今日、久しぶりに野外奉仕に出かけました。
「証言方法」を聞いてあらためて思うのですが、自分たちが「エホバの証人」であることをほとんど言わない、そして用件をすぐに言わない、ということに疑問を感じます。
例えば、荷物を届けに来た業者はまず「○○急便です。荷物をお届けに来ました。」などと言いますし、新聞の集金に来た人は「○○新聞です。新聞の集金にまいりました。」のように、誰が何の目的で訪問したのかすぐにわかるでしょ。
「こんにちは、エホバの証人の○○と申します。ものみの塔と目ざめよ!という雑誌を皆さんに差し上げていました。」と先に言えば、宗教に感心がない人はすぐに断ることができるでしょうし、それ以外の人でも安心して話を聞けるでしょ。
でも、なんで「聖書の奉仕活動で伺いました」とか「ご近所をボランティア活動で訪問していました」なんて言う人が多いんですかね?
いつまで経っても用件が分からないと家の人もイライラしますよね。
区域の反応が悪くなっているのは、「終わりの日のしるし」じゃなくてエホバの証人のせいなんじゃないかと思います。
以上、久々に野外に出た感想でした。
「証言方法」を聞いてあらためて思うのですが、自分たちが「エホバの証人」であることをほとんど言わない、そして用件をすぐに言わない、ということに疑問を感じます。
例えば、荷物を届けに来た業者はまず「○○急便です。荷物をお届けに来ました。」などと言いますし、新聞の集金に来た人は「○○新聞です。新聞の集金にまいりました。」のように、誰が何の目的で訪問したのかすぐにわかるでしょ。
「こんにちは、エホバの証人の○○と申します。ものみの塔と目ざめよ!という雑誌を皆さんに差し上げていました。」と先に言えば、宗教に感心がない人はすぐに断ることができるでしょうし、それ以外の人でも安心して話を聞けるでしょ。
でも、なんで「聖書の奉仕活動で伺いました」とか「ご近所をボランティア活動で訪問していました」なんて言う人が多いんですかね?
いつまで経っても用件が分からないと家の人もイライラしますよね。
区域の反応が悪くなっているのは、「終わりの日のしるし」じゃなくてエホバの証人のせいなんじゃないかと思います。
以上、久々に野外に出た感想でした。
区域の反応が悪いの当たり前ですよね。今の時代にそぐわないんだもの。
興味を持った人はネットで調べるだろうし…そしたら話し聞くの止めようって思いますよね。普通。
あ、み使いと共に働いているからそんなの関係なかった
私は、その言葉に従い伝道したら、家の方から「なぜ、すぐに用件を言わないんだ。そんな馬鹿なやつ、いるか」と、怒られたことがあります。
奉仕監督は、「いろんな家の方がおられますから、気にしないことです」と、言われました。
以来、俺はどうどうとそういってる。
ま、ソッコーで断られるけどね。でも、そのほうが気持ちはいい。
ただ、不思議なのはそれでも結構配布できるんだわ。
田舎だからか・・・・・・・・。
わたしは直接、聖書の神の言葉に親しんでほしいことを告げて、奉仕していたことありますよ。以外にも、聖書がどんなことを書いてあるのか、その場で聞いてくれた人いましたけどね。どうして雑誌の配布しかできないんだろうね。結局は古新聞と一緒に投げられるよ・・・
「エホバの証人」と言うと、何それ?と言われたり、「エホバの“商人”」と間違われて話が通じなくなるので。