サルサバンドLATIN FACTORYのブログ
EL WEBLOG DE LATIN FACTORY
廃線跡を歩く(旧五日市鉄道:立川~拝島)

強風が吹き荒れる中、無謀にも廃線跡を攻めて参りましたよ。このところ、色々な用件で子どもと過ごす時間はほとんどゼロに近い状態が続いているので、たまにはこんな時間を作らなければということで・・・。今回は、旧五日市鉄道(俗称ゴテツ)を。以前から気になっていて、学生時分は八高線乗車中この廃線跡とのクロス部分にさしかかると、窓際にへばりついて遺構を探していたモノです。ネットが発達した現在、この廃線跡に関する情報は沢山あり、残念ながら最大の遺構となったクロス部分は整備によって失われてしまったことを確認しておりました。今更のようですが、何でもう少し早く訪ねなかったのであろうかと・・・。取り返すことの出来ない過ぎ去った時間の重みをひしひしと感じる一日となりました。せがれが出かけていたので、今回は娘と2人の道中です。
<<五日市鉄道廃線跡について>>
1925年に開業した私鉄、五日市鉄道の路線。拝島駅と立川駅間を現在の青梅線とは異なり、多摩川に近いルートを経由した路線であった。1944年の国有化で、不経済路線として休止されるに至る。
という訳で、終着点を立川駅に設定し、拝島駅側から攻めてみることにしました。先の下河原線とは異なり、廃止から実に64年の月日が経過しているわけで、意図的に残されている区間を除いてかなりの困難が予想されました。拝島駅は、青梅線・五日市線・八高線・西武拝島線が接続するジャンクションですが、学生の頃はかなりまったりした雰囲気があった記憶があります。当時、八高線は非電化路線でしたし、跨線橋には蒸気機関車の煙の痕跡もありましたが、そのころの面影を残すモノはほとんど失われつつあります。今や、八高線もステンレス車体の電車、駅そのものが改築されている最中で、往事の面影を残すのはむしろ駅前商店街の方であったりします。
拝島駅より出た路線は駐輪場となっておりました。このだだっ広く緩やかな道は、いかにも急カーブを嫌う鉄道らしいモノであります。このまま、多摩川方面に路線は下って行きます。
南下した廃線跡は徐々に向きを東に取り、新奥多摩街道と合流します。ひとまず、このあたりまでは順調に進みましたが、腹が減ったので娘に「何が食べたい?」と尋ねてみたところ・・・
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!!
サルセーロ御法度のトンカツ orz...
まぁ、演奏前じゃないから良いんだけどネ
食後は、また新奥多摩街道を進みましたが、途中から廃線跡は北東へ向きを変え立川駅方面に向かい始めます。以前は全く何も無かったらしいのですが、現在は写真の様なモニュメントが設置されています。ここには、武蔵田中駅があったということです。
更に進むと、大神駅。信号機やら遮断機やら色々と持ち込まれていますが、何となく寂しい雰囲気、しかもどっかのお馬鹿さんにガラスを割られているし・・・。
ここが廃線愛好家の中で有名な(笑)八高線とのクロス部分。以前は、八高線側の鉄橋の下を路盤が通っていたのですが、整備により地下道になってしまいました。当然、年代物の鉄橋も鉄屑に・゜・(ノД`)・゜・。ここに改修の様子が詳しく書かれていますョ。
順調に進むかに思えた廃線跡の旅ですが、やはりダテに64年の月日が過ぎているわけではなく、とうとう恐れていたことが起こってしまいました。
行き止まりヽ(`Д´)ノウワーン
この先も行き止まり orz...
どうやら、廃線跡はズタズタになっている様子(笑)。途中で、廃線とは関係ない鉄を見つけてしまい、、、
あのぅ、こっちも別な意味でズタズタなんですが・・・
結局、度重なる迂回に業を煮やした上に、良き遊び相手の弟の不在が祟り、娘はフグのようにふくれっ面 orz... ご機嫌取りの為にレストランに入って終了いたしましたとさ。延べの移動距離、12.8km 思ったよりも距離が伸びなかったわりに疲れたのは何故でしょう・・・・
Editor CABEZÓN

