マルクス余話続き。
南北戦争ではマルクスは北軍を支持し、 リンカーンに祝電を送ったことはよく知られている。返事をしたリンカーンの方も、マルクスの名前を知っていただろう。マルクスは共和党系のニューヨーク・トリビューンの有力な寄稿者のひとりだった。
なぜだか向坂逸郎の『マルクス伝』の年譜では、このエピソードは割愛されている。社会主義協会はアメリカ帝国主義を認めるわけにはいかなかったのだろう。その点、いまどきアメリカ旅行がニュースになるある政党では、「科学的社会主義の理想と、アメリカ民主主義の理想は同じなのです」などとおもしろいことをいう。なるほど、「理想」から遠くかけはなれていることも、嫌われ者なのに愛されたくて仕方ないDV体質も、似たもの同士だ。
そんなことよりも、まだインターネットもない時代に、なぜロンドン亡命中のマルクスが、大西洋を越えてアメリカにアクセスできたのかを考えたほうがおもしろい。
マルクスに原稿を依頼したのは『ニューヨーク・トリビューン』紙の編集局長デーナという人物らしい。デーナはニューハンプシャーに生まれ、アメリカに渡ったフーリエ主義者、1841年ジョージ・リプリがはじめたブルック農場で働いたらしい。1847年新聞界に入り、翌年ヨーロッパの革命運動を報道、49年『ニューヨーク・トリビューン』紙の編集局長となって奴隷解放運動を応援した。
マルクス派は少数派だったが、1848年革命に敗れた後に渡米した、「フォーティエイターズ」といわれたドイツ人革命家たちのネットワークもあった。成功者では、迫害される民族の側から描いた異色の西部劇「シャイアン」でインディアンを擁護していた、内務長官カール・シュルツ。『ドイツ・イデオロギー』の出版に失敗したエピソードで、真っ先に名前の出てくるヨーゼフ・ヴァイデマイヤー(数少ないマルクス派である)。バーデン革命軍の指導者、ジンスハイムフランツ・シーゲル。
シーゲルは北軍の将軍だったが、軍人としては手痛い敗北も喫しており、「無能な将軍」といわれたこともあったらしい。しかしドイツ系移民には絶大な人気があり、その支持を取りつけるために、リンカーンはその声望を最大限に利用した。マルクスだって無視し得ない存在だったろう。
ヘーゲルにとって、アメリカは「未来」の問題であった。ヘーゲルの世界史にはアメリカは出てこないし、また出てきてはならなかった。青年ヘーゲル派の破産と、1848年革命の敗北は、マルクスたちを未来に押しやったといってもいい。「共産党宣言」のインターナショナリズムと永続革命論は、こうした時代のなかで読まれなければならない。真正社会主義も空想的社会主義もブランキ派も、ただ戦線が異なっただけで、めざす方向は同じだった。
南北戦争ではマルクスは北軍を支持し、 リンカーンに祝電を送ったことはよく知られている。返事をしたリンカーンの方も、マルクスの名前を知っていただろう。マルクスは共和党系のニューヨーク・トリビューンの有力な寄稿者のひとりだった。
なぜだか向坂逸郎の『マルクス伝』の年譜では、このエピソードは割愛されている。社会主義協会はアメリカ帝国主義を認めるわけにはいかなかったのだろう。その点、いまどきアメリカ旅行がニュースになるある政党では、「科学的社会主義の理想と、アメリカ民主主義の理想は同じなのです」などとおもしろいことをいう。なるほど、「理想」から遠くかけはなれていることも、嫌われ者なのに愛されたくて仕方ないDV体質も、似たもの同士だ。
そんなことよりも、まだインターネットもない時代に、なぜロンドン亡命中のマルクスが、大西洋を越えてアメリカにアクセスできたのかを考えたほうがおもしろい。
マルクスに原稿を依頼したのは『ニューヨーク・トリビューン』紙の編集局長デーナという人物らしい。デーナはニューハンプシャーに生まれ、アメリカに渡ったフーリエ主義者、1841年ジョージ・リプリがはじめたブルック農場で働いたらしい。1847年新聞界に入り、翌年ヨーロッパの革命運動を報道、49年『ニューヨーク・トリビューン』紙の編集局長となって奴隷解放運動を応援した。
マルクス派は少数派だったが、1848年革命に敗れた後に渡米した、「フォーティエイターズ」といわれたドイツ人革命家たちのネットワークもあった。成功者では、迫害される民族の側から描いた異色の西部劇「シャイアン」でインディアンを擁護していた、内務長官カール・シュルツ。『ドイツ・イデオロギー』の出版に失敗したエピソードで、真っ先に名前の出てくるヨーゼフ・ヴァイデマイヤー(数少ないマルクス派である)。バーデン革命軍の指導者、ジンスハイムフランツ・シーゲル。
シーゲルは北軍の将軍だったが、軍人としては手痛い敗北も喫しており、「無能な将軍」といわれたこともあったらしい。しかしドイツ系移民には絶大な人気があり、その支持を取りつけるために、リンカーンはその声望を最大限に利用した。マルクスだって無視し得ない存在だったろう。
ヘーゲルにとって、アメリカは「未来」の問題であった。ヘーゲルの世界史にはアメリカは出てこないし、また出てきてはならなかった。青年ヘーゲル派の破産と、1848年革命の敗北は、マルクスたちを未来に押しやったといってもいい。「共産党宣言」のインターナショナリズムと永続革命論は、こうした時代のなかで読まれなければならない。真正社会主義も空想的社会主義もブランキ派も、ただ戦線が異なっただけで、めざす方向は同じだった。