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弁証法的権力

2011年02月16日 | 革命のディスクール・断章
 「すなわち現代では、弁証法の唯物論的異解のかたちで弁証法を管理する者たち、すなわち東側の御用思想家連中は、弁証法を無思慮な模写説[反映論]にまで引き下げてしまった。このように、いったん批判的酵母を失ってしまえば、弁証法は教条主義[ドグマティズム]にとってまことに都合のいいものになる。」
(アドルノ『三つのヘーゲル研究』)

 「真理」を排他的・特権的に独占する弁証法的権力。「認識論的には真理は一つ。従って複数前衛党説はとらない」(宮本顕治・1990年ごろ)

 引用したアドルノの「啓蒙の弁証法」「否定弁証法」のように、こうしたロシア=スターリン弁証法への批判は、1930年代から当然ながら存在している。アドルノはドイツ・スターリニストに排除され、さらにナチスの迫害で亡命を選ばざるをえなかった。これはナチスに対抗して、セクスポール運動を展開したライヒなんかもそうだ。

 アドルノとホルクハイマーが『啓蒙の弁証法』を書き上げたのは、亡命中の1941年のこと。もう70年前だけれど、第2次フランクフルト学派のハーバーマスは健在で(たぶん)、日本の左派にも大きな影響力がある。公共性の哲学とかコミュニケーション論など。

 もちろん、そうした「良心的」なロシア・マルクス主義批判が、海外でも、国内でも存在したにもかかわらず、スターリン主義の縮小再生産である連赤事件や革共同内戦などの党派テロリズムを阻止も抑止もしえなかったという問題は別にある。

 しかし先行者がいて、今も継承者がいるにもかかわらず、その分野を見ないのは、同時代の生きた現実への回路を失ってしまう。「共産党」や「新左翼党派」を批判するのはいいが、こうした優れた先行思想がありながら、スターリン主義の蛮行を阻止しえなかったことが問題なのだ。

 初期マルクスやヘーゲル左派には、良知力というすぐれた研究者がいる。マルクスの学位論文は古代ギリシアの哲学のなかに、ヘーゲル学派のアイデンティティの危機を投影したものだった。『聖家族』も『ドイデ』も、マルクスにとってはかつての自分自身に対する自己批判の書でもあった。ヘスもバウアー兄弟もシュタイナーも、後世のマルクス主義者が考えたほど、そう「やわ」なものでもない。ある意味ではマルクスより「現代的」な一面もある。

 「ライン新聞」の頃のマルクスはむしろ右派で、共産主義には至っていなかった。マルクスの左旋回は『独仏年誌』以降、特に「知のテロリスト」ブルーノ・バウアーとの共同作業を抜きに考えられない。しかしブルーノは、精神的主体の純化を求めて、1848年革命では蜂起に参加したプロレタリアを「大衆」と批判した。これはニーチェの思想につながっている。マルクスの「反動的」「保守的」な部分が後世のマルクス主義を準備し、エンゲルスによる神話化を通じて、ロシア・マルクス主義に完成されていくことになる。

 いまどきの若い人、それもマルクス(共産思想)を本当に必要としていそうな人達ほど、「マルクス」という名前さえ知らない。彼らの世界にはマルクスもレーニンもいないし、ロシア革命も起きていない可能性だってある。若者と老人は、お互いに『1Q84』のようなパラレルワールドの住人のようなものになっているのかもしれない。

 ある大学のゼミか教室で、人文系クラスにもかかわらず、学生の誰もマーク・トウェインの名前を知らなかったという。しかしあきらめるには早い。そんな「ゆとりクン」も、TDLの船の名前といえばわかる。そうした糸口を見つけていくことのほうが、はるかに切実で重要なテーマだろう。

 どうやって絶望的に個人化した時代のなかで、お互いの対話の回路を開いていくか、連帯の可能性を追求していくか。私は実務家で、あなたがたと違って忙しいのだ。「政治ごっこ」「思想ごっこ」に巻き込まないでほしい。

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