2007年に発行され、現在聖書研究(書籍研究)で使用している「来て,わたしの追随者になりなさい」の表紙って、見るたびに思うんですけど、盆踊りを踊ってるように見えません?
試しに、盆踊りの写真と合成してみました。
…なかなかいい感じに踊っております。
この挿絵は 14ページにもあるのですが、その隣の15ページ 1節にこんな例え話があります。
道に迷ったことがおありですか。友人や親戚のところに行く途中で道が分からなくなった,という経験があるかもしれません。見知らぬ道で,どちらに行ったらいいかをだれかに尋ねたでしょうか。そんな時,親切で思いやりのある人が道を教えるだけでなく,「一緒に行ってあげましょう。付いておいでなさい」と言ってくれたら,どんな気持ちになるでしょうか。本当にほっとするに違いありません。
この例え話を見たとき、今どきこんな人がいたらこえーよ、なんて思ってしまいました。
例えば、
「すみません、○○に行きたいのですが、どう行ったらいいですか?」
「ここをまっすぐ行くとあります。では、一緒に行ってあげましょう。付いておいでなさい。」
こんな状況は、よほどの田舎でもない限りあり得ないでしょう。
こんなことを思うのは僕くらいの者らしく、先週の集会では「道を教えるだけでなく、連れて行ってくれたらほっとするのと同じように、イエスキリストは…」と普通に注解が行われていたようです。
ちょくちょく拝見していたのですが、一時休止とあり、寂しく思っていました。
IT関係のお仕事になるんですね。
苦手なので、うらやましい限りです
画像の合成はPhotoShopですか?いつも自然な加工ですばらしいです。
“そんな時,親切で思いやりのある(エホバの証)人が”のほうがいいんじゃないでしょうか
車で連れて行ってあげました・・・
変ですか?
一緒に歩いてあげることがありますよ。
この間も外人さんに英語で説明できなかったので、連れてってあげたし。
中年女性(つまりおばちゃん?)の場合は、
警戒されないので、おせっかいな親切がしやすいですよ。
というわけで、JWやめた私は
「親切で思いやりのある人」で~す
私も,数年前,外回りの仕事で歩道を走ってたら(文字どおり,「徒歩で」走ってたの意),車道の車が私の前にとまって,「駅まで送っていきましょうか」って言ってくださいました。
これは,暖かな親切を,「実際に経験」してないと,警戒心からでは,分からない例えなのかもしれませんね。
育った環境、社会の不況の影響など、いろんな境遇の人もいるわけで、身を守る為には親切にも危険を感じてしまいます。
かといって、サタンだの世の終りが近いだのまったく根拠もないし関係ないと思いますけど。