リートリンの覚書

麁服と繒服 21 麁服の原料「大麻」とは? 作物としての「大麻」など


作物としての「大麻」


大麻は4~5月ごろにかけて
植えることになっていました。

大麻畑では、
幅30㎝ぐらいの畝(うね)を作り、
そこに4㎝ぐらいの間隔で
大麻草の種を植えていきます。

種を植え付けてから、
一週間ぐらい経つと芽が出てきます。

大麻はアサ科のごく普通の植物で、
どちらかというと病気も少なく
栽培も楽な作物です。

適当な時期に間引きをしたり、
現在では若干の農薬を施すことも行われます。

収穫するまでは約4か月ぐらいです。
夏の盛りには堂々たる高さまで実り、
それを刈り取ります。

大麻が、
縄文時代から栽培されていたのは、
日本の気候にあっていて、
そだてるのも容易だったからかもしれません。

また、
収穫時期である7月下旬の気候が、
比較的、安定しているということも
関係していたかもしれません。

収穫した後、枝を打ち、乾燥させ、
4日ほど簡単な発酵をさせます。

※麁服用の大麻について
「麁服のための大麻を畑で作ると、その後3年間は畑を寝かせないと連作はできないんですよ。そのくらいたくさんのエネルギーを大地から吸い上げて成長する。」
とインタビューで三木氏は答えています。


大麻と織物


大麻は古くから「神様」と関係し、
「危険を避けるもの」と考えられていました。

雷などはその典型ですが、
他にも、
身を守ることに関係する伝承があります。

例えば、
「織姫は村の境で機(はた)を織る」
という伝承があります。

「機」は「旗(軍旗)」に通じる言葉で、
村の境界で機を織ることで、
村を守るという意味を
持っていたといわれています。

織姫の伝承は、
神事として機を織る女性が、
天と地を紡ぐ「大麻」を
用いるという意味が強かったのでしょう。

カジノキや麻などを赤や青の色に染め、
縞や乱れ模様を織り出した
日本古代の織物は
綾布(あやぬの)、
倭文布(しずぬの)、
倭文織(しずおり)と呼ばれていました。


麻の葉紋様(あさのはもんよう)


大麻の葉をあしらった図柄です。
日本の伝統的な文様で、
基本的な形は正六角形で幾何学的な模様です。

平安時代には
仏教の尊像の衣服の図柄に使われており、
次第に普及していきました。

江戸時代には着物の流行の図柄となり、
赤ん坊の産着としても使われています。

他に女性の着物の下着として用いられた
肌襦袢(はだじゅばん)や腰巻、
着物にから小物にいたるまで、
頻繁に麻の葉紋様が使用されています。

この麻の葉紋様はさらに一般化し、
素材が大麻でなくても
「魔よけ」として
用いられるようになっていきます。

赤ん坊の産着については、
大麻は成長が早く、
3か月で2メートル以上伸び、
素材としても丈夫だったので、

子どもの健やかな成長を願う
親の心が込められていたと考える人もいます。

麻の葉文様
出典:Wikipedia

感想

以前の大麻のイメージは、
鉢植えに植えられ、
蛍光灯の下
弱々しく、禍々しいものでした。

報道でよく見かけましたね。

しかし、
作物としての大麻。
麻畑の写真を見た時には、
その美しさに驚きました。

大地にしっかりと根付き、
太陽に向かって力強く伸びる姿。

その姿は、
緑鮮やかで
光輝いていました。

妖精🧚‍♀️がいっぱい飛んでいそうな感じ😆

夜泣きする赤ちゃんを
大麻畑に連れて行くと泣き止むと言う
言い伝えがあるのもうなずける〜

まさに、
神の依代として
神聖なる植物だと思いました。

戦前は、
その光景が普通に見られたのですね。

残念でなりません。

生きているうちに、
その風景を見てみたいものです。

着物を着る際の下着・肌襦袢、
赤ちゃんの肌着など
よく見かけた正六角形で幾何学的な模様

今回初めて、
模様のモチーフが麻だと知った😅

以前、
母さんが刺し子の布巾作りにハマっていた際、
よくこの紋様刺繍していたなぁ。

あれでも🧐
大麻の葉っぱって、
7枚じゃなかったけ?
何故正六角形?

さて、今日はこの辺で。

本日は、
「大麻ヒステリー 思考停止になる日本人」
武田邦彦先生の本と
ウィキペディアを参考に
記事を書かせていただきました。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

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