2007年に発行され、現在聖書研究(書籍研究)で使用している「来て,わたしの追随者になりなさい」の表紙って、見るたびに思うんですけど、盆踊りを踊ってるように見えません?
試しに、盆踊りの写真と合成してみました。
…なかなかいい感じに踊っております。
この挿絵は 14ページにもあるのですが、その隣の15ページ 1節にこんな例え話があります。
道に迷ったことがおありですか。友人や親戚のところに行く途中で道が分からなくなった,という経験があるかもしれません。見知らぬ道で,どちらに行ったらいいかをだれかに尋ねたでしょうか。そんな時,親切で思いやりのある人が道を教えるだけでなく,「一緒に行ってあげましょう。付いておいでなさい」と言ってくれたら,どんな気持ちになるでしょうか。本当にほっとするに違いありません。
この例え話を見たとき、今どきこんな人がいたらこえーよ、なんて思ってしまいました。
例えば、
「すみません、○○に行きたいのですが、どう行ったらいいですか?」
「ここをまっすぐ行くとあります。では、一緒に行ってあげましょう。付いておいでなさい。」
こんな状況は、よほどの田舎でもない限りあり得ないでしょう。
こんなことを思うのは僕くらいの者らしく、先週の集会では「道を教えるだけでなく、連れて行ってくれたらほっとするのと同じように、イエスキリストは…」と普通に注解が行われていたようです。