新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

阪急昭和モダン図鑑 小林一三生誕150年

2023年05月21日 | アート/ミュージアム
今週末は久しぶりに忙しい週末でした。

土曜は朝から摩耶山に登り、下山後は神戸文学館に立ち寄り、梅田で入管法改悪法案反対デモに参加。
日曜はみんなの農園で農作業です。


デモについてはすでに記事にしました。

きょうは神戸文学館について書こうと思いましたが(登山日記や農園日記は写真の整理に時間がかかるのです)、その前に……。

「逸翁美術館 2023展示Ⅱ 小林一三生誕150年 阪急昭和モダン図鑑」の感想をアップするのを忘れていました。



逸翁美術館、いいですよ。

まあ、若い頃は、おそらく興味を持たなかったろうと思いますが。

そんな私が、蕪村ゆかりの摩耶山に、毎週通っています。これも昨年の同館の蕪村展に導かれている部分があるような気がします。

さて、ブログを振り返ると、この展覧会には箕面から池田の五月山に歩いた、4月29日に訪ねています。
スタートが遅く、途中ルートを誤ったため、美術館到着は閉館1時間前の4時前でした。
逸翁美術館がある五月山は、毎週ハイキングを志した日に初めて登った山で、蕪村の高弟の呉春ゆかりの地です。

五月山を一日二往復した日もありますが、でも、六甲縦走するような人は、五月山クラスは走って、しかも五往復もするのだそうです。信じられませんね。そこまではいけませんが、五月山にはまた登るチャンスがあると思うので、会期中、もう一度訪ねてみたいものです。

阪神モダニズムと、デザインの歴史のおさらいくらいの軽い気分だったのですよ。若い人にお薦めする前に、まずは自分で見に来たのです。



阪急百貨店と大阪の町並み、箕面の滝、宝塚の紅葉を描いたポチ袋です(ミュージアムグッズで販売中)。西洋の「バカンス」に匹敵する「観光」という概念を日本に根づかせたのは、阪急電鉄だったのですね。

新人教育のため……というロートルの「ウエメセ」だったはずが、展示内容がいちいちおもしろく、初めて知ることばかりで、まずは私自身が新人に帰った気分でした。メモを取っていたら、「蛍の光」が流れ出し、やむなく退散でした。もう一回行きたいな。

一生懸命取ったメモを、労組事務所の資料棚に入れたままなので、以下は公式サイトの記事と、記憶に基づく感想です(メモを見返し、記憶違いは修正していくつもりです)。

以下はサイトにも掲出されている、阪急電鉄の戦前のポスターです。





大阪まで25分…! 

めちゃめちゃ速いですね。いまのJRの新快速の大阪・三ノ宮と同じくらい?

太宰治書簡集の、パビナール中毒で千葉の船橋に隠棲していたころの太宰の手紙を思い出しました。人恋しさのあまり、「東京から船橋まで30分!」、だからぜひ訪ねてほしいと人に宛てている書簡があったのですよ。今の総武線とそんなに時間が変わらないんだなあと思ったものです。蒸気機関車、速かったんですね。




以下は公式サイトの案内文です。あ、非関西圏のために書くと、「逸翁」は阪急東宝グループの創業者・小林一三の雅号ですね。

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2023年、阪急東宝グループ創業者・小林一三の生誕から150年を迎えるにあたり、逸翁美術館ではその事績を振り返る展覧会を連続して開催します。

 第一弾「阪急昭和モダン図鑑」展では、1920〜1930年代の阪急沿線の暮らしを取りあげます。この時代には、鉄道の利便性向上、百貨店の拡充、郊外住宅地の開発、劇場や球場の大規模化、遊園地の拡張整備が次々と進められました。

 それは「沿線に住居することがいかに愉快で、その生活をエンジョイできるかという理想郷を出現させたい」という小林一三の願いでもありました。これらを土台として、阪急沿線にも都市と郊外の新しい文化を享受する"昭和モダン"の華が咲き誇りました。宝塚少女歌劇はその代表といえるでしょう。

 今回の展覧会では、池田文庫が所蔵する当時のポスター、車内広告、写真、ファッション雑誌、記録映像など、時代を伝えるさまざまな資料を展示します。小林一三の「理想郷」とともに、レトロなビジュアルの世界をお楽しみください。

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宝塚歌劇がお好きな方は、この展覧会はぜひ訪ねてほしいです。



宝塚歌劇とのコラボ広告ポスター。メイン客が女性ということもあり、化粧品やせっけんなどは、よくコラボの対象になったようです。





宝塚はファッションリーダーでもありました。





映像記録「阪急王国」。これは見逃しました。次回出かけたら、ちゃんとチェックしたいな。

と、いろいろ発見があったのですが……。

3月以降、私が歩いている、六甲、摩耶、箕面、池田、大文字の山々は、行政やボランティアの方々により支えられ整備されているわけですが、初期段階で、阪急電鉄が果たした役割は大きかったんだなと思いました。

ある日、何気なく歩いた箕面の望海亭から地獄谷のコースも、阪急電鉄によって整備されたものだそうです。

ところで、この戦前の阪急電鉄によるハイキングキャンペーンは、「国民(人民)の健康増進運動」という側面で、ドイツのワンダーフォーゲルと同時代性がある、あるいはその影響のもとに成り立ったのかなと思いました。ドイツのワンダーフォーゲルも、元々はハイキングやピクニック、ボーイスカウトなどの「素朴な野外活動」だったはずが、ナチズムに呑み込まれていったのは周知のとおりです。

歌劇が戦争に協力した黒歴史は、今では広く知られています。ああいうことは、宝塚歌劇にやってほしくなかったと、そう思うファンが大多数でしょう。

しかし、それは権力に迫られてのやむをえないものではなく、内在的な必然性があったのではないか。

そんなことを思ったのは、西宮球場で開催された、大阪毎日新聞が主催した、1937年3月25日から5月23日までの間、阪急西宮北口駅の南部経営地(後の阪急西宮球場一帯)を会場にした「大毎フェア・ランド」のポスターを見たからです。いや、インパクトのあるデザインでした。キービジュアルはこのブランコ乗りの女性。



3月24日付の大阪毎日新聞は「見逃せぬ趣向の数々」「待望・朗春の贈り物」との見出しで、「待望久しき本社主催の『大毎フェア・ランド』はいよいよあす25日花々しく開場する、朗春を目がけての催物は多いが何といっても『大毎フェア・ランド』こそ群を抜いた奇抜な趣向と色とりどりの催しで『天下に冠たり』といって差支えない」と宣伝していたわけですが……。


宝塚歌劇ではナチスは今も人気の「悪役」です。20年ほど前ですが、バウホールで演じられた演目はナチスの青年たちが主人公で、ポスターには鉤十字が入っていました。これは海外展開絶対無理ですね。

あの制服、そして一糸乱れぬヒトラーユーゲントの動きには、禍々しい美しさがあります。ナチスのプロパガンダと宝塚のレビューには、ある種の親和性があるといえるかもしれません。続くかも。




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