新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

神戸文学館を訪ねて

2023年05月22日 | アート/ミュージアム
4月から毎週通っている摩耶山に登った帰りは、青谷道が多いです。

このコースは、なだらかでおだやかで、青谷川の渓流に沿って歩くのがいいのですね。登山口近くには神戸市唯一のカフェ併設の観光茶園があるのも素晴らしい。東屋で茶畑を見ながらお茶とおまんじゅうをいただくのはよいものですよ。

登山口を出て、馬頭観音 妙光院から坂道をほぼ真っすぐ下ると王子公園です。

この坂を下りきったところに、神戸文学館はあります。



これが見事な教会風の施設なのですね。北野の異人館は知っていましたが、こんな場所もあったのかと、感心しました。

「むぅ。ぉ父さん、『教会風』じゃないよ、ほんとうに教会だったんだんだから…!」

そう、れんちゃんのいうとおりです。

この建物は、1889年、アメリカの宣教師 ウォルター・ラッセン・ランバス氏が、神戸郊外の原田村に創立した関西学院の礼拝堂として、1904年、アメリカの銀行家ジョン・ブランチ氏の寄付により建てられたものだそうです。「ブランチ・メモリアル・チャペル」と呼ばれていたのだとか。

1929年、関西学院が西宮市に移転したあとも、このチャペルはそのまま残されました。

1930年、関西学院の旧校地物件は阪急電鉄に引き渡され、1940年には神戸市が買収したそうです。

1945年の神戸大空襲で被災し、チャペル尖塔、屋根が抜け落ちたそうですが(浦島天主堂を目標に長崎に原爆を投下したアメリカ帝国主義は、キリスト教施設も含めて無差別殺戮を行いました)、なんとか原型は留めたようです。

戦後は神戸市の施設として、1950年の神戸博覧会では「瀬戸内海観光館」として使用され、以後、市民美術教室(1955年)、アメリカ文化センター(1962年、1967年廃止)、神戸市立中央図書館王子分館(1967年)、神戸市立王子図書館(1972年)、チャペルの外観を原状に復原して王子市民ギャラリー(1993年、2006年閉館)とさまざまに名前や運営内容を変え、神戸文学館としてリニューアルオープンしたのでした(2006年)。

なんと入館料無料でした。



今回は王子動物公園で人気の「タンタン」にちなんだ、パンダの企画展をやっていました。好評のようで、会期も5月終了から6月に延長になったのだとか。残念ながらタンタン缶バッジは売り切れでした。

タンタンは昨年に中国に返還予定のはずが、病気のため、返還は一年延期され、今は療養中で公開は中止されています。王子公園駅はパンダをコンセプトにした内装で、王子の町は全体にパンダ推しですが(摩耶山山上の掬星台のカフェも、呼び出し用のブザーのアイコンはタンタンです)、パンダがいなくなってしまったら、どうするんだろう?

この企画展では、パンダ関連、タンタン関連の書籍が展示されていました。しかし、私の知るタンタン本はありませんでした。神戸を売りにする著者ですが、実は地元では評判悪かったりするのかもしれません。


直筆原稿や古い本や雑誌を展示するだけであろう文学館に、そんなに期待していなかったのです。展示物よりは、このチャペルに入ってみたいという、建築への関心のほうが勝っていました。

だから、すっと見て帰るつもりが……。

いつの間にか、展示の説明文をメモ帳に書き写している自分がいました(撮影禁止だったのです)。

思わず立ち止まり、メモ帳を取り出したのも、2004.10.2の日付のある、陳舜臣氏の『鎮魂』の直筆原稿でした。

陳舜臣氏については、1989年の第二次天安門事件への批判を機に日本国籍を取得した、神戸生まれの華僑出身の歴史作家という以上の知識はありませんでした。

しかし、震災の記憶を綴った『鎮魂』の直筆原稿の、

「それでは余りにも悲しい。
そうはさせない!」

というペン字に、目が奪われました。

以下、メモ帳に書き写してきた文章を引用します。


「私たちが身を持って体験した阪神淡路大震災も、同じように忘却の彼方に投げ込まれるのであろうか?
それでは余りにも悲しい。
そうはさせない!
一瞬にして消えた代償として、私たちはあの笑顔を、いつまでも、私たちの心のなかで、輝き続けよと願ってもよいのではないか。
これまでも、多くの災害が忘れられたが、例外的にかすかに記憶された災害もある。元暦二年(1185年)の地震は、鴨長明がその三十年近くののちに『方丈記』にしるしたので、多くの人が読んだはずである」

『方丈記』は震災記録文学でもあります。

陳舜臣は「月日が重なり、年経にし後は、ことばにかけて言い出づる人だになし」という鴨長明の言葉を引用しています。月日が重なり、年が経た後には、わざわざ言葉にしていう人もいない、と。

元暦地震は『方丈記』に辛うじて記録に残るばかりで、いま歴史に残っているのは同年の壇ノ浦で滅亡した平家と勝利した源氏の源平合戦の話ばかりです。この合戦より、地震のほうが多くの人が亡くなったにもかかわらず。

大岡昇平も神戸ゆかりの人だったんですね。これは知識として知っていたはずなのに、意外で、新鮮でした。1955年の『酸素』は、帝国酸素の翻訳係勤務時代、1942年の海軍の会社乗っ取り騒動を背景にしたものらしい。大岡が住んだのも、今さっき歩いてきた青谷町というのも、奇妙な親近感を抱きました。『野火』『俘虜記』の大岡は、神戸から召集されたのか。

井上靖に『三ノ宮炎上』なる作品があるのも発見でした(全集4巻所収)。
戦時下の三宮の不良(デンコ)を主人公にした作品で、春日野道から燃え盛る三宮を見下ろすのが作品の一つのピークらしい。冒頭部分が展示されていましたが、おもしろそうな作品でした。

島尾敏雄が神戸ゆかりで、今日も続く老舗同人誌『VIKING』の創刊メンバーだったとは知りませんでした。島尾に見出され、この『VIKING』発表作で芥川賞候補まで行った久坂葉子が煙草をゆくらすポートレートの美しさには、思わず見とれてしまいました。まあ、肝心の作品のほうは、展示作を見る限り、どうってこともないような気もしたんだけれど(小さな人に描き与えた絵札は童趣があり悪くはないものでした)。こんな美しい人が、満年齢わずか21歳で阪急電車に飛び込み自殺したことには、本当に悲しいことです。

谷崎潤一郎、稲垣足穂をはじめ、堀辰雄、林芙美子、津村信夫、海野十三、野間宏、長塚節、横溝正史、元文学少年にはなつかしい名前ばかりが並びます。

久坂葉子と同じく、今回初めて知った名前ですが、1898年発表の江見水蔭の『六甲山鳴動探検記』もおもしろそうでした。六甲山が鳴動し、大震災の予兆として大騒ぎになった際に、六甲山の外国人街、有馬道、六甲山頂、摩耶山を探訪した貴重な記録です。一部だけ紹介された展示内容を見るだけでもおもしろく、全文を読んでみたいと思いました。いつか原本を入手し、デジタルで復刻できたらと思います。

そういえば、『らんま1/2』のらんまは、水をかぶると女の子に、お湯をかぶると男の子になり、お父さんは水をかぶるとパンダに、お湯をかぶると元に戻るのでしたね。この企画展で、そんなことも懐かしく思い出しました。


神戸文学館の帰りには、ウクライナ難民への支援を訴えるユニセフの募金箱に、ささやかに寄付してきました…。王子公園駅をめざします。

王子公園西口近くに王子神社がありますが……。




王子神社…元原田神社?

そうか、この辺はもともと「原田村」「原田の森」だったんだね。

今日もいろいろ発見ばかりでした。来週はどんな発見があるんだろう?

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