ついに3月30日の火曜日は主の記念式ですね。
毎年思うのですが、記念式になるとなぜ着物や派手なドレスをここぞとばかり着飾る姉妹がいるのでしょう。
2010年の招待ビラにあるように「イエスの死の意義を考える集まり」なんですよね。
きちんとした身なりをすることは大切ですが、まるでお祭り騒ぎであるかのような服装をするのはどうかと思うんですよ。
式が終われば、イエスの話なんてすっかり忘れステージに上がって記念撮影。
こんな光景について、ある評論家は次のように述べています。
2009年の招待ビラでは「本場」アメリカの写真が載っていますが、いつもと同じような服装で、特に派手・変わった格好をしている人はいません。
「ベテル見学をする時の服装と身だしなみ」に引き続き「主の記念式の服装と身だしなみ」なんて発行したらいいんじゃないですかね?
毎年思うのですが、記念式になるとなぜ着物や派手なドレスをここぞとばかり着飾る姉妹がいるのでしょう。
2010年の招待ビラにあるように「イエスの死の意義を考える集まり」なんですよね。
きちんとした身なりをすることは大切ですが、まるでお祭り騒ぎであるかのような服装をするのはどうかと思うんですよ。
式が終われば、イエスの話なんてすっかり忘れステージに上がって記念撮影。
こんな光景について、ある評論家は次のように述べています。
それと記念式で強調されるのは、神やイエスの愛は二の次。
奴隷級に注目させる話がほとんどである。
記念式で涙が出るほど感動的な話は聞いたことがない。
一般人には理解できない話がほとんど。
記念式を利用して奴隷級との差別を認識させる構造だ。
一方記念式に晴れ着を着てくる姉妹たち。
本来は厳粛なものであるはずなのに、
イエスに注目するより、自分に注目してもらいたいが故の行動。
法事に晴れ着を着ていくバカがどこにいる?
一方愚鈍な兄弟たちは鼻の下を伸ばしてそういう女性の写真を撮りまくる。
毎年展開されるこの醜い光景に誰も疑問を持たないほど
思考力を持たないほど頭脳が腐っている。
2009年の招待ビラでは「本場」アメリカの写真が載っていますが、いつもと同じような服装で、特に派手・変わった格好をしている人はいません。
「ベテル見学をする時の服装と身だしなみ」に引き続き「主の記念式の服装と身だしなみ」なんて発行したらいいんじゃないですかね?
かくいう私も何年か前に一度だけ、振袖で記念式に出ましたよ
居眠りできなくて不便だったので翌年からは普段どおりでしたが。
どうしてエホバの証人を辞めないのですか?
そこが知りたいのですが、教えてはもらえないでしょうか?
少しがっかりしました。形式的でした。
イエスの死について考えるという目的はほとんどあってなかったような気がします。
昨日の講演は本部から送られた台本に沿って脚色して、全世界でほぼ同じ内容が発信されているのでしょうか?
それから、何度聞いても、天啓の人のみがワインとパンに与れる理由が聖書からはどうしても読み取れません。
まあ、ポーズ取る姉妹たちもどうかとは思いますがね。
その画像はいったいどうするんでしょう?
待ち受け?
誰かに見せびらかすの?
その主宰は、私の息子に
「異性との接し方がなれなれしい」と助言してくださいましたよ
ところで、「ある評論家」って誰なんでしょ?
そちらに興味があります(^^;)
よろしければ、出所を明らかにしていただけませんが?
よろしくお願いします。
またきます。よろしくです。
おっしゃるとおり,記念式の話は,
全世界共通の「筋書き」に基づいています。
ちなみに,うちのサイトでは,
「英語」でしたら,手に入るようにしてあります。
特に,それ以上は,ここでは詳しくは申しません。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1266507001/458
「ある○○によると」という表現については、以前「引用元を明らかにしないものみの塔協会」というブログを書いていますのでご覧ください。
(引用元,出所を明らかにして欲しいと思うこと。)
ところが,なぜか,ものみの塔協会の出版物の場合には,JWは,そういうことは考えないんだよね。
「ある参考文献では」とか,「ある専門家は」とかっていう表現が多すぎ。
私なんか,いつでも,その場合,何という名前の「著者」が,なんという「題名」の,どこの「出版社」が「いつ」出した本の,「何ページ」に書いてあるんだって思います。
ものみの塔は,この出所明示義務を,「いつも」果たしません。
時々,「創造」の本とかで,参考文献を明らかにしてるのは,ほんと,「例外」です。
だから,通常,「その資料を調べたい」と思っても,調べられません。
例えば,「〇〇百科事典」の言葉を,協会が引用しても,何という「項目」の,「何巻」の「何ページ」に書いてあるのか分からないので,仮に,その資料を手元に持っていたとしても,たぶん,見つけることは困難です。