さて、いま、全国の大学で、就職も結婚も拒否する、だめライフ愛好会が広まっています。
そのバイブルの一つになっている中国発の『寝そべり主義者宣言』に、既視感があると思ったら、つげ義春『無能の人』でした。この扉絵、まさに寝そべり族ですね。
いかに労働しないで生きるか。石を売る話、川渡し人足をやる話、中古カメラを売る話……。本業の漫画のペンを執ろうとはせず、妻に「虫けら」と罵られながらも、河原に作った小屋に寝転がり、無為に自堕落に生きる漫画家が主人公です。
新潮文庫版『無能の人・日の戯れ』には、このほか、日本初のタウン誌『銀座百点』を真似した『池袋百点』を創刊する『池袋百点会』、闇米を運ぶアルバイトをするエピソードが出てくる『隣の女』などの作品があります。米は1994年まで食糧管理法の管理下に置かれた統制品でした。
私小説のパロディのような作品で(主人公は作者がモデルだが実話でなくフィクション)、やはりだめ人間の太宰治に通じるものがありますね。あのチャーミングな女性だった妻が、だんだん鬼のようになっていくところも、結婚の恐ろしさを感じさせられます。
「異議なし! われわれも、就職も結婚もしないぞ! 賃労働、ナンセンス!」
うん、うん。
「就職するのが常識? アインシュタインもいうように、常識など、18歳までに身に付けた偏見のコレクションにすぎない!」
そうかー。アインシュタインって、そんなこといっていたんだ。
諸君のいうことは、全くもって正しい。
私もそのとおりだと思います。
しかし、諸君も大人なら、世の中、正しいことだけで動いているわけでないことはわかるよな?
それとも、諸君に相対性理論を発見したアインシュタインのように特別な能力があるとでも?
ぶっちゃけモードでいえば、今の学生は、せっかく売り手市場なんだから、まじめに勉強して、就職したほうがいいと思うなあ。
若い人には、若さという最大の武器があります。だから元気で健康なのがデフォルトだと思いこんでしまうきらいがあります。
でも、病気やけがをしたら、フリーはたちどころに無収入になりますよ。会社員なら傷病手当を受け取り治療に専念できます。フリーには有給休暇もありません。会社員は、会社組織を利用して、スキルを身につけ、人脈を築き、貯金もできます。陰キャで体力もコミュ力もスキルもない人たちは、分をわきまえ、会社組織をうまく利用したほうがいいと思いますよ。
「だめライフ」で思い出すのは、『伝染るんです』のシイタケくんです。頭でっかちなところも、似ているかもしれませんね。
キノコの不思議な生には、南方熊楠もジョン・ケージも着目しました。キノコの生=性の多種多様性に比べたら、人間存在などひたすら卑小で単純で粗野なものだと思わざるをえません。
とりあえず、資本主義の転覆をめざす共産主義者の私からみなさんへのご提案は、とりあえず就職して、革命的シイタケくんとして、企業社会に「だめ」の胞子をばらまいてほしいということです。資本主義の土台と根幹を腐朽させていく「加入戦術」ですね。そういえば、『ぼざろ』第七話のナウシカパロディ回、おもしろかったなあ。
しかし、まあ……。
就職どころか、授業に出ることさえ大変な人たちだから、だめライフ愛好会なんでしょうね。わかります。あまり無理はしなくていいです。
しかし、働かないで、収入を得ないで生きていくことも不可能です。困りましたね。
だめライフ愛好会の諸君に、卒業後、どんな仕事があるんだろう?
ここ数日、いろいろ考えてきました。
それは、「だめライフ」を送ってきた私自身の人生を振り返ることでもありました。
ミニコミを出したり、パフォーマンスをやったり、フリーライターをやったり、古本屋をやったり、解体現場で働いたり、警備員をやったり、セミパチプロをやったり、アーティストを応援したり、カブトムシを育てたり、チョウザメやトラフグの養殖を研究したり、ご当地グルメを立ち上げたり、豚を育てたり、イスラム圏に和牛の輸出をめざしたり、その他もろもろ……。
うーん。おもしろかったけれど、多くが失敗に終わりました。商売になったものもありますが、情報が古すぎたり、レアケースだったりして、いまの若者諸君の役には立たないでしょう。
とりあえず農業は懲りずに10年続けてきました(儲からないどころか赤字ですけれどね)。毛沢東思想や武者小路実篤の「新しき村」に興味を示し、農業に関心のある若者が一定数いるのは、心強いことです。農業合宿なんて、おもしろいかもしれませんね。
来週、若い方々に会えることが楽しみです。いろいろ話を聞かせて、あれこれ教えてください。
画像は差し替え。れんちゃん、先週も先々週も、摩耶山はきのこがたくさん生えていたね。
「だめライフ」も「無能の人」も、ハンデを持ちながらもがんばっている人にとっては、「いい気なもんだ」と神経を逆なでにするかもしれません。水仙さんを傷つけたのなら、心よりお詫びします。
この問題は、だめライフの諸君の懸念材料であり、また改めて記事にしたいと思います。
梁塵秘抄にもありますように人は遊びをせんとや生まれけむの存在だと思いますから。
遊んでいても生きていけるような世の中になりましたら虐めもなくなると思います。
そうですね。組合行事の栗拾いでは、大人たちも童心に返り、小さな人たちは栗そっちのけで虫とりやカエルとりに目を輝かせます。
古代社会では、狩猟生活や採集生活は、労働でありながら遊戯と重なる部分も大きかったと思います。近代以降は、人間は生産のためにマシーン化され、ロボット化されてしまいました。
ルーチンワークの仕事も、一種のゲームと考えて、楽しみを見出すように努めているのですが……週末のハイキングのことを考えていることのほうが多いですねぇ。
3連休は五月山にも登りました。近々記事にしますので、またご覧くださいね。