ。哀れな国民を大量殺戮に追いやった一九一四年以後の、それはすばらしい変化になると言えるわね。何千万という人間がこぞって『政府』を自称する病んだ紳士集団に服従するなんて私には理解できないわ! 思うに政府という言葉が人々を脅しているのよ。それは一種の世界的催眠状態でとても不健康よ」
「昔からずっとそうだっわ」、私はそう言いました。「不服従や革命と呼ばれるものを起こせる人間はほんのわずか。ときにいたとして、より大規模な政府を、ときに以前の政府よりもっと残酷で愚かな政府を作りあげた」
「人間ってほんとうに厄介よね」。カルメラは言いました。「みんな凍死するといいのだわ。どんな権威者もいっさいもたないほうが好ましく健康的ね。広告にも映画にも、政治家や議員からも何をどうすべきかどう考えるべきかなど強制されずに、ひとは自分で考えるべきよ」
ここで語られる1914年のメヒコ(メキシコ)の敗北とは、長期独裁政権の連邦軍を、革命派が打倒することにいったんは成功したものの、サパタが政権を放棄せざるをえなかった敗北でしょうか。
本書『耳ラッパ』は、今も新刊が手に入るようです(税込み2200円)。ぜひ新刊のご購入を。
夜汽車さんには、いつか92歳のアリス物語を絵本化してほしいものだと思いました。彼女以外に自ら画家でもあったレオノーラ・キャリントンの想像世界をビジュアル化できる画家を、私は知りません。