新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

上村松園 花がたみ

2010年12月18日 | アート/ミュージアム
上村松園展で観た「花がたみ」(1915年)は予想以上の素晴らしさだった。





描かれているのは、世阿弥原作の謡曲「花形見」(花筺)に登場する照日の上。紅葉が舞い散る中、武烈天皇崩御により都に上ることになった男大迹王子(おおどのみこ・後の武烈天皇)との別れに錯乱して舞い狂う姿だという。

片手に持つのは、王子が贈った花筺(花籠)。足元に落ちた、折れた扇。そこには別れの文にあった歌が記されている。

 「忘るなよ程は 雲居になりぬとも 
  空行く月のめぐり逢ふまで」

焦点の合わない瞳、めくれあがった口角、そして着物の着崩れ加減。明らかに、この女性は常ならぬ状態にある。

松園は、岩倉の精神病院での取材で、人間は精神のバランスを崩すと無表情になることを発見して、能面のスケッチを繰り返したという。この花籠を抱いた腕は、「腕をこう、にゅっと突然に出したらどうですやろ」という師の栖風からのアドバイスだったそうだ。

やはり謡曲の「葵上」に題材を得た「焔」(1915年)と双璧をなす、松園の女性像の極北だろう。しかし、「花がたみ」の明るさときたらどうだろう。「お嬢さんお待ちなさい、ちょっと落とし物」と森のくまさんのように呼び止めたくなる。

 あら くまさん ありがとう お礼に うたいましょう
 ラララ ララララ ラララ ララララ

落とし物は、白い貝がらの小さなイヤリングではなく、折れた扇子だが……。

絵の左側に立つポジションがちょうどよかった。照日の上と、眼と眼で見つめ合うことができた。彼女にはこの方向に愛しい恋人が視えているのだろうか。絵の横に立つと、顔料のボリュームもよくわかる。

「花がたみ」のスケッチもあるのが、うれしかった。
表情やポーズを十何パターンも考え抜いたのがよくわかる。どれも何だかかわいらしい。全バージョンの「花がたみ」を観てみたいくらい。







他にも素晴らしい作品が数多くあったけれど、また機会があれば。最後は葵上に取材した「焔」(1918年)。







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