のぶのぶの音楽雑記

演奏会のお知らせだけでなく、色々なことを書いていこうと思います。

初めてのピアノ発表会

2024-11-20 10:31:13 | 日記





初めて私の生徒さんだけで発表会を開きました。全生徒さんのうちおよそ半分の方々が参加してくださいました。
幼稚園から大人まで。会場は私のお気に入りのパシュタート。シュタイングレーバーを生徒さんたちに弾かせたかったというのもあります。
ただ狭い会場のため、基本親御さんのみとしてしまったのが残念。今度はもう少し大きな会場にし、祖父母やお友達なども呼べる会場にしようと反省しました。

さて、だいたい初めてする何かというのはハプニングが付き物なわけでして(笑)順番を待つ幼稚園児が緊張し過ぎて泣き出してしまいました😭まぁね、本人には悪いんだけどかわいい(笑)順番を変えて前半の一番最後に。それでも結局泣きながら、お母さんを壁にして弾ききりました!演奏はしっかりしたものでした!順番も大事ですねぇ。

発表会初体験の子がほとんどでしたが、緊張しながらもみんなしっかり弾けてました。普段のレッスンでは見せてくれない顔で、感心しておりました。

高校生以降は曲も難しくなり、本番前のレッスンでも心配していましたが、皆さん良く演奏されました。そんなもんで、講師演奏も中途半端なものは弾けないなぁと思いまして(笑)残り時間などを見て弾くものを決めようと思っていたのですが、予定よりサクサク進みましたので、バッハ=ブゾーニのシャコンヌを弾きました。

親御さんたちには、「たくさん褒めて美味しいものでも食べさせてください!」とお伝えしました。

演奏者なんてのは周りがどんなに褒めようとも、本人には反省ばかりなもんです。万が一自分の演奏に満足したらその先はないでしょう。終わってから聞こえてくる、「あそこが〜ここが〜」というのは伸び代ですね。

たまには緊張する瞬間というのはあってもいいのだと思います。自分が弾くだけでなく、人の演奏をしっかり聴く、人の良いところを探して聴く。悪いところなんかは誰だって分かるんですよね。そこを指摘するなんてのは自分の愚かさを露呈するだけです。それを伝え良い方向にしていくのが私の仕事でしょう。生徒さんたちには人の良いところを見つけ、素直に褒められる人になってもらいたいです。

専門的なり自分の楽しみなり、音楽との関わり方はそれぞれで良いので、苦になるものでなく続けてもらいたいです。それを支えてくださる親御さんたちには本当に感謝でいっぱいです。

これからも生徒さんたちが音楽をしていくお手伝いが出来ればと思います。そのためにも自分が常に学んでいかなくてはいけませんね。
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「音学×音楽」、無事終演いたしました!

2024-11-19 19:57:54 | 日記







とても遅くなりましたが...「音学×音楽」、無事終演いたしました!ご来場くださいました皆様、ありがとうございました!

前半のバッハ、パッヘルベル、ブクステフーデを「音学」とし、後半の動物コンサートを「音楽」としました。
動物枠にはクイズも練り直し、ソプラノ・ヴァイオリン・ピアノで演奏するシューベルトの「岩の上の羊飼い」も追加しパワーアップ😂シューベルトが亡くなる直前の作品。動物枠に入れるべきではなかったかな?とも思いましたが、いざ本番を終えてみるととてもフィットしていたように感じました。お客様の反応も印象的なほど大きかったように思います。

大変にお恥ずかしいことではあるのですが、プログラムを全て終え、ゲストのお2人に一言頂いた後、感極まって涙ぐんでしまいました。なぜ「学んで楽しい」というテーマにしたか、というお話を簡単にしようと思ったのですが、そのことが一瞬で頭の中を駆け巡りました。

今年の7月、とあるメールが届きました。「ギリシア哲学や文化、古代ローマの哲学などが音楽とどのように結び付くかを知りたい」と言った内容でした。一度電話でお話すると、彼は80代後半で余命3ヶ月の末期ガンとのこと。こう言っては失礼ですが、病人とは思えないほどハキハキと話される聡明な方でした。お医者様と相談の上、一度に30分程度の通話という条件で私の知っている範囲でお話することになりました。全部で7回だったでしょうか、小さな話し合いをやらせていただきました。通話をするときは本棚の前に座り「さぁなんでも来い!」という気持ちで緊張してましたね(笑)本当に「え、そこ?」っていう角度で質問が来たりしてました。彼は通話を切る時、「次までまた勉強しておきます」といつも言われるんです。いやいや!勉強しておくのはこっちです!というやり取りが毎回ありましたね。

残念ながら9月の末に亡くなられたとご遺族の方からメールをいただきました。なんでも、通話した日はとても機嫌良く楽しそうに感想を語っていたそうです。30分という短い時間ですから、雑談などはほとんどありませんでした。その中で印象的だった一言が「この歳になっても学ぶことが楽しい」という言葉でした。私より55以上歳上ですが、そんなことを言える、思えるということにただただ頭が下がる思いでした。

私がお伝えしたことが彼の欲するものだったかは分かりません。そうであってほしいですが...。しかしながら私にとっても楽しいひと時でありました。演奏以外の面で音楽と向き合えていたように思います。初め彼は「ピアノは弾けないのだけど」と申し訳なさそうに言っていました。しかし、演奏するだけが音楽ではないし、音楽との接し方は十人十色本当に人それぞれで良いのだと思っています。

今回のコンサート、表向きは親しみやすそうなファミリーコンサートですが、中身はそれ一辺倒ではないのが想像できるかと思います。もちろん親しみやすさについては十分考えました。その結果がクイズという形でした。もちろんクイズも全て私が考えました。子供から大人まで参加できる、しかし音楽に何かしらの形で結び付く問と答えを意識しました。

終演後、アンケートには「知っている曲も解説を聞いてから聴くと全く違って聴こえた」、「クラシックのコンサートには縁がないと思ってたけど楽しかった」、「子供が最後までちゃんと聴いて、クイズを楽しんでいた」、「楽しく学ぶことができた」というような内容のことばかりで、大変嬉しく思いました。

論文のようなプログラム、あまりにも偏った説明、解説が伴わない演奏のコンサートには私も賛同できかねます。しかし、曲への手引きや解説はあってよいのだと思います。個人的にアンケートで嬉しかったのは「ゲマトリアによる音楽の見方が面白かった」というのがいくつか見受けられたことです。ゲマトリアでもっと音楽を見たいということを書いてくださる方までいらっしゃいました。ゲマトリアについては本当に少し触れる程度でした。しかし、それに興味を持ってもらえたのはありがたいです。

シューベルトは亡くなる寸前まで対位法のレッスンを受けていたといいます。私は自然とその生徒を重ねて見ていたように思います。彼とよく話したのもシューベルトでした。今回のコンサート、形こそ決まっていましたが、生徒との出逢いによって「学ぶ」という面が無意識に大きく出ていたように思います。しかし、お客様の反応から「楽しく学ぶことができた」という声を戴き、とても嬉しく思いました。
...まぁ一度もあったことのない人でしたが、色々なことを思い出してしまい、恥ずかしながらステージ上で言葉を詰まらせてしまいました。

さてさて、次は植物シリーズかお国柄シリーズか...クイズコンサートはしばらくお休みになりますが、そのうちまたやろうと思います。
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好きを追究した最高の形

2024-10-22 18:59:01 | 日記

榎本智史さんの「十二音の色彩~シェーンベルク生誕150年によせて~」に行ってきました。シェーンベルクの他はベルク、ヴェーベルン、ハウアー。

聴き終えた直後の率直な感想として「好きを追究した結果生まれた最高の形」ではないかと思いました。自分が演奏するスタイルの音楽ではないので、ご本人的には反省点があるのかも分かりませんが、榎本さんが伝えたいことは今日集まった聴き手の方々には確実に伝わったのではないかと思います。

プログラム構成は聴く側への配慮が大きく、美術館をガイドさんと一緒に周っているよう。榎本さんの「当時この音楽は理解されるのに100年かかると言われていました。今100年経ちました!」という言葉に笑いが起きましたが、本当にその通りだなぁと思いました。まぁ当時そう言った人達は自分が100年後生きていないからそう言ったのでしょう。榎本さんの話したように「それが今でも議論になる」というのはこれ如何に。

十二音技法についての本や著名なピアニストによる演奏は多くあります。しかし、魅力を伝えるためのその中間が無かったように思います。たしかに研究しつつそれを演奏で表現するというのは大変なものでしょう。しかしそのようなことが少なかったというのがこの100年後の結果ではないかとも感じました。

榎本さんがこのコンサートに向けて開催していた「私的演奏協会」やSNSでの発信は面白くて分かりやすく魅力的です、が、それらと同じくらい演奏が素晴らしいです。研究したものが血肉となりイキイキとした音楽となっているようにいつも感じるのです。

コンサートは1本を通してシェーンベルクとその周辺の作曲家たちの十二音への道を旅するものでした。たしかにしっかり理解するのは難しいかもしれませんが、そこに在る響きは紛れもない「音楽」そのものでした。

良いコンサートを聴くと興奮でとてもドキドキします。これは大きな会場のコンサートでもそうですし、直近で言えば加藤綾子さんのコンサートでも同じ感情を味わいました。今日のコンサートでも同じ気持ちになりました。

アンコールにはオブーホフの「互いに愛し合いましょう」。これは私が榎本さんに習った曲でもあり、今もちょくちょく弾いているお気に入りの1曲です。最初の音でなんの曲か分かった瞬間、本編最後のジーグで鳥肌が立っていたのになぜか涙目になるという😂アタシの情緒行方不明(笑)
帰りには思わず拍手したまま榎本さんに「凄かったです!」というはたから見たら変人に。

このような取り組みが遅れた100年を取り戻していくことと思います。100年経って理解され始めていく、その口火となったようなコンサートでした。
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加藤綾子さんの「形式を呼吸する」

2024-10-21 19:06:18 | 日記
10月9日、加藤綾子さんの「形式を呼吸する」へ。かなり早いうちに日時が発表されておりましたので、バッチリ空けて楽しみにしていたコンサートでした。

・加藤さんの演奏が聴ける
・加藤さんのデュティユーが聴ける
・大瀧さんの伴奏が聴ける
・灰街令さんの作品が生で聴ける

なんと素晴らしいコンサートでしょうか。

バッハのBWV1015から始まり、バッハのBWV1001をベースとした灰街さんの新作、西村朗さんの「炎の文字」、デュティユーの「夢想の樹」。いやぁ〜プログラムを見ただけでもお腹いっぱい(笑)全てがメインとなりうるプログラムです。

バッハの1015はチェンバロとピアノのための作品。なんとなくどことなく漂うヴィヴァルディの香り。チェンバロをモダンピアノで弾くこととオーケストラパートをピアノで弾くことについてプログラムノートでは言及されていました。しかしまぁ…演奏でそれは非常に分からせられます。

アンサンブル、ソロ、コンチェルトの形式でしょうか。プログラムを1つ1つ取り出しても絶品なのですが、1つのなにか見えないながらも確実にそこに在る形式によってまとめられていく会でした。

音を発している楽器というのは目に見えていても、空気を震わす音というのは見えないのですよね。しかしそこに在るというのは紛れのないものなわけで。そこに灰街さんが作曲された新しい「かたち」が表れるのです。

西村さんの作品については流れに乗り切った加藤さんの演奏。初めて聴いた曲でしたが、演奏同様作品が素晴らしくぜひまた聴きたいと思いました。

後半のデュティユーは色々な理屈など抜きに本当に凄い演奏でした。「凄絶」という言葉がピッタリでしょう。伴奏というにはおさまらない、大瀧さんの演奏も凄かった。時に協奏し時に殴り合い、「形式を呼吸する」というコンサートなのに呼吸するのを忘れてしまうほどの圧倒的な演奏でした。

会場の温度も上がったのでは?と思うほどのコンサートでした。
加藤さんのソロコンサートへ行くのは3回目になります。毎度様々な刺激を受けると同時に、回を重ねるごとに加藤さんの考えがより立体的になっていっているように感じます。次回のソロコンサートも楽しみですが、しばらくは今回のコンサートを反芻したいと思います。

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生徒が紡ぐリストの音楽

2024-09-17 17:27:45 | 日記



【生徒が紡ぐリストの音楽】
師の言葉で私に深く残っているものがあります。10年以上も前の会話です。
「リストだってバカじゃないんだよ。ただバカみたいな曲をバカみたいに弾くからバカみたいに思われているんであって(笑)」
その師と最後に話したのもリストのことでした。
「リストは本当に大きく誤解されている作曲家だよなぁ」

運命と言いますか、不思議なもので今私が昔からの師に習っているのもリスト。生徒さんが本腰を入れて学んでいるのもリスト。しかも私が勉強している曲とほぼ同時期に作曲されたもので、やはり共通点は多いです。生徒さんが勉強しているのは伝説の2番。「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」という曲ですね。

譜読みの前段階から簡単な分析を一緒に。写真は初版の扉と序文です。この扉は全て詰まったような絵で、細部まで目を通し、持っている物や書いてあるものの意味の解説から要所要所のゲマトリアでの分析をしました。曲からしてもリストの信仰心というのはうかがえますが、ゲマトリアでの分析はそれを裏付ける結果となったのには驚きました。リストが求めたカリタス!の響きとはなんだったのか…?ある意味の神秘思想みたいなものですよね。ベルナールやヒルデガルト・フォン・ビンゲンのような。伝説1番のアッシジの聖フランチェスコについての文献はたくさん見つかるのですが、パオラの聖フランチェスコについては日本語で読めるのがほぼ皆無でした。どんな伝説なのか、この舞台はどこでどんな波が来るとこなのか、聖書との関連etc...
それを基に丁寧に丁寧に一緒に作ってきました。完成にはまだ時間がかかるでしょうが、本当に素晴らしい演奏になりそうで、私が今からとても楽しみです😂
弾けなくて奇声をあげるのがまた面白かったりもする(笑)

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敬老の日

2024-09-16 18:46:22 | 日記

今日は敬老の日です。
祖父母に電話をし、少しの時間音楽について考えていました。今日祖父に言われた一言を私は生涯大事にすることと思います。

「レッスンは1つ1つ丁寧に。」

祖父は音楽をやる人間ではありません。音楽を知っているわけでもありません。しかし、全ての仕事に当てはまることですよね。
この一言は当たり前でありながら時に忘れてしまうことではないでしょうか?
教わる側が「いや、これは違う」と判断するのは難しいことだと思います。私だって子供のころは「違う」と思うことはほとんどなかったように思います。それだけに教える側の「責任」というのは大きいです。我々の場合「1つの正解」は無いですよね。ですが色々な正解がありつつも「間違い」はあります。もし生徒さんが「間違い」へ進んでいたらどのように言われても返せなければなりません。そうなるとやはり常に自分も勉強していなければならないんですよね。

数日前、少し音楽についての会話をしました。音楽とはなんぞ?ということでした。レッスンでの会話ではありませんのでここに書いてもいいのですが、なかなかに深く考えることでしたので、レッスンで生徒さんと話してみたいと思います。

デカルトに「我思う故に我あり」とありますね。様々な角度から疑うことによって、自我はあることが分かるという…原文はラテン語で「Cogito, ergo sum」
cogito-考える(単数・1)
ergo-だから
sum-ある、いる、である(主格)
繋げると「私は考える、だから私はある」となります。
散々色々なことを考えた結果が単語3つで言えてしまうんですよね。

音楽について色々考えます。しかし案外まとめると短いことなのかもしれませんね。そんなことを思う敬老の日でした。祖父は93歳。まだ元気に過ごしてもらいたいです。

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地道な勉強

2024-09-12 10:39:00 | 日記

絶版だったので中古で買いました。
まだ目次と索引に目を通しただけですが、注意して読めば面白そうな内容。
中身はお見せ出来ないのですが、かなりの書き込みがあります(笑)こういう場合の書き込みは「あ、前の持ち主にとってはここが大事なんだな」と系統と言いますか、趣味が浮き出てきますね。見る限り私とは狙いが違いそう。

オンラインレッスンの生徒さんは楽曲分析が中心の方が多いので、常に勉強していないと質問された時にサッと返せない😂最近じゃ生徒さんが色々な知識を得ているので、それを見極めなくてはならなくなりました。どこで読んだかなど注意しなくてはなりません。
この本の索引を見ると「バッハ」、「タトロー」、「ピカンデル(ピカンダー)」の名がありましたので、おおよその中身は検討がつきます。が、この著者は音楽学者ではなく数学者です。鵜呑みにしてしまっては危険です。ネット情報より幾分良いものの、本も注意が必要です。

例えばゲマトリアの説明時に、聖書に出てくる人名を数字化した時の数と、聖書内のとある数が一致するということや、カンタータとの一致について話したりします。しかし、ヒトラーの名やビル・ゲイツの名が666になる、というのはオカルト過ぎると思う。ゲマトリアというのは意図的か偶然かという線引きは大事で、何でもかんでもを結び付けるのは危険です⚠️

そこから音楽へ繋げようとするのはもっと注意し、客観的に見ていかなくてはなりません。地道に勉強して研究していかなくてはですね。
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自己啓発と他者啓発・共感と支持

2024-09-10 19:01:59 | 日記
最近やたら自己啓発系の投稿を目にするようになりました。それ自体を否定する気はないし、その人がそれによってより良い生活を送っているのならそれは結構なことだと思います。

しかしながら、それを他者に押し付けるようなことについては考える部分があります。自己啓発は結構だけど、「他者啓発」はやめてくれ、ということです。そもそも自己啓発系の動画ってのは、人がその動画を見てる人への他者啓発でしかないと思うんですよね。私が嫌悪するのは「他者啓発動画を他者啓発すること」です。

「私はこのような行動をしてより良い生活ができるようになりました!」は自己啓発でありその報告ですよね。
しかし、「これをするとこんなに良くなるんです!試してみてね!」になると他者啓発に。いや、これ自体はべつに良いんですよ。人によって合う合わないはあるし、その情報のおかげで助かる人もいる。そしてこの動画を見て「共感」するのも良いんです。しかし、「支持」になると話は別です。「この人がこうしたらこうなったんだって!だからみんなもやろうよ!」と善意で拡散しているのでしょう。しかし、人によってはありがた迷惑でしかないこともあります。

近年、SNSの普及といいますか、様々な形で自分を発信できるようになりましたね。旧TwitterやYouTubeを始め、短い時間の動画で自分の考えを発信出来るようになりました。だからこその現象なのでしょう。昔から「自己啓発」自体はありましたし、それこそ多種多様だったはずです。流れてくる動画を見ても、それぞれのニーズがありますね。ですが、よくよく見ると根本はほぼ同じで、しかも言ってることは一般的に「当たり前」なことばかりです。そういう部分だけ抜き取って考えると、少し前なら怪しい宗教団体の火種となるものだったのではないかと思います。「元気に挨拶をしましょう」、「人を大切にしましょう」、「やり方ではなく在り方が大事です」etc...

分かった分かったもういいよ、と言いたくなるものばかり流れてきます。拡散する前に「共感」と「支持」について一度考えてみてほしいです。なんなら「えー!こんなに良い考え聞けてラッキー!独り占めしちゃお♪」ぐらいの気持ちでいてもらってかまいません。

もう本当にそういうのを求めるんだったら聖書を読んだら十分だと思います。決して薦めないけど(笑)私はキリスト教の人間ではありませんが、音楽のために読んでいます。面白いですよ?絵画を見てもアニメを見ても「あ、あの部分のオマージュだなぁ」とかけっこう発見があるものです。だからほら、読も?

まぁ冗談はさておき。自己啓発は昔からあったと書きましたが、誰しもが持っているものなのかもしれませんね。十人十色と言いますか、万人に通ずる考えなんて滅多にあるもんじゃないです。もし通ずるのであればそれは「普通」のことです。
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推し活・児玉真子さんのコンサート

2024-08-10 20:00:27 | 日記
推しのフォルテピアノ奏者・児玉真子さんのコンサートに行ってきました。



数年前に偶然SNSでお聴きしてからすっかりハマってしまい、勝手に推している演奏家さんです。日本での活動は愛知や岐阜が中心のため、生演奏に接する機会はありませんでした。その児玉さんが東京でコンサートを開かれるのですから行かないわけにはいきません!(笑)

前半は1795年のワルターのレプリカ(2023年製)。後半は会場であるタカギクラヴィア所蔵の1825年製ヨハン・クレーマー。クレーマーは作曲家、ピアニストとしても活躍した方で、日本では「クラーマー=ビューロー60の練習曲」なんかで目にすることが多いかもしれませんね。

前半はCPEバッハ、ハイドン、モーツァルト。クラヴィコードによるCPEバッハはよく聴きますが、フォルテピアノでの響きは生では初めてでした。なるほどたしかにクラヴィコードの延長線上に在る楽器であることを改めて感じます。奏法、解釈によるとこももちろんあるでしょうが、モダンピアノからは漂うことのない香りがありました。あの楽器だからこそ生まれた幻想曲という雰囲気がしっかり感じられました。

モーツァルトのソナタは3番K.281。私の大好きな曲で、2楽章にはamorosoと付けられています。普段はやはりピアノの音で聴くことが多いですが、三度の響きや三連符の響きはピアノからは聴くことのできないものでした。やはりこのような楽器で聴くとamorosoのイメージも掴みやすいのかもしれません。3楽章にしても、モーツァルトの遊び心がモダンよりも存分に感じられる演奏でした。児玉さんがハイドンの時にお話していた「語り口」というのを強く感じた瞬間でもありました。

後半はクレーマーを使用してのベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン。テーマとなる「古典派と初期ロマン派」が感じられる並びと楽器の変遷ですね。
ベートーヴェンを聴き始めてまず驚いたのはクレーマーの音色。


ものすごい楽器だと感じました。矛盾するような言い方ですが、モダンピアノからは感じられない雑味が素晴らしく良い響きを持っているのです。そこに児玉さんの技術が乗り、本当に素晴らしいベートーヴェンを聴かせていただきました。個人的にはこの日のハイライトでした。幻想曲Op77は大好きな曲でグリンベルク、フィッシャー、ブフビンダー、ブレンデルを愛聴していますが、いずれもモダンピアノですね。こちらも初めてフォルテピアノで聴きました。音量とかではなく、あの楽器から出る熱量と言いますか迫力がありました。それを引き出したのは児玉さんのテクニックもまた凄い。同じ「幻想曲」というタイトルが3つありますが、そういった変遷も裏テーマとしてあったのでしょうか。本当に感動的なベートーヴェンでした。

ラストはメンデルスゾーンの幻想曲。「スコットランドソナタ」なんて呼ばれたりする曲ですね。モーツァルト、シューベルト同様今日モダンでよく聴く曲ですが、ベートーヴェンを聴いた感覚と同様、モダンピアノとは違う種類の迫力がありました。ペダルの効きなんかも、パッと思い浮かぶベートーヴェンのテンペストでしょうか。ベートーヴェンの指示がとても腑に落ちる瞬間が多々ありました。

今までは画面上でしか聴くことの出来なかった児玉さんの実演はやはり素晴らしいものでした。昨日のコンサートによって間違いなくファンが増えたことと思いますので、ぜひ今後も関東でのコンサートも積極的に行ってほしいところです。昨日行けなかった方も次回はぜひ。モダンピアノにしか触れる機会がないという方は必聴の演奏だと思います。
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生と死は大違い、しかし生と死は紙一重

2024-08-05 15:50:05 | 日記
ふと、今までに本気で「死ぬ」と思った瞬間があったかを考えました。なんの前触れも無く、です。なぜ私がそういう思いに陥ったかは分かりません。しかし私には「あ…今日なのか…」と思った日がたしかに在りました。

3月11日、東日本大震災です。
揺れ始めるとすぐに立っていられないほどの大きな揺れに。母とこたつに入ってテレビを見ていました。ちなみに午前中には大学不合格の通知が届き、はぁぁと落ち込んでいた時でした(笑)

カタカタと始まった揺れはあっという間に大きくなり、とんでもない揺れになりました。母は体調が良くなかったのか、どんなに揺れようともこたつから出ず、外に逃げようとした私を呼び止めました(いかがなものか‎🤔)。そして部屋にあったピアノの下に入るよう言いました(ダメ絶対!)。

さて、揺れはとても長かったように思います。実際の時間よりも長く感じました。その時に初めて「死」というものを感じました。
(あぁ…きっと家が崩れて色々な物の下敷きになって死ぬんだな…いやぁそれにしても大学落ちた日に死ぬ?やだなぁ〜痛いかなぁ〜えー痛いよね?やだなぁ〜まだ弾きたい曲いっぱいあるんだけどなぁ〜)
ということを本当に考えてました。車に轢かれる時のスローモーションみたいなものでしょうか?揺れに恐怖しながらものんびり考えていましたね。緩い!と思われるかもしれませんが、「死」が近付いてくる時はそんなものなのかもしれませんね。


写真は私の部屋です(ガラケーの画質!)。揺れがおさまってから行ってみると、色々な物が部屋の中央に集合していました。なんで扉開けたらテレビがいるの?と思ったものです。これは当時モバゲーに載せたものですが、前日の3月10日に「生と死は大違い、しかし生と死は紙一重」というタイトルの日記を投稿していました。

では東日本大震災が自分のなにか大きなポイントか?と言われればそういうわけではないようです。「死ぬかもしれない」と感じた唯一の瞬間ではあります。1000年に1度と言われる大きな揺れを体感しただけ、という感じ。実際その後の被害は私なんかよりもずっと大きな方がたくさんいたわけですし、ライフラインもそんなに影響はなかったです。

ただ、たしかに「死」を覚悟したことは大きいかもしれません。ほら、体調崩した後って健康に感謝するじゃないですか?それと同じで、ただピアノが弾けるだけで幸せを感じます。大袈裟ではなくて。

先日、大学の友人に久しぶりに会いました。彼は、出会った頃に私が言った「俺は俺の周りの人が幸せそうなのを見ると自分も幸せになるから、周りが幸せならそれでいい」と言ったのが印象的だったらしいです(言った覚えは全くないけど、たしかに昔からそう思ってはいる)。友人は非常に自己中心的な人間なので、私が言ったことは全く理解出来なかったらしいですが、最近それが何となく分かる気がする、と言っていました。
震災では幸いなことに身内の犠牲者は出ませんでした。もしかするとこのことが原因でそういう考えに至っているのかもしれません。彼に久しぶりに会ったことがトリガーとなって「死」について思い出し、そして考えたのかもしれませんね。

練習、演奏会、レッスンなどをしていると音符に追われることが多々あります。一度立ち止まり、たとえ苦い思い出でも噛み締めてみる時間は大事なのかもしれません。一度深呼吸をして今生きていることに感謝しながら大好きなピアノにもう一度向き合おうと思います。譜読み祭りです。ブクステフーデを始め、今はこの世にいない人間の創った音楽にただただ真摯に向き合っていきます。
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