一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

御聖体2―手で受ける―

2016-10-04 07:44:46 | カトリック
今から10数年前に結婚指輪を婚約者と宝石屋に行きました。
当時彼女は新卒の新入社員、私は大学生。
お金はそんなにはありません。残念ながらもちろん今もそうですが💦
 店員はこれでもかこれでもかと、金やらプラチナやらの指輪を取り出しては、見せてくれます。さすがにジュエリーショップだけに色々なものがあります。それはとても美しく輝いている物もあります。店員は宝石を取り出すとき、白い手袋をはめて、試着する私たちの指輪を戻すとき丁寧に丁寧に拭いては戻していきます。結局貯金も無い私たちに指輪にお金をかける余裕も無く―当時の金価格は現在の四分の一以下ということもあったのですが―18金のささやかな指輪で落ち着きました。二人で一万円くらいでした(笑)
さて、店員さんは宝石を大切に扱っておりました。宝石屋に限らず博物館でも職員は歴史的な物を素手では扱いません。私たちは大切なものに触れようとするとき素手では躊躇するものがあると思います。中には手を洗ってから触れるものもあるかと思います。それだけそれは大切なものであったりするのです。
さて、イエズス様の体そのものである御聖体は、現在日本では手で受ける人が圧倒的に大多数です。
ここからは私の感覚と主観になります。よく考えて見てください。
確かにイエズス様は私たちと一つになるために食べ物の形になりましたが、お腹が空いたから食べる食物の類と同じではありません。礼拝の対象です。秘跡として私達に授けられるものです。宝石や博物館の絵よりも大切なものです。宝石や博物館の絵は主の造られたチリから作られたものに過ぎません。
それよりもはるかに尊くはるかに価値があります。むしろ比べることくらいが馬鹿馬鹿しいのです。創造主と被造物の絶対埋まらない違いです。
司祭は聖変化の前に自分の手を清めて手を洗います。
私達は宝石以上に大切にしていますか?手で触れるのは躊躇しませんか?私たちの手は清いですか?御聖体とはなんですか?




安心ケータイサービス

2016-10-04 05:51:13 | 日記
土曜日の午後からスマホの通信が、おかしくなってしまいました。
Wi-Fiは繋がるのですが、通常の通信ができません。
すぐにショップに駆けつけると、SIMカードの不具合だろうということで、カードを変えたのですがそれもダメだったみいです。
修理が必要と言われましたが、安心ケータイサービスに加入してるので同機種と交換できるということでした。
昨日仕事から帰ると家に新しいのが届いておりました。
昨日1日はスマホが使えなかったのですが、色々不便でしたが、今日から通常運転です。