リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十九 天命開別天皇 八十九 ・天武天皇の殯



日本書紀 巻第二十九 
天命開別天皇 八十九

・天武天皇の殯



二十七日平坦(とらのとき)、
諸々の僧尼が、
殯庭(もがりのみや)で
発哭(みねたてまつる)をして、
乃ち退きました。

この日、
肇(はじ)めて奠(てん)を進めました。

卽ち、誄(しのびごと)しました。

第一に、
大海宿禰荒蒲
(おおあまのすくねあらかま)は、
壬生(みぶ)の事を誄しました。

次に、
淨大肆の伊勢王
(いせのおおきみ)は、
諸王の事を誄しました。

次に、
直大參の県犬養宿禰大伴
(あがたのいぬかいのすくねおおとも)は、
総じて宮內の事を誄しました。

次に、
淨廣肆の河内王
(かふちのおおきみ)は、
左右大舍人の事を誄しました。

次に、
直大參の当麻真人国見
(たぎまのまひとくにみ)は、
左右兵衞の事を誄しました。

次に、
直大肆の采女朝臣竺羅
(うねめのあそみつくら)は、
內命婦の事を誄しました。

次に、
直廣肆の紀朝臣真人
(きのあそみまひと)、
膳職(かしわでのつかさ)の事を
誄しました。



・平坦(とらのこく)
午前4時
発哭
挙哀(こあい)とは、死者を弔うために泣き声をあげる礼の一つ。発哀・発哭・奉哀・慟哭などとも記される。
・奠(てん)
神仏などに供える物。 供え物。 供物(くもつ
・誄(しのびごと)
死者を慕い、その霊にむかって生前の功徳などを述べることば。死者に対する哀悼の辞。しぬびごと。るい。るいし
・壬生(みぶ)
皇子の世話や教育を行うもの



(感想)

(朱鳥元年9月)

27日午前4時、
諸々の僧尼が、
殯庭で発哭をして、
すぐに退出しました。

この日、
はじめて、
供え物を奉りました。

そして、
誄をしました。

・誄(しのびごと)
死者を慕い、その霊にむかって生前の功徳などを述べることば。死者に対する哀悼の辞。しぬびごと。るい。るいし

第一に、
大海宿禰荒蒲は、
壬生の事を誄しました。

※壬生(みぶ)
ここでは天武天皇の幼少時のこと

次に、
淨大肆の伊勢王は、
諸王の事を誄しました。

次に、
直大參の県犬養宿禰大伴は、
宮内の事をとりまとめて誄しました。

次に、
淨広肆の河内王は、
左右大舍人の事を誄しました。

次に、
直大參の当麻真人国見は、
左右兵衛の事を誄しました。

次に、
直大肆の采女朝臣竺羅は、
内命婦の事を誄しました。

次に、
直広肆の紀朝臣真人、
膳職の事を誄しました。

明日に続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



←前のページ <<< >>>次のページ→


ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ  


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

最近の「日本書紀・現代語訳」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事