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「もし――し」
ノイズの間から息子の声が聞こえた。携帯電話を離してしゃべっているような遠く小さな声だった。
「もしもし! どうしたのっ。なにがあったのっ」
「お母さ――助け――先生たちがこ――ている――」
「何? 何がいるって?」
引っ掻き音がひどくて何を伝えているのか聞こえないが、緊急事態だということはわかる。
「――みんな殺されて――――」
はっきりそう聞こえ、祐子の意識がふっと遠のいた。だが、気絶している場合ではない。
祐子は状況を理解できるまで何度も訊ね、塾内で殺人事件が起きていること、文也はとりあえず無事だということを一応把握した。110番に繋がらず、まだ通報していないことも。
そう言えばこの電話もさっき繋がらなかった。やっと繋がってもノイズがひどいし声も遠い。
だが呑気に考えているひまはない。
「お母さんが110番するわ。それからすぐそっちへ行く。だからずっと隠れているのよ。絶対に出ちゃだめ。また連絡するから音消しとくのよ。いいわね?」
そう何度も繰り返して文也に伝え、終話ボタンを押したが、ふと次は繋がるだろうかと不安になる。
大丈夫よ、きっと。
そう思い直し、110番通報した後、健夫に連絡をとった。
すでに帰宅していた夫は話を聞いて最初は信用しなかった。だが、妻の剣幕に取り合えず塾に向かうと電話を切った。
控室のドアが勢いよく開き、チーフが顔を覗かせる。
「ちょっと、あんた何してんの。勤務中よっ」
厚化粧の顔が怒りで歪んでいた。
「早退させてくださいっ」
祐子はバッグをつかみ、立ちはだかるチーフを突き飛ばし控室を出た。
「ちょっと何? 待ちなさい。野地さん! 待ちなさいっ」
声を振り切って従業員用口から駐輪場に急ぐ。
自転車の鍵を取り出す時、ちぎれたキーホルダーがバッグの底に見えた。
早くあの子を助けに行かなきゃ。
祐子は開錠した自転車を勢いよく漕ぎ出した。