と題する話が先週の「奉仕会」で行われました。
「ものみの塔」2006年7月1日号 29~30ページに基づくものですが、若いうちにバプテスマを受けるのは良いことだ、という内容でした。
多くの二世は中学生・高校生で受けているし、小学生で受けている人もいる、という長老の注解がありました。
若いうちに献身すれば、これから生じるさまざまな誘惑に対して身の守りとなるのだそうです。
「バブテスマを受ける」ということ自体はそれほど難しいことではありません。
集会や奉仕活動に定期的に参加していて、聖書や出版物の内容をある程度理解できていれば受けることができます。
消極的な長老だと、もう少し待った方がいいのでは?と言われることがありますが、二世離れが多い現在では積極的に勧めるようです。
でも、自分の人生を左右する重要な決定をそんな若いときに、簡単に決めていいものなのでしょうか。
自分でこの生き方こそ真理だと心から確信したのでしょうか。
会衆にもよるかもしれませんが、高校生でバプテスマを受けていないと、変わり者扱いされたり、バプテスマを受けるよう「励まされたり」します。
エホバの証人がよく使う「励ます」という言葉は、組織の提案を相手に押しつけるようにも思えるんですよね。
「励ましている」本人はなんとも思っていなくても相手にとっては重荷だったりするわけです。
「フィレモンへの手紙」14節には「あなたの良い行ないが,強いられたものではなく,あなた自身の自発的な意志によるものとなるためです。」と書いてあります。
イエス・キリストは29歳になってからバプテスマを受けたのに、なんでこの組織はこんなに早まらせるんでしょうね。これじゃ幼児洗礼と一緒ですよ。