LIPRIVERの部屋 (フォトブログ)

1日数枚の写真を掲載 花の写真、神戸の素敵な所、関西を中心とした写真を紹介。ただ、写真と記事とは余り連携していません。

自分史5

2007年10月19日 | 自分史

 昭和39年オリンピック。この年に阪神タイガースの優勝。思い出深いものがある。阪神優勝パレード。国道2号線をオープンカーで、カッコよかったな。でも、この時、私なりに傷ついた事がある。当時、村山投手。子供心に、村山投手、村山投手と声を掛け大声で叫ぶも知らん顔、友達と村山に馬鹿野郎と叫んで逃げた記憶。あれ以来阪神タイガースが大嫌いになりずっと負けてしまえと子供心に思った。それ以来、嫌いになったと思う。優勝に縁が無かった不遇の時代、回りは巨人ファンが多かった。当時、阪神ファンは少なかったかな?。巨人はテレビで毎日見れるし、それが影響していると思う。子供の頃、関西でも確か巨人の帽子をかぶった子が多くいた。私の家と言えば親父は広島、兄貴は阪神。家族みんなばらばらだった。関西では阪急が全盛期、それでも中々巨人を倒す事が出来ず悔しい思いをした時代。この頃、私も三角ベースの野球から、少年野球のチームに入り、神社の境内でキャッチボールをし、夕方暗くなるまで基本を教えて頂いた記憶がある。監督がくしかつ屋をしていて、よくご馳走になった記憶。5円だったかな。それも飛びっきり硬い肉(関西で「捨てるもの」を意味する「放(ほお)るもん」から採られたという説)何時まで噛んでもなかなか口の中からなくならなかった。それでも当時は美味しい食べ物であったような気がする。今ではホントあの硬い肉の正体。一体なんだったのでしょうね。でも、小さい頃の思い出の味です。野球においては、キャッチボール。そして最後には毎日境内のブロック塀にボールを投げつけ、下もガタガタの砂利道。まともに手元に帰ってこないし、そんな練習が4年生の時、半年ぐらい続いた。あの時の練習が良い練習になって後々のグラブさばきにつながったと思う。最初は気のないボールを投げ、良く叱られ、頭を叩かれコブを作った記憶。今じゃ考えられないけど、良い思い出として残っている。

コスモス