今日からテレビ朝日で「越路吹雪物語」がスタートしました(*'▽')
朝 グッドモーニングを観ようと思ってテレビつけたら
CMがやってて
雪国の女学生たちが腕組んでキャッキャしてるような映像が一瞬流れました
それを観た瞬間 ふっと思い出しました
あら? 越路吹雪って・・もしかして?(/・ω・)/
急いでパソコンあけて調べてみたら やーーっぱり・・
越路吹雪さんは ワタシの母の高校の大先輩なのでした
軽く一回り以上違いますが
母が生前
「お母さんの高校には 越路吹雪が通っていたのよ」
と、よく自慢していたのです
ど田舎の僻村地の高校からあんな有名人が出るなんて
それはそれは誉れ高き出来事だったに違いありませんが
ワタシは この越路吹雪さんについて 一切存じあげません
そして
越路吹雪と聞きながら
今日の今日まで朝丘雪路の顔を思い浮かべておりました( ゚Д゚)
調べてみると 越路吹雪さん・・
ハッキリ言って母の故郷とは ほとんど縁もゆかりもない感じ?
ウィキペディアを見る限り
生まれは東京だし お父様の転勤で伴った所は新潟だし
どこでどうして 母の高校に入学することになりましたの(・・?
全くのナゾです・・・
名前の越路は新潟にちなんだものだそうですが
これが長野ならば信濃吹雪になっていそうなものですよね
👆これはこれでいい感じ?
越路吹雪さんは 母の母校を中退し宝塚に入学しているらしいので
果たして どのくらい在籍していたのでしょうか?
まさか1カ月とか(・・? そんなんだったら笑っちゃいますが・・
どんな経緯で 一時でも高校に通っていたのか
ドラマで明らかになるのか・・・・ スルーかなぁ・・・
まぁ 母が生きていたら きっと喜んで
観るに違いないので 母の代わりに観てみようかなぁ~ と思います
母はとっても変わったヒトでした
ちょっと常人離れしている父との生活に疲れ果てて
ワタシが物心ついた頃にはすでに
精神疾患を患っていたので
元々の母が どういう人だったのか サッパリ分かりません
精神疾患と言っても ずっと言動がおかしいというわけではなく
周期的におかしくなってしまうというサイクルを持っていて
春先とか秋口とか 季節の変わり目などは 調子を崩しやすかったりとか
何となく 最近 目が二重になって ボーっとしてるなぁ・・と思うと
突然
「ご飯 作れなくなっちゃった・・」とか言い出すので
それが簡単な料理ならいいんですけど・・
一度 おでんを作ってる最中に そう言われたときは
子供のワタシには
「おでんって何で味付けるの(・・?」
サッパリ分からず 途方にくれました
作りはじめから すでにメンタルがヤバい状態だったので
いつもの3倍量くらいのコンニャクとか竹輪とかが
お湯の中に浮いていて 肝心の練り物はないし
分からないまま しょう油だの 砂糖だの 自分の舌だけを
頼りに味付けしても 全然おでんの味になりません
そのうちに父が帰って来て 大量のまずいおでんに激怒するし
あの時は味が全く染みていないコンニャクをかみしめながら
涙が止まりませんでした
(おでんの味付けは 市販のおでんだしを
入れれば簡単に出来ると知った時は 愕然としました)
突然 カミサマの声が聞こえる・・とか
石のように動かなくなっちゃったりとか
とにかく いつでも見てて不安な母でしたけど・・
子供たちの受験などの節目節目には 必ずおかしくなって
入院してしまうサイクルなどを考えると
やっぱり原因は父だったんだろうなー と今なら分かります
父の不安やストレスが母を追いつめて
正気でいられなくさせてしまっていたんだと思います
母なりの防御だったのでしょう
母は子供が甘える事を一切許さない人で
「おかあさーん」なんて飛びつこうものなら
「やめてちょうだい!みっともない!」と拒絶されました
母が療養のため、実家に帰されていた時期があるのですが
もう帰ってこないのではないかと不安になったワタシは
毎晩 母の実家に電話をかけました
何日目かで
「もう かけてこないでちょうだい」とキッパリ言われ
もし離婚するならワタシは母についていきたいとお願いしても
「やめてちょうだい それはムリ」とハッキリ断られ
ワタシ自身が母親になった時に
初めて
「ちょっと おかーさんて
ひどくない? ( ゚Д゚)」
と、思いました
ワタシは 不安な気持ちになってる我が子に
こんな粗塩対応 断じてできません
ただ・・
思い返すと 母は最低限のことは きちんとしてくれました
かなり一方的でしたけど
かなり義務的でしたけど
母なりに母としての努めは果たしてくれました
寝相の悪いワタシの為に
毎晩必ず2回は布団のかけ直しにやってきてくれたし
風邪を引かないように これでもかってくらい厚着させてくれたし
何も言わずに 黙々と ワタシを気に掛けてくれてました
母が息を引き取るとき 誰も看取る事が出来ませんでした
ワタシは 母は亡くなる日、ほぼ一日ずっと側にいたのに
かんじんの最期の時を 側にいることが出来ませんでした
母は癌で亡くなりましたが
亡くなる日は 相当苦しそうで 前日は眠る事が出来なかったと
朝、病室に行ったワタシにそう言いました
でも精神疾患の既往歴のせいで
病院の対応は ものすごく冷たく
呼んでも来てくれない
食べれる状態じゃないのに フツーにご飯が出されて
フツーに内服薬の錠剤が出て
飲めるわけないのに飲まなきゃいけないとか
父が無理やり飲ませたら
喉に詰まってしまい
看護師が へんなチューブを口に少し突っ込むマネだけしたら
「もう少し様子みよう」とか言って すぐいなくなっちゃうし
最後まで先生も現れないし
モルヒネも打ってもらえませんでした
それでも何も言わず 最後まで耐え忍んで
1日中病室にいたワタシに気付くたびに
「いてくれるの? ありがとう」と言いました
「1人じゃさびしいでしょ?」とワタシが言うと
それまで 絶対に口にしたことがない
「さびしいよ」という言葉が出たので驚きました
母は いつでも ワタシがまとわりつくと
「お母さん 一人になりたいから」と言って
背を向けてしまうところがあったので
母に こんな感情があるなんて とても意外に思いました
そんな言葉を確かに聞いたのに
1人で逝かせてしまったことは
今でも 悪かったなぁ・・と思いだしては後悔してます
てか
なんで最後の最後で
そんな人間らしい
優しい言葉を語る?( ゚Д゚)
めちゃめちゃ後味悪くなっちゃって
12年も引きずってるんですけど
おかーさん(>_<)