一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

小斎日

2016-10-14 14:46:18 | グルメ
私は営業の仕事をしているのでお昼は外食にならざるを得ないのですが、特に今日は金曜日なので、伝統に従って小斎(鳥獣の肉を断食すること)を守っています。
金曜日は主がこの世のために亡くなられ、贖罪に対する日を忘れないためにも何かしらの犠牲を捧げることを教会は求めています。
金曜日の小斎は教会の6つの掟でしたが、現代の教会ではこの掟は無くなったようです。しかし金曜日の小斎が変わっても、今までのように小斎を守るのもよし、その他何かしらの犠牲を求めています。
しかし、伝統教会が長い間定めてきた小斎がどれほどの犠牲に値するのかは私にはわかりません。小斎をしないカトリック信者は毎金曜日に(小斎の代わりとして)何を犠牲に捧げているのか私は興味があります。
今の時代小斎も場合によってはかなりの大きな犠牲になっています。しかし主のためそれに私は満足です。

悪魔的な方向感覚喪失

2016-10-14 07:44:58 | カトリック
伝統的なカトリックの精神はある時を境に変わりました。私の親戚一同が年に一回程集まるとき宗教の話になると必ず異口同音に口にするのが、「教会は変わったよな」です。
私の親族は皆カトリック信者なので、信仰のある人とそうでない人の格差が激しいのですが、信仰面で尊敬する叔父さんから聞いたことは、「教会(の考え)は常に変わっている。昔はみんな同じ事しか話さなかったが、今はみんなが違うことを言っている。私はついていけない。最終的に司祭の結婚まで認めるようになったら私は生きていけないだろう」的なことを言われたことがあります。
私も時々色々なカトリック信者のブログを見て回る時がありますが、勉強になるものあります反面、中には世間(カトリック信者では無い人)の人とまったく変わらないびっくりするような内容のものもあります。
ブログはあくまでも字だけの物なのでその人の本意までは分からないので、決めつけることは避けたいのですが、反カトリック的で神様を悲しませる内容もあるのです。カトリックを改革しようとか、この教義はおかしいとか、色々あります。
教会の信者さんと話すときも色々あります。
私がその時思うことは、もちろん私も含めて感じることは、なんという生ぬるい信仰生活をおくっているのだろうか、ということです。本当に自分は神様中心の生活を心がけているのだろうか。
ファティマの幻視者の1人であるシスター・ルチアは私達に警告をなさいました。それは
「悪魔的な方向感覚喪失」という言葉です。この発した言葉の前後を見てみますと、それには以前までのカトリック教会と現代のカトリック教会の対比が込められています。間違い無く私達に向けられた言葉です。そしてこれは、前述の私の親戚の言葉と同じなのです。以前のカトリック信者であれば必ず守ったこと、言わなかったこと、しなかったこと、これらが破られていることです。そして多くの人が教会の伝統破壊に意識的にも無意識的にも参加させられています。
ファティマの出現でもっとも恐ろしいビジョンは地獄のビジョンでした。3人の子供たちは傍らにマリア様がおられなかったら瞬時に死んでいただろう恐ろしい光景を味わったのです。この地獄は必ず存在していて、そこにはたくさんのカトリック信者が堕ちているというのです。しかもそれは雪のようにです!
今から99年前の比較的今よりも信仰にあふれた時代でさえそうであるのに、なぜ現代では地獄に堕ちる人は少ないだろう!むしろいないかもしれない!と言えるのでしょうか。
油断してはいけません。私達の救霊は常に危うい状態に置かれています。とくに私達の周りを見渡すとうじゃうじゃと罪に導くものがあふれています。外を少し歩いただけで罪を犯しそうさえになります。それほどに危険な世界です。甘い言葉や生ぬるい言葉は私達は大好きです。楽です。誰でも天国には入れるならば私達は祈る必要も、道徳も倫理も守る必要はありません。真の宗教を信じる必要もありません。
もう一度「悪魔的な方向感覚喪失」という言葉を黙想したいと思います。