恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
たまにグロ等閲覧注意あり

恐怖日和 第十九話『天蛙』

2019-05-30 13:03:33 | 恐怖日和

天蛙

 雨の日にはいつも家から放り出された。
 新しいお父さんが家に来て、お母さんが変わってしまってから。
 雨の日はお父さんの仕事が休みなので、僕は邪魔者になるからだ。
 僕はいい子にしていた。
 ちゃんと言いつけを守り、進んでお手伝いもする。夜中におしっこに行きたくなってもお父さんとお母さんが眠るまで我慢する。
 お母さんはハンサムなお父さんにとても夢中だ。だけどすぐ機嫌が悪くなるお父さんにびくびくしていた。
 お父さんはスイッチが入ると急に怖い顔になる。何もしていないのにすごい力で殴ってくる。
 そのスイッチが何なのか僕にはわからない。たぶんお母さんにもわからないのだろう。だから、お父さんの機嫌が悪くなり始めると僕をそばに行かせた。先に僕が殴られると自分は殴られないからだ。
 雨の日はある意味ラッキーだった。
 だって外にいればお父さんに殴られる心配はないから。
 だけど、きょうの雨はひどかった。傘をさしてもずぶ濡れになりそうだから、出て行けと言われても出て行かなかった。
 なので思いきりお父さんに蹴り飛ばされた。いらいらするお母さんにも殴られ、結局追い出されてしまった。
 こんなことならはじめから逆らわずに出てればよかったと後悔した。
 叩き出されて傘もない。
 どこか雨宿りできる場所はと考えて、近くに空き家があるのを思い出した。
 古いお屋敷で壊れかけているから、学校の先生から入ってはいけないと注意されていた。
 でもそこしかない。
 大雨で通行人がいないことをいいことに、トラロープを張った生け垣の隙間から中に忍び込んだ。
 広い庭は膝あたりまで雑草が伸びて、靴もズボンもびしょびしょになったけど、とっくに濡れていたからどうでもよかった。
「おい少年」
 雨音に混じって声が聞こえた。
 勝手に入ったことがばれたのだと立ち止まった。
 だけど、周囲を見渡しても誰もいない。空耳だったんだとほっとしてお屋敷のほうに向かった。
「おい少年」
 やっぱり声がする。恐る恐る辺りを窺っても声の主はどこにもいない。
 ここはお化け屋敷かもしれないとクラスの誰かが噂しているのを思い出して背中がぞくっとした。
 だけど、「ここじゃ、ここじゃ」とあまりに必死に呼びかけるので目を凝らすと、庭の片隅にゴミが放り込まれている深い穴があった。
 そのゴミのてっぺんに灰色の蛙が一匹いる。
 声の主はそいつだった。
「わしをここから出してくれんか」
「気持ち悪いからいやだよ」
 いろいろなゴミが放り込まれた穴からは異臭が漂っている。
 立ち入り禁止とか言って、みんなここへゴミを捨ててるじゃないか。
 大人たちのずるさにため息が出る。
「お願いじゃ。わしを助けてくれ。もうずいぶん前にここに落ちてから出られんのじゃ。早くせねば間に合わない」
 蛙は哀れな声を出した。
 ざああと降り注ぐ雨に濡れて蛙は僕を見上げている。
 僕も全身から雨雫を滴らせて蛙を見下ろしていた。
「間に合わないってどういうこと?」
 ゆっくりとしゃがんで向き合った僕に苛立たしさを隠さず、それでも蛙は理由を話してくれた。
 蛙の国には百年に一度、『あまひかるみち』という現象があるのだという。
 そこに入った蛙は金色に光り輝く姿となり、天に上れるらしい。
 そのあまひかるみちの日が近いのだという。
 余裕でたどり着くつもりが、近道に通ったこの庭でうっかり穴に落ちてしまったのだと蛙は嘆いた。
 ゴミの上までどうにかたどり着いたものの、ここから出られないらしい。
 ずいぶん年老いた蛙みたいだから跳躍力がないんだな。
「いやだよ」
 僕は立ち上がって額を流れる雨雫を拭った。
 蛙は目を見開いた。
「わしを見捨てるのか?」
「だって君に構ってるどころじゃないもん」
 もうずぶぬれで雨宿りなんかしてもしなくてもよかったけど、僕はお屋敷のほうへと足を向けた。
「たのむ。わしの命はもう長くない。金色になって天に上りたいのじゃ」
 僕は悲しくなった。蛙にじゃなくて自分に対してだ。
 お父さんやお母さんに毎日殴られて、学校に行けばクラスメートにいじめられる。運命だから仕方ないって我慢してたけど、こんな雨の日に傘も差さずに放り出されてる僕がなんで蛙の言うことまで聞かなくちゃいけないの?
 あまりに悲し過ぎて逆にムカついてきた。
 だけど――
「わかったよ」
 僕は蛙を助けることにした。
 穴の縁に寝転がって腕を伸ばすとぎりぎり蛙に届いた。
 蛙は僕の手のひらに乗ると感謝の言葉を言い連ねていた。もしかして踏みつぶされるとか、もっと深い穴――あそこに見える井戸とか――に放り込まれるなんて全く考えてないみたいだ。
 でも僕はそんなことはしなかった。蛙を肩に乗せ、彼が指し示す方向へと歩いた。
 お屋敷の敷地内から出ると、これも先生から禁止されている鎮守の森の池のほうへと導かれた。
「あまひかるみちって日の光が水面に映り込むってことなのかな? 
 残念だね。きょうは大雨が降っているからおひさまなんて出ないよ」
 そう言っても蛙は黙ったままだ。
 たどり着いた池では数えきれない雨粒が水面を叩きつけていた。
「ほらね」
 蛙は悲しそうでも悔しそうでもなく水面をただじっと見ている。
「ねぇ、他の蛙はなんでいないの? きっとみんなも金色になりたいよね。間に合わなかったのかな? 
 あっ、もしかしてきょうは中止なん――」
「百年以上生きる蛙はいないからのう。あまひかるみちに行くには長生きしなければいけないんじゃ」
 僕の言葉をそう遮った直後、雲の間から光が差し込み、水面に金色の輪を作った。
 その輪の反射する光がきらきらとさかのぼり、天に続く道となった。
 雨がまだ降り続いているのに、そこだけは晴れている。
 蛙は黙ったまま肩から飛びおり、あまひかるみちに向かった。
「じゃ、さよなら」
 僕は役目を終えたので帰ろうとした。
「待て少年。一緒に行かんか?」
 蛙が僕を振り返る。
「ええっ? 一緒に行けるの?」
「ああ、わしを助けてくれたおぬしなら行けるぞ」
「でも僕――
 うん、そうだね。このまま帰ってもどうせつまらない人生だもん。一緒に行くよ」
「連れが出来てわしは嬉しいぞ」
 蛙は目を細めた。
 右手に蛙をそっと乗せ、僕は池に入った。足は沈むことなく池の上を歩く。水面下の魚が素早く逃げた。
 光の輪に入ったとたん、蛙の体が灰色から金色に変化した。優しい金色だった。
 蛙は何も言わず、ただ気持ちよさげな表情で目を閉じている。
 僕の身体は金色にならなかった。
 ちょっとつまらないけど蛙じゃないから仕方ないか。
 おひさまのにおいのする風が吹き、ずぶ濡れだった身体があっという間に乾いた。
 その風にふわり浮くと、あまひかるみちをゆっくり上がっていく。
「うわあ、すごい」
 雨に煙る景色が足の下にあった。
 真上から見たブロッコリーみたいな鎮守の森に、歩いてきた道。
 紗のかかった向こうにはお屋敷が見える。
 塀の中では何人ものお巡りさんが裸の子供が捨てられているゴミ穴の周囲を忙しく動き回っていた。
 塀の外に赤色灯を回すパトカーが何台も止まり、警察署のほうからまだまだ走って来る。
 途中で別れた数台のパトカーが僕の家のほうへと向かった。
 家の前に止まるパトカーと野次馬たちの色とりどりの傘が見え、お巡りさんに連れられ家から出てくるお父さんとお母さんも見えた。
 ああ、そうだった。僕は――
 そのつぶやきが聞こえたのか、手のひらの上で蛙が振り返り、微笑むように目を細めた。
 もう下を見るのをやめ、僕は顔を上げる。
 ぐんぐん空が近づく。
 あまひかるみちがさらにきらきらと輝き、きらきらきらきら、僕たちは金色の光に包まれ――