日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 十七
・漁猟の禁止
秋八月二日、
百官が神祗官に集会して、
天神地祗の事を宣べ奉りました。
四日、
天皇が吉野宮(よしののみや)に
幸しました。
十六日、
攝津国の武庫海(むこのうみ)の千步の内、
紀伊国の阿提郡(あてのこおり)の
那耆野(なきの)の二萬頃、
伊賀国の伊賀郡の身野(むの)の二萬頃で、
漁獵を禁断(きんだん)し、
守護の人を置きました。
河內国の大鳥郡の高脚海に准えたのです。
十七日、
公卿に賞賜(しょうし)しましたが、
各々差がありました。
二十一日、
伊予の総領田中朝臣法麻呂
(すべおさたなかのあそみのりまろ)等に
詔して、
「讚吉国(さぬきのくに)の
御城郡(みこのこおり)所で
獲えた白䴏(しろつばめ)を、
放養(ほうよう)するべし」
といいました。
二十三日、
射(いくさ)を観ました。
潤八月十日、
諸々の国司に詔して、
「今の冬に戸籍を造るように。
宜しく、
九月を限りとして、
浮浪(ふろう)を
糺捉(きゅうそく)すべし。
その兵士(いくさびと)は、
一つの国ごとに四つに分けて、
その一つを點(とぼ)して、
武の事を習わせるように」
といいました。
二十七日、
淨廣肆の河内王(かふちのおおきみ)を
筑紫大宰師としました。
兵仗(へいじょう)を授け、
及び物を賜りました。
直廣壹を直廣貳の丹比真人嶋
(たじひのまひとしま)に授けました。
封を百戸増やして、
前に通わせました。
・武庫海(むこのうみ)
東は尼崎へんより西は大輪田(おおわだ)(神戸市)に至る一帯の海をさすとしている
・阿提郡(あてのこおり)
現在の和歌山県有田郡・有田市
・禁断(きんだん)
ある行為をしてはいけないと厳重に禁止すること。さしとめること。禁制。禁止
・賞賜(しょうし)
功績などを賞して物を与えること。 また、そのもの
・讚吉国(さぬきのくに)
讃岐国
・御城郡(みこのこおり)
香川県木田郡の東半
・放養(ほうよう)
放し飼いにすること
・浮浪(ふろう)
古代律令制において、民衆などが戸籍・計帳に登録されている本貫から離脱した状態にあること
・糺捉(きゅうそく)
古代の用語で、糺告(きゅうこく・ただしもうすこと)と捕捉をあわせた意味
・點(とぼ)
1・小さな2・印ある決まった場所3・(主として改善する必要がある)事柄4・ものを判断する基準となる単位5・ちょっと~する6・事細かく調べる
・兵仗(へいじょう)
武器
(感想)
(持統天皇3年)
秋8月2日、
百官が神祗官に集会して、
天神地祗の事を宣べ奉りました。
4日、
天皇が吉野宮に行幸しました。
16日、
摂津国の武庫海の1000步の内、
紀伊国の阿提郡の那耆野の20000頃、
伊賀国の伊賀郡の身野の20000頃で、
※八世紀初めの大宝律令や養老田令では面積単位として、1歩を6尺四方、360歩を1段 (反と同じ)、10段を1町とした。
メートル法に換算すると、1歩が約3.3平方メートル、1段は約1,200平方メートル。
1町は、1.2ヘクタール
漁猟を禁止し、
守護の人を置きました。
河内国の大鳥郡の高脚海に准えたのです。
17日、
公卿に賞物を与えましたが、
各々差がありました。
21日、
伊予の総領田中朝臣法麻呂らに詔して、
「讃岐国の御城郡の所で獲えた
しろつばめを、
放し飼いにするように」
といいました。
23日、
射を観ました。
潤8月10日、
諸々の国司に詔して、
「今の冬に戸籍を造るように。
宜しく、
九月を限りとして、
浮浪人を糺告し、捕捉するように。
その兵士は、
一つの国ごとに四つに分けて、
その一つを定めて、
武の事を習わせるように」
といいました。
27日、
淨広肆の河内王を筑紫大宰師としました。
武器を授け、
および物を与えました。
直広弍の丹比真人嶋に、
直広壱を授けました。
食封を100戸増やして、
前の封戸に通算して、
200戸としました。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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