レモネードを作ろう
ヴァージニア・ユウワー・ウルフ/著 こだまともこ/訳
17歳にして二児の母、シングルで失業寸前。ぎりぎりのところで何とか生きてるジョリー。
かろうじてアパートに住んではいるが、当然のごとく家賃は滞納、荒れ果てた生活。
それでも食べていくために働く。そんなジョリーのところでベビーシッターをすることになった14歳のラヴォーン。
ラヴォーンにしても、決して恵まれた環境にはない。母と二人暮らし、大学に行きたいが、今から学費を稼がなくてはならず、
学校のアルバイト募集の広告でジョリーとかかわることになる。
アメリカにもやはり地域格差はあり、ラヴォーンやジョリーの住むエリアは失業・貧困・犯罪・ドラッグ・荒れる若者たちの巣窟である。大学に行く、そしてちゃんとした職業につく。そのことだけがここから抜け出す切符である。ジョリーのようにならないため、ラヴォーンは働く。ジョリーのためではなく自分のために。それなのに、ジョリーが職場を解雇され、次なる職探しのために、無賃金で子どもたちの面倒をみるはめに陥る。
ジェレミー2歳とジリー0歳。排水管の詰まった、異臭漂う不衛生な部屋で、汚物にまみれ、埃をまとってはいずりまわる。
子どもと引き離されるのを嫌い、児童福祉施設に頼ることもしない。そもそもジョリーは、字が読めない。驚くことにまともな教育を受けていないのだ。
養母が死んだあとは12歳から段ボール暮らし。初潮のことも、福祉制度ののことも誰にも教わらず、その日その日を暮らしてきた。
その挙句の、妊娠と出産。ドラッグで妊娠すると勘違いすらしている。
世界一の先進国といわれるアメリカの、高度資本主義社会のなれの果てが生んだ闇。
ラヴォーンが学校に橋渡しをして、ジョリーは教育の機会を得る。教育だけがジョリーを、まともな方向に引き上げる唯一の手段だ。
貧困が絶望や悲惨を連れてくる。貧困はとことん人間を追い込む。でも、きっかけさえあれば、人は自尊心を取り戻すことができる。ちょっとした声かけや、手助け、関心で。無関心でいることは罪なことなのだと思う。
わが子ジリーが誤飲により窒息したところ、ジョリーは覚えたての蘇生法をもって救う。
このことは、彼女の自信となったし、何よりも、ジョリーの母性が守られた出来事だと思う。
ジョリーは、若者本来の熱意を取り戻し、何とか自立への糸口を見つける。
「レモネードを作ろう」とは、ラヴォーンがジョリーに引き合いに出した話。
盲目の母親がオレンジの代わりに、レモンをつかまされ、自分を責めるものの、子どもたちにレモネードを作って飲ませる、という話。
現実をいかに受け入れ、その中で最善を尽くすか、という例なのだろう。