脳内一人旅日記・改

登山、ロードバイク、一人旅好きのつれづれなるブログ。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(9)秦さんとの再会

2017年10月31日 | 水樹奈々聖地巡礼
別子飴本舗の営業マンである秦さんとお会いすることになり、新居浜駅で待ち合わせ。


顔を見た途端に思い出してくださったみたいで一安心。


2015年のおいらがテントでキャンプしようとしてた時の話も、電話で話した時はそんなこともあったかなあ?という感じだったのですが、お互い顔を見合わせたら細かい所まで思い出してくれました。


店までの道すがら、今回の別子銅山の旅についていろいろ話したのですがやはり秦さんも驚いてましたね(笑。


特に、第二通洞や余慶坑について話すと、歩いてたのに突然足を止め、まるで珍獣でも見るかのようにおいらを見回し、「なんや、こいつ?」みたいな反応だったのは笑いました。



店に入り、改めて今回の出会いに乾杯をします。


電話した時は夕食を取っていたところで少しお酒も入っていたようでした。
もう少し電話するのが遅かったら、この日は家から出なかったとおっしゃっていたので、ホテルについてすぐに電話したのも良かったんだなあと思いました。



秦さんは以前にマイントピア別子に勤務していたことがあり、別子銅山について十分な知識を持っている方です。
そんな方が、おいらの別子銅山マニアっぷりに舌を巻くほどですからちょっとは誇ってもいいのかなと思っています。


いずれにせよ、奈々ちゃんきっかけで別子銅山が好きになり、その別子銅山の好きっぷりで地元の方がおいらのことを覚えててくださるのであればこんなに嬉しいことはありません。


別子銅山について言えば、別子銅山下部鉄道の廃線巡りで、マイントピア別子から廃線跡が立入禁止になっている理由について、マイントピア別子で働いていた秦さんから興味深い話を聞くことができました。


立入禁止にはちゃんと理由があったみたいです。


また、マイントピア別子と住友の関係についても、内情を知っている人じゃなければ聞けない話を聞くことができて、これまた非常に面白かった。



今回の旅については、紅姫さんと昨日初めてお会いしたこともお話しました。


ここでちょっと面白かったのが、最初、紅姫さんが誰であるか共通認識を持つのに時間がかかったこと。


秦さんは、ネットはほとんどやらない方で、ネットで使われている名前を出しても分からないんですね。
その一方で、こちらは本名を知らない。


いろいろとそれぞれが知ってる情報を出し合った上で、たぶんその方だという確信をやっと持つことができたというわけです(笑。


紅姫さんについて秦さんは、紅姫さんの面倒見の良さにあそこまでできる人はなかなかいない、なかなかできることじゃない、と仰っていました。


また、最初に紅姫さんを紹介してくれたお方についてもお話しましたが、この時も上記と同じような状況になりました(笑。



また、別子飴本舗は東京の物産展などに出展してることがしばしばあるのですが、その方はそういった物産展のお手伝いをされることもあります。
そのように、奈々ファンがお店の手伝いを献身的にしてるくれることにも大変感心をしていました。



奈々ちゃんを通じて、奈々ファンと奈々ちゃんの故郷の人がそうやって良い関係で繋がっているのはほんとに素敵なことだなと思います。



秦さんは元々経理課長だったのですが、おいらも現在税理士の受験勉強をしており、科目合格者でもあります。
会計・経理という点でも共通点があったことからそのような話題でも盛り上がりました。



また、おいらが現在勤めている会社はおいらの父が社長なのですが、会社を継ぐのか継がないのかそういった今後についても話が及びました。



そして、来月開催される太鼓祭りの話題も当然上がります。
といっても、話す内容によっては周りに十分注意する必要があるとのことでした。


居酒屋などで太鼓祭りについて話すと、場合によっては周りの人とその場で喧嘩に発展することもあるようです。
新居浜ならではの話だなあと思いました。



太鼓祭りの話題については、紅姫さんとお会いした時と同様、奈々ちゃんの出身地区でかき夫をやってみないかと秦さんからも勧められたんですよね。
平日なので休みが取れないことを主張しても、それはお父さんに言えば1日ぐらいは何とかなるのではないかと言われ(笑。



もちろんまだ決断はできていませんが、今年は新居浜市制80周年記念ということもあり休みの問題がクリアできれば参加したい気持ちに傾いています。


とまあ、こんな感じでいろんな話題で盛り上がり、時間はあっという間に過ぎていきました。



翌日は早朝に新居浜を発つため、秦さんとのこの会食が実質的に今回の新居浜巡礼旅の締めくくりとなります。
こんな素敵で素晴らしい旅の締めくくりはないのではないでしょうか。




別子銅山も新たな発見があり、新居浜の地元の人とも新たな出会い、新たなご縁が生まれ、最高の新居浜旅となりました。
今後も新居浜には8回、9回と定期的に足を運んでいきます。



下部鉄道の廃線巡りは終わっていませんし、別子銅山の産業遺跡はマイナーメジャー含めあらかた巡ったものの、それでもまだ見てない遺跡も残っています。
ツガザクラの咲く頃に「つがざくら」を弾くという夢もあります。


なにより、新居浜に移住して新居浜の住民票を取得するのが最終的な目標だったりします。



それでは!

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(8)別子飴本舗にて

2017年10月28日 | 水樹奈々聖地巡礼
いろいろな偶然と人とのご縁が重なり、別子飴本舗へ到着。


入店してみると、お会いしたかった秦さんの姿が見えません。


店頭に立っていた別子飴本舗の社長のご夫人に聞いてみると、なんと、秦さんは今日はお休みだったのです。


もらった名刺で連絡先は知ってはいましたが、事前連絡は入れてませんでした。
確実に会うためには事前連絡はするべきですよね。
でも、連絡を入れても2年前に会ったきりで、たぶん、話だけでは誰だがピンと来てもらえないだろうと。


電話でそんな説明をするのがなんとなく嫌だったんですよ。


いきなり店に行っても、顔を見てもらって、あの時の自分です、そんな話をすればすぐに分かってもらえるはず。


でも、店に秦さんがいなければどうにもならないわけですよね。
ここでも、自分のうかつさが出てしまいました。
さらに、秦さんの連絡先も控えてこなかったという重大なミス。



社長のご夫人に事情を説明したところ、せっかく来たんだし休み中だけど連絡してみれば、ということで秦さんの連絡先を教えて頂きました。

とりあえず、翌日からのロードバイク旅の携行食として羊羹をいくつか購入します。


そして、ホテルに戻る手段を考えていたのですが、今日はどこに泊まるの?と別子飴本舗の社長から聞かれ、スーパーホテルですと答えたところ、これから店を閉めて帰るところだけど途中だから乗せていってあげると言っていただけたんですよ!


なんかもう、新居浜の人がいい人過ぎるというか、もう言葉になりません。


別子飴本舗の社長とも名刺交換をし、何度もお礼を述べてホテルへ戻りました。


そして、すぐに秦さんへ連絡します。



案の定ですが、過去の経緯を説明しても誰だかピンと来てないようでした。
こちらも、その何ともいえない距離感にしどろもどろになってしまう始末。


でも、過去のご縁もあって秦さんに会うために別子飴本舗へ行ったということはしっかりお伝えしました。
その話をしたら、今日がお休みでお会いできなかったことをとても残念に思ってくださり、明日のこちらの予定を尋ねてこられたんですね。


当初の予定では、朝一の特急で新居浜から今治へ向かい、今治からロードバイクでしまなみ海道を渡る、というものでした。


明日の出勤前の時間であれば1時間くらい会ってお茶する時間もあったんだけどなあ、とおっしゃられたので、当然ながら、特急のきっぷも買ってませんし、秦さんとお会いできるならいくらでも予定を遅らせます!と、迷いなく答えたんですね。


そこで、その日の翌日の朝にお会いすることになり一旦は電話を終えました。
ところが、数分後に秦さんから連絡があり、やっぱり今日会ってもだいじょぶだからこれから会おうということになったんですよ!



なんかもう感激というか、新居浜にはほんとに良いご縁があるなあと思います。
奈々ちゃんを知らなければ、こんな素敵なご縁に巡り合うことも無かった。


奈々ちゃんを知って、彼女のファンになって、別子銅山を好きになって、新居浜を好きになって、ほんとによかったなあと思います。


ということで、これから秦さんとの食事会となります。


続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(7)中筋の拾う神

2017年10月27日 | 水樹奈々聖地巡礼
別子飴本舗の秦さんに会うため、産業遺跡巡りを終えた山根でヒッチハイクをしていましたが、お店の閉店時間まで30分を切っていました。


それでも車で直接店へ向かうなら十分間に合う時間です。
というか、秦さんに確実に会うためならば、ヒッチハイクなどというリスクを冒さずとも普通にタクシーを呼べばいい話だったんですけどね(笑。


でも、この時はまったくタクシーのことは頭に無かったです。
その辺は視野が狭くなっていたというか、冷静ではなかったんでしょう。



そんな状況でヒッチハイクを試みていたところ、道路の反対側で犬の散歩をしていたご夫婦から声をかけられたんです。


この道では車は停まってくれない、あっちの違う道に移動した方がよい。
そんな内容でした。


車が通る中、道路を挟んで会話をしていたため、上手く声が聞き取れなかった部分がありました。
改めて、どの道が良いのか聞き返したところ、


私達が乗せていってあげる。


(ん?よく聞こえなかったが、どゆこと?)


私達が乗せていってあげるから、こっちで待ってて。


えええええ!!!!!!



全くの予想外でした。
通りががりの人がヒッチハイクしてくれるというのは、今までの長いヒッチハイク経験の中でもなかったことです。


まさに、これが拾う神だなと。



ご夫婦がいた道路の反対側へ渡り、しばらく待機。
犬の散歩から戻ってきたご夫婦は一旦、おいらを自宅まで案内します。


それから、ご夫婦のご自宅でアイスコーヒーをご馳走になることに。
ご自宅には、犬だけでなく猫もいて、おいらが自宅に入ると「にゃー」と鳴きながらこっちに寄ってきました。

猫はやっぱりかわいい!!


そうして、ご夫婦お2人で別子飴本舗へ向かうことになったのでした。


さらに、車の中でした会話で意外な事実が発覚します。
ご夫婦の娘さんはおいらの最寄り駅周辺にお住まいだというのです。


娘さんはご結婚され、ああ!あそこね!と、おいらもすぐに場所が把握できるところに自宅を構えているとのことでした。



おいらがバスにちゃんと乗れていたら、タクシーを呼んでいたら、このような偶然が偶然を呼んだ人のご縁は生まれなかった。
人の縁というものは、むしろ、そういうものなのかもしれませんね。



閉店時間18時ぎりぎりでしたが、なんとか間に合いました。
そして、次に新居浜へ来た時にはぜひ自宅まで寄って行って欲しいとまで言って頂けました。
自宅まで来たんだから、場所は分かったでしょ?と笑。


別子銅山までくらいならまた乗せていってあげるよ、と。


なんと嬉しくてありがたい言葉なんでしょうか。
名前を聞かれたので、秦さんに渡す用に持ってきていた会社の名刺を渡しました。


新居浜にまた新しくお会いしたい人が増えました。
次の新居浜訪問時には必ずそのご夫婦の下へ訪問します。


そして、本来の目的である秦さんとお会いするため、店に入ったのでですが、いつもなら店頭に立っているはずの秦さんの姿が見えません。


まさか…。


続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(6)別子飴本舗との出会い

2017年10月26日 | 水樹奈々聖地巡礼
えんとつ山の見学を終えた後、次に向かうは別子飴本舗。


別子飴本舗は奈々ちゃんのブログでも紹介されており市内有数の聖地巡礼スポットなのですが、目的は別子飴本舗の営業である秦さんにお会いすること。


秦さんとの最初の出会いは、2013年のライブサーカスの時です。
奈々ちゃんのライブがあったということで、お店は奈々ファンが数多く訪れていたようでした。


お店に行った時間が閉店間際だったこともあって、店内にはおいらと一緒に遠征していたおいらの友人しかいなかったんですね。そんな状況で、秦さんに声をかけられ、いろいろ話すうちに別子銅山に登ったことがあるという話題になったんですよ。


そしたら、なぜか秦さんから別子銅山に関するクイズのようなものを出されクイズに答えると、それに気を良くしてくれたのか、奈々ちゃんの親戚と話しをさせてやるということになり、秦さんの携帯で奈々ちゃんの親戚の方とお話しをした、そんなことがあったんですね。


それから2年後の2015年には、ライブとは関係なく、日本最初の山岳鉱山鉄道である別子銅山下部鉄道の廃線跡巡りと、2013年にお店に行った時に秦さんに教えてもらった石ヶ山丈貯水池跡を見学しました。


その時にもお店に立ち寄り、秦さんとお話したんですね。この時は、テントを持ってきていたのでホテルの宿泊の予定は無く、海沿いの黒島海浜公園あたりでキャンプしようと思ってたんですよ。


そしたら、秦さんが絶対にホテルに泊まったほうが良いと強くおっしゃり、わざわざ空いてるホテルを電話で探してくれた、そんなこともあったんですね。
この時に秦さんから名刺を頂き、連絡先も知ることができました。



そんなご縁もあったので、今回の新居浜訪問時にも絶対に秦さんにお会いしたいと強く思っていたんです。



えんとつ山見学後、山根から一旦駅まで戻り駅から自転車で店へ向かう予定でした。
(この新居浜旅行のあとはしまなみ海道を自転車で渡る予定のため、新居浜まで自分のロードバイクを持ってきており駅前の駐輪場に自転車を停めていました。)


えんとつ山の見学が終わったのはだいたい17時前くらい。
別子飴本舗の閉店時間は18時。



バスで駅に戻ることを考え、山根のバス停の時刻表を見てみるとどうも間に合いそうにない。
となれば、やっぱり駅まではヒッチハイクですね!



ということで、まずは山根バス停あたりでヒッチハイクを試みたのですが、車の通る台数が少ないためすぐに場所を変えることを決断。
バス停付近にある橋を渡り、より車通りの多い通りでヒッチハイクをしていたのですが、ここで自分がとんでもない勘違いをしていたことが発覚しました。


なんと、バスが来た!


深層心理で焦りがあったのか、バス停の時刻表を読み間違えたしまったようなのです。
このバスに乗れば十分間に合う時間でしたが、バス停から離れた所でヒッチハイクをしていたためバスに乗ることは叶わず。



といっても、別に諦めたわけでもなく諦める必要もありません。
当初は、ヒッチハイクは駅まで行ってもらえればよいと思っていたのですが、バスを乗り逃がし刻一刻と時間が迫っていたので、直接別子飴本舗まで行ってもらえればよい、帰りの交通手段は考えない、とにかく閉店までにお店に行く、そういった考えに切り替えました。



時間ぎりぎりまで粘りそれでもだめだったら、残念ではありますが、今回は縁が無かった。
そういう風に思っていました。



そしたら、思いがけないところから、まさに拾う神が現われたんです。



続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(5)端出場とえんとつ山

2017年10月15日 | 水樹奈々聖地巡礼
東平でヒッチハイクを敢行し無事マイントピア別子までたどり着きました。


奈々ちゃん関連のものが沢山あるマイントピア別子ですが、ここは別子銅山の銅の運搬や旅客輸送を行なっていた別子銅山下部鉄道の起点である端出場駅があったところでもあります。



一般的な奈々巡礼であれば施設内に入っていろいろと観光するかと思いますが、今回は別子銅山の遺跡めぐりがメインです。


とりあえず、申し訳程度にいよかんソフトを購入し、まず向かったのがバス停の後ろの山側にある端出場貯鉱庫。

東平には禁レジMVのロケに使われた東平貯鉱庫跡がありますが、ここ端出場にも端出場貯鉱庫として残っているんですね。



このコンクリートの構造物が貯鉱庫でコンクリートの上を下部鉄道が走っており上から鉱石を落として貯蔵庫に貯める仕組みになっていました。




山側には高台の廃線跡に登る階段もあり、高台には廃線の下を潜る人道があったりもします。



マイントピア別子を訪問された際には奈々ちゃん関連だけでなく、このような産業遺跡も見て行って欲しいなと思います。
木々に隠れて分かりにくくなってはいますが、バス停の後ろでほんとに近くなのですぐ見れますよ。



さて、下部鉄道の廃線跡さらに巡ろうと思ったのですが、廃線跡の入口は柵があり立入禁止となっていました。ネットの事前調査では立入禁止の情報は無かったので想定外です。

といっても致し方ありません。

川を挟んで廃線跡と並行して走っている県道を歩きながら、廃線跡の足跡がないか確認してみることにしました。








ほとんどは木々に隠れて見えませんでしたが、上記二つの写真にあるように、線路跡の土台と思われる部分やトンネルが見える場所もありました。廃線跡かどうかはその場に行った訳ではないので確認できませんが、煉瓦作りであることを考えると何かしらの別子銅山の遺跡であることは間違いないのではないかと思います。



マイントピア別子から市街地へ帰る際、バス利用の方は左側の窓際に座って、他にもこのような遺跡がないか目を凝らして見てみるのも面白いかもしれませんよ。


ふもとの山根まで歩いたところで、今回、どうしても行きたかったえんとつ山に登ります。
えんとつ山の頂上には別子銅山の産業遺跡である山根製錬所のレンガ造りの煙突が立っているんですね。



えんとつ山のえんとつ。


頂上はちょっとした広場になっており、ベンチもあります。


市内を一望できます。


下からえんとつ山を写してみました。


次の予定もあったので、この日の産業遺跡巡りはえんとつ山の見学で一旦は終了。
ミッションコンプリートできなかった下部鉄道の廃線跡巡りは、次回の新居浜訪問時に達成したいと思います。


そして、以前の記事でも書いたとおり、ここから思いがけない新居浜の人とのご縁が生まれる出来事が待っています。
物語はまだ終わりません。


おまえの物語だ!



続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(4)銅山峰

2017年10月14日 | 水樹奈々聖地巡礼
東延機械場跡を訪問した後は「つがざくら」の聖地中の聖地である、銅山峰へ向かいます。



ツガザクラという植物は通常は標高2000mを越える雪原地帯に生息。
しかし、別子銅山の特殊な気候条件により四国ではこの銅山峰でしか見ることができないですね。


「つがざくら」の歌詞にも

銅山(あかがね)の峰に かれんに咲く つがざくら♪
銅山(あかがね)の峰に 今も咲く つがざくら♪


とあります。



ここが銅山峰一帯です。



銅山越とは銅山峰にある峠で、銅山越と銅山峰はほぼ同じ意味です。


今回訪問した時期はツガザクラの見頃を過ぎてしまった8月でしたが、次に来る時は生のツガザクラを見たい!(まだ見たことが無いのです)


そして、ツガザクラが咲いている目の前で「つがざくら」をギターで弾きたい!

そんな野望を胸に抱きながら銅山峰を後にし、東平方面へ下山します。



上記の写真のように、今回は日浦から銅山越まで登りさらに東平へ下る「銅山越え」を果たしました。


そして昨日から2日連続で東平へ(笑)。
今日は昨日と違って山から下りて東平へ到着という流れですが。
東平からは、これもまた昨日と同じでヒッチハイクでマイントピア別子まで移動します。



奈々ファンが乗せてくれた!
という遥か天空響いてる奇跡は起こらず、法事で四国に来ていた子供連れのお母さんとそのお母さんのお父さんの車に乗せていただきました。


後部座席に座っていたお子さんの隣に座ったのですが、よくこんな怪しい奈々クライマー兼奈々別子銅山ハンター兼川口探検隊兼ヒッチハイカーを乗せたなあと思います(笑)。


ヒッチハイクをすると、当然ながら、乗せてくれた方からいろいろな質問を受けます。
今回も、四国の山は他にもよく登るのか、別子銅山などの産業遺跡が好きなのか、といった質問を受けました。


おいらの回答は、

四国の山は石鎚山に一回登ったことがあるだけ、あくまで、別子銅山が好きで登っています!
産業遺跡が好きなわけではなくて、別子銅山の産業遺跡がピンポイントで好きなのです!!



その回答をしたときのおいらの顔は、ドルマドン並のどや顔だったことでしょう。
つまりは別子銅山It's Only Loveということですわ。


そんな話をしながらマイントピア別子に到着。
マイントピア別子からは、別子銅山下部鉄道の廃線跡巡りに向かうことになります。


続く。
 


水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(3)日浦通洞・機械場跡

2017年10月13日 | 水樹奈々聖地巡礼
余慶坑の見学後は、さらに県道沿いを1.8キロ歩いて日浦通洞を目指します。


上記の写真で分かるように日浦通洞は第三通洞と繋がっており、日浦と東平間で籠電車と呼ばれる列車で旅客輸送も行われていました。
以前の記事でも書いたように、東平の遊歩道を山側へ歩いた所にある第三通洞へ繋がっていたわけですね。



日浦通洞には案内板も立てられています。


日浦通洞の入口はこの鉄橋を渡った先にあるのですが、鉄橋の腐食により危険となったため、通行禁止。その入口も木々に覆われ、見ることができませんでした。


日浦通洞の見学をあっさり終えた後は、日浦通洞から程近い日浦登山口から旧別子の登山を開始します。
旧別子登山は2回目で今回の主な目的地は第一通洞と機械場跡



上記の写真で分かるように、第一通洞と機械場跡はちょっと横道に入った所にあり以前の訪問時は時間が無くて行けなかったんですね。



日浦登山口から登山道沿いに接待館や小学校跡、劇場跡などの多くの遺跡が眠っています。



日浦登山口の駐車場には平日にもかかわらず数台の車が停まっていました。すでに何組かの登山客が山に入っていると思われます。
登山道は整備されて歩きやすく、道沿いには産業遺跡が点在し、頂上の銅山越えまでそれほど時間がかからないなどが人気の理由になっているのではないかと思います。


日浦登山口まで以前の記事にも書いた別子山地域バスでも来れるので、つがざくら奈々ファンには是非登って欲しい!笑(いや、わりとマジで)



ところで、おいらが登山口に到着したほぼ同じタイミングで1台の車が入ってきたのですが、車から下りてきたのは観光客っぽい軽装で男女それぞれ2人ずつのリア充グループ。


「なんかここ面白そうじゃね?」とかなんとか言いながら、事前の下調べも何もしてなさそうでとりあえず行ってみよう的なノリで山を登っていったんですが、なんか腹立つわ~。


山というか別子銅山なめてんじゃねーよ!
足谷川に落ちて銅の一部になれ!ばか共が!



ということで、怒りゲージMAXになり大蛇薙を出しそうになりながら、登山道を登っていきます。



第一通洞。反対側の第一通洞には銅山峰ヒュッテという山小屋があり、山小屋があった場所は別子銅山上部鉄道の角石原という駅がありました。第一通洞によって角石原まで運ばれた銅は、角石原から前述の上部鉄道という山岳鉱山鉄道によって運ばれていったのです。



第一通洞の案内看板です。




第一通洞をさらに奥へ進み、旧別子銅山の採鉱本部があった東延地区へ足を踏み入れます。
なんと、明治18年に谷を埋め立てて2000坪の土地を造成して完成した当時の最先端の工業地帯だったんですよ。


東延の案内看板。



以下の写真にあるレンガ造りの構造物が東延機械場跡
明治時代に蒸気機関の巻き上げ機が備え付けられていて斜坑の中から鉱石を乗せた台車を引き上げていました。今は森の中に佇む忘れられた過去の遺跡ですが、こんな深い山の中にこれほどはっきりとした形で残っている。
これも、特A級の産業遺跡ですね。











続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(2)余慶坑

2017年10月12日 | 水樹奈々聖地巡礼
まずは、下の写真をご覧下さい。
前回訪れたのが左側の丸の筏津坑。そして、次に向かったのが右の丸の余慶鉱床の余慶坑です。






別子銅山の四つの鉱床のうち、本山鉱床と筏津鉱床以外の二つ(積善、余慶)については、かなりマイナーです。
でも、別子銅山に深く傾倒してしまったぽっくんとしては、見れるものは全部みたいと思うわけですよ。


オタクって生物は、とことんまで混沌まで後ろから這いよるまで全部を突き詰めたい、極めたいと思う性癖があるものです。


その意味からすれば、別子銅山って宝の山ですな。
以前の記事に書いた第二通洞もそうですが、全く公になっていないような所にも様々な遺構が眠っているんですから。



おいらみたいな熱烈な水樹奈々ファンで、かつ、別子銅山好きという変な奴が様々な別子銅山の歴史的遺構を巡ってみるというのもなかなか面白いじゃないですか!(いや別に面白くはないが)


とまあ、いろいろ言い訳をしたところで、次の余慶坑へ、たんけんぼくのまちです。


ここに移っているお兄さんは当時チョーさんと呼ばれていたのですが、現在声優として活躍されているチョーさんと同一人物です(クッソどうでもいい)。




前回の筏津から次の余慶まで約2キロの距離は、県道沿いを歩いて向かうことになります。


(県道47号。静かな山間の道をそぞろ歩く。最高で採鉱の日です。なんて日だ!)


さて、余慶に向かうといっても、実は事前情報は何も調べておりませんでした。
余慶に坑道の入口が残っているのかどうかも分かりません。



地図上では余慶という地域はちゃんと存在しており余慶付近に南光院というお寺さんがあるので住職の方に余慶坑がないか尋ねてみると、なんと、まだ残っているという有力な情報を得ることができました。


南光院の入口。



余慶坑は、つり橋を渡って少し山を登った所にあります。



これが余慶坑。余慶坑の名残で鉄骨のアーチがまだ残っています。



余慶坑付近にある潰れた家屋・1


余慶坑付近にある潰れた家屋・2


余慶坑については、写真を見てもらえばある程度雰囲気が伝わるかと思いますが、全くの廃墟。
案内板はなく、南光院の住職さんからお話しを聞かなければここが余慶坑なのか確証を持てなかったほどです。


そもそも、別子銅山には四つの鉱床があるということ自体、なかなか知られていないのではないでしょうか。
採鉱本部があった東平や端出場と、最後の別子銅山の舞台となった筏津はそれぞれ別の鉱床なんですね。


その鉱床のうちのひとつが、上記の余慶であると。
余慶の周辺もまた、最盛期にはちょっとした集落やお店があったのかもしれません。
余慶坑も、案内板が無いため往時の姿がどんなであったか分かりません。

余慶については、改めて資料を調べてみる必要がありそうです。



とまあ、別子銅山って、月読調べれば調べるほど知れば知るほど面白くなって味が出てくる、そんな所なんですよ。
スルメみたいなもんです。
奈々ちゃんの曲だってスルメ曲がいっぱいあるじゃないですか。


ちなみに、奈々ちゃんの曲の中で個人的にこれは極上のスルメ曲だなあと思ったのはティアナイっすね。
最初は、正直ピンと来なかった。
でも、聞けば聞くほどロックな疾走感とストリングの重厚さが合わさりどんどん好きになっていきました。



まあ、別子銅山もつまりそういうことですよ。


話が脱線トリオしたところで、続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・2日目(1)筏津

2017年10月11日 | 水樹奈々聖地巡礼
別子銅山巡礼2日目は、過去の別子銅山巡礼でアクセスの問題や所要時間で後回しにしていた遺跡巡りと二つの思いがけない新居浜の人とのご縁が生まれた話をメイントピックとして書いていきます。



2日目でまず向かったのは筏津


この場所、奈々ちゃんとは全く無関係な産業遺跡という訳ではなく、奈々ちゃんが歌った演歌である「つがざくら」の一番の歌詞に以下のように登場します。


「掘って掘って掘って 掘りつくし筏津 東平 端出場へと」


つがざくら的に言えば「筏津」も立派な水樹奈々聖地ですよね、たぶん、きっと、めいびー…
Maybe♪




ということで、筏津は新居浜駅から別子山地域バスで1時間ちょっとの距離にあります。
ここには別子銅山の四つの鉱床の一つである筏津坑跡があり、この筏津坑が昭和48年に閉山したことにより別子銅山の約280年の歴史が終わったという歴史的に見ても非常に重要な場所です。




筏津のバス停付近の看板。東赤石山の登山口も程近くにあります。



資料展示場と看板にありますが、現在では展示場はありません。



筏津坑跡。



筏津坑の案内板です。



筏津には以前、筏津山荘があり観光センターとしての役割を果たしていたのですが、現在は営業終了、建物も取り壊しになりました。
筏津山荘があった頃は筏津坑は解放されており、中に入って展示されている資料を見学することができました。


筏津山荘の取り壊しを知ったときはショックだったなあ…。

新居浜市は筏津山荘跡地に新施設建設を検討しているようなので、ぜひ実現してほしいと思っています。



筏津を見学した後、「つがざくら」を思いっきり口ずさみながら次の場所へ向かったのですが、絶対に人いないと思ってたのに筏津の駐車場に人が!


かなりでかい声で歌っていたので、間違いなく聞かれましたねぇ笑。
こういうときは堂々と歌い続ければよかった、むしろ、俺のつがざくらを聞けー!ぐらいの勢いがあればよかったのですが、チキンハートなぽっくんは歌をやめ、すごすごとその場を後にしました。


へけ!!



続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・1日目(6)新居浜奈々ファンとの会合

2017年10月06日 | 水樹奈々聖地巡礼
グッズ撮影会も終了し、紅姫さんとのさし飲みの開始です。



紅姫さんとお話しで、禁レジのMV撮影の裏話などは地元ならではの貴重なお話で面白かったですね。他にも、地元の人だからこそ知ってる話、できる話などが沢山あって興味が尽きなかったです。


逆にこちらから地元の人に聞きたかったのは、地元の人にとって別子銅山、特に旧別子銅山の存在ってどうなんだろうということ。



紅姫さんいわく、魔境とおっしゃっていました笑。


まあ、自分の生活に身近でないものならば、それがいくら地元にあろうと遠い存在になることはよくある話ですよね。


とりあえず、おいらの第二通洞探索については、案内人がいないと行けないような所なのによく一人で行けましたねと驚いていました笑。



そのほか、紅姫さんはいろいろな奈々ファンのいろいろな話、意見を幅広く聞くことがほんとに楽しいと心からおっしゃっていたのが印象的でした。


今まで長いこと奈々ちゃんのファンでいる理由のひとつも、そういった奈々ファンとの交流があるからとも。


新居浜に来られるファンの方は、様々なことで紅姫さんを頼ってくることが多いとおっしゃっていたのですが、その一方で、例えば、マイントピア別子まで歩いていこうとしている奈々ファンと思われる人を車で見つけた際は、自分から声をかけて車に乗せていったこともある、とおっしゃっていました。


わざわざ新居浜に来るような奈々ファンはそれだけ奈々ちゃんを好きでいるファンなのだから、大切にしたい、歓迎したいとのお考えなんですね。


そのような考えを、実際に行動に移してらっしゃるのはなかなかできることじゃないなあ、と思います。


あと、ひとつ嬉しかったのは、自分のファン暦を聞かれ、ライブ参加はlive universeからですと答えたときに、てらさんも古参じゃないですか!嬉しいなあ!と言ってもらえたこと。


とりあえず、自分が古参かどうかは別としてlive universeよりももっと早くライブに参加したかった!
なので、自分よりライブ参加が早い奈々ファンの方に対しては、特に強い憧憬と敬意の念を持っています。


そのようなファンの方に同じ古参グループとして認識してもらえたことは素直に嬉しかったわけです。



ところで、新居浜といえばやはり太鼓祭り。
関東民としてはわりと新居浜へ行ってる方だと思いますが、今まで太鼓祭りには参加したことがありませんでした。

いずれは参加しないとなあと思っていたところで、奈々ちゃんの出身地区で太鼓台を担いでみないかというお話があがったんですね。


ただ見るだけではなく、実際に担ぎ手(かき夫)として参加することができるかもしれない。


太鼓祭りの日程が平日であること、また、自分が完全なよそ者であること、そういった物理的、精神的なハードルはありますが、マジでかき夫として参加したいという思いが強くなったのも事実です。


その他、新居浜のことや奈々ちゃんのことで話は尽きず、あっという間に時間は過ぎていきました。
いやぁ、マジで楽しかったなあ。


今度は他の新居浜の奈々ファンの方たちともお会いしてみたいと思いました。



会食が終わった後は、別子銅山について地元の人の話が聞けるとのことで、公民館の場所までわざわざ案内して頂きました。


最後の最後まで面倒見の良いお人や!


こうして、大大大満足な新居浜巡礼1日目が終了いたしました。


2日目へ続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・1日目(5)新居浜の出会い

2017年10月05日 | 水樹奈々聖地巡礼
新居浜巡礼は今回で通算7回目を数えることになりましたが、過去6回の訪問で同じ奈々ファン同士という訳ではなく全くの偶然から新居浜の方との交流が生まれた出来事がありました。


2010年の新居浜公演の時のことです。
ライブ終了後は当然ながら打ち上げをするわけですが打ち上げの店はチェーン店ではなく新居浜にしかない店で打ち上げようしようと思い、グルメサイトを検索し、たまたま見つけた評価の良かった店を予約しました。


ライブが終わり予約した店に入店したときにちょうど大人数の宴会客が退店して店内も少し落ち着いた感じになっていました。
それに加えてそのお店が個人店ということもあり、店員さんといろいろと会話する機会が多くあったんですね。


最終的には、その店員さんと意気投合(笑)。
その後、2010年8月に石鎚山から別子銅山まで登山した時や、LIVE JOURNEY、 LIVE CIRCUSのライブ公演の際も同じお店を訪れました。



特に、LIVE CIRCUSのときには店舗兼住宅であるお店の2階に泊めて頂き、さらにお店が貸切となり、このときはその店員さんとその奥さんの間にお子さんが生まれたので、ギターを持っていってギターを演奏し、一緒に遠征していた友人がお祝いの歌を歌ったりと、それぐらいにまで仲良くなっていました。



新居浜は何か特別な人とのご縁がある。
これはきっと水樹奈々という女神の思し召しでしょう。


さて、そのような新居浜人との親交がある一方で、新居浜奈々ファンの方とはどなたもお会いしたことがありませんでした。
奈々ちゃんの地元の新居浜で新居浜の奈々ファンと奈々ちゃんについて語り合うことはかねてからの目標でした。



そこで、今回の新居浜訪問を契機に新居浜の奈々ファンの方とお会いすべく、関東の奈々友の方のご紹介を通じて紅姫さんという著名な新居浜の奈々ファンの方とお会いすることになったのでした。



ということで、宿泊しているホテルにほど近いお店で会食となったのですが、その前に紅姫さんがお持ちのグッズを見せて頂けることになっていました。


というのは、紅姫さんとのやり取りする中で、自分が持っているグッズの中で見たいものがあれば持って行きますよと紅姫さんの方からお申し出があったんですね。


それならと、おいらは、つがざくらのカセットテープ、イオン新居浜のインストアライブの告知チラシ、新居浜のフリーペーパーのホージャ、を希望しました。

以下に掲載する写真がそれらになります。














つがざくらのテープの実物を手に取った時はほんと感激でしたよ。
以前、ママさんのカラオケ喫茶に行ったときに実物を見ることはできたのですが、さすがに手に取ることはできませんでしたから。

希望したもの以外にも非常に貴重なお宝グッズも見せて頂き、写真に収めることができました。


紅姫さん、改めてありがとうございます!


撮影会も終了し、いざ、お食事会となります。


続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・1日目(4)東平産業遺跡の紹介

2017年09月28日 | 水樹奈々聖地巡礼
前回の記事では、貯鉱庫跡、歴史資料館、マイン工房といった奈々ちゃんに関係する東平のスポットについて書きました。
今回はそれら以外の東平の産業遺跡について書いていきます。



東平駐車場からさらに山側へ向かう遊歩道を15分程度歩くと、第三通洞、変電所跡、採鉱本部跡といったスポットがあります。



第三通洞。禁レジロケ地である貯鉱庫に貯蔵された鉱石というのはこの第三通洞によって運ばれた鉱石なんですね。また、第三通洞は東平の反対側にある旧別子の日浦と繋がっており、日浦~東平間で銅の輸送だけでなく籠電車呼ばれる列車による旅客輸送も行なわれていました。



当時の第三通洞の様子です。




変電所跡。水力発電所から送電されてきた電力の電圧調整と第三通洞の籠電車用に直流変換するために設置されたものとされています。煉瓦作りの建物が今も残っており、中に入ることも可能




広い空き地となっていますが採鉱本部があった場所です。採鉱本部は当初この第三通洞付近に設置されましたが、のちに現在の駐車場となっている場所へ移転しました。



移転後の採鉱本部の俯瞰図。採鉱本部には保安本部が隣接しており、保安本部は現在ではマイン工房の建物として利用されています。マイン工房は以前の記事でご紹介したように、奈々ちゃんの写真が数多く展示してある場所でもあります。



マイン工房の建物です。煉瓦作りの建物は、東平ではこの旧保安本部と第三変電所だけだったそうです。東平に現存する数少ない遺跡です。



第三通洞へ続く遊歩道には新居浜市と貯鉱庫跡を一望できるスポットがあります。





東平駐車場から500mの距離に銅山の里という奈々ちゃんが小学生の頃に学校行事で訪れた研修施設があります。


この銅山の里は、東平の大山積神社跡地の入口となっているんですね。


大山積神社とは別子銅山の鉱山鎮守の神を祀っている神社で、別子銅山の採鉱の中心地が山から平地へ移行していくにつれ、その場所を移転させてきました。


なので、当然、東平には建物は残っておらずただの空き地になっているのですが、大山積神社は「つがざくら」の歌詞にも登場し、東平が奈々パパの故郷でもあることから、東平の大山積神社跡地も勝手に聖地として認定しました(笑)。



大山積神社跡地・1 石段がかつての面影を残しているのみです。


大山積神社跡地・2 



とまあ、そんな感じで、第二通洞探索後は東平の産業遺跡巡りをし、いい時間になったところで
山を下りることにします。
帰りももちろんヒッチハイク!(笑)



帰りは、夏休みを利用して仙台から気ままな車旅をされてる方に新居浜駅まで乗せていただきました。
この日は、これで終わりではなく一旦ホテルに戻り、新居浜の奈々ファンである紅姫さんとの会食が待っています。


続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・1日目(3)「東平メインスポット」

2017年09月21日 | 水樹奈々聖地巡礼
長年の疑問で、気になって気になって、だけど気になって、甘くて苦いマーマレードになってしまった第二通洞でしたが、前回ではようやくその疑問が解消されることとなりました。


第二通洞探検後は、元来た道を東平まで引き返すことにします。


東平は、禁レジが発表される前の2010年と2015年8月に既に訪問していました。
なので、初めてMVを見たときは、


「おおおー!見たことあるぞ!あそこじゃねーか!」


と、大興奮したのを覚えています。


以前の訪問の際に、新居浜市の観光課の人に観光案内をしてもらったのですが、


「東洋のマチュピチュなんて大げさ。TDN産業遺跡で、全然たいしたことないんだけどねえ(笑)。」

なんて、冗談交じりに語っていましたが、今じゃ東平は水樹奈々の有数な聖地巡礼スポットとして、宇宙なんか狭すぎるほどにその名前は轟いてますよ!菅原さん!



実際、この日は何人かの奈々ファンが新居浜入りし東平を訪れていたようです。
奈々警察として、すれ違う人が奈々グッズを身に付けているかどうか念入りな目視確認はもちろんのこと、聴覚をエシュロンと変えあらゆる会話を盗聴してみましたが、残念ながら奈々ファンと思しき容疑者は発見できませんでした。



ということで、改めて禁レジロケ地としての東平を巡ることになります。



禁レジMVのロケ地のひとつである東平貯鉱庫跡・索道停車場跡は採掘した鉱石の一時保管場所で、貯蔵された鉱石は索道と呼ばれるロープウェイでマイントピア別子がある端出場まで運搬されました。

また、貯鉱庫は上部と下部があり、上部で貯蔵された鉱石は中央部の選鉱所を通過し下部の貯鉱庫へ送れられるという流れでした。




当時の索道基地の全景です。貯鉱庫と索道基地が一体となっています。



MVで笛を吹いている人が乗っている索道基地の施設の一部。



撮影ポイント。足場が狭く普段は立入禁止となっています。



貯鉱庫上部から撮影。



奈々ちゃんが衣装のハイヒールで何度も往復したという220段の階段。ここにはインクラインと呼ばれる傾斜面にレールを敷いてトロッコを走らせるケーブルカーの一種が建設されていました。


インクラインの当時の写真。




東平歴史資料館では、別子銅山の歴史を紹介するVTRが流れており、奈々ちゃんがナレーションを務めています。

奈々ちゃんのブログでは、

「小学生の頃、学校行事でお邪魔した"自然の家"や、家族で行ったバーベキュー施設も紹介VTRの中に登場して、凄く懐かしい気持ちに...」

と書いてあるので、実際にVTRの中の自然の家やバーベキュー施設を見つけるのも面白いかも。


また、東平はかつて3800人ほどの人口を誇った街だったのですが、奈々ちゃんのパパさんも東平の出身です。
パパさんの故郷を、娘である奈々ちゃんがナレーターとして紹介する。
なんとも素敵な親子の縁ですよね!

ブログでも、

「東平をとても身近に感じて...お父さんの子供の頃の街の様子を知ることが出来て、凄く嬉しかったですっ」

と語っています。


資料館入り口。



奈々ちゃんナレーションのVTRが流れるスクリーン。




マイン工房という銅板レリーフの銅工芸が楽しめる体験工房があり、その建物は別子銅山の旧保安本部が置かれていた産業遺産を活用しているのですが、ここには奈々ちゃんのロケ当時の写真が数多く掲載されています。スタッフと奈々ちゃんの2ショット写真もあったりします。


マイン工房は東平の駐車場から階段を登った高台にあり少し目立たない所に位置していますが、巡礼地の一つとして是非訪問すべき場所だと思います!



ちなみに、体験工房といっても入ったら必ず何か体験をしなければならないという訳ではなく、
中を見学するだけでも全く問題ありません。
売店の営業も行なってますので、見学だけでなく何かしら買い物をしてみるのもいいかもです。












以上のように、奈々ちゃんの巡礼地として貯鉱庫跡は当然のこと、歴史資料館やマイン工房まで抑えておけばほぼ満点の満天☆青空レストランでしょう。



次回は、上記以外の東平の産業遺跡について書いていこうと思いまっする。

続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・1日目(2)「第二通洞発見」

2017年09月19日 | 水樹奈々聖地巡礼
駅からバスでマイントピア別子まで行き、さらにそこから東平を目指すことになりますが、東平までは路線バスの運行がありません。


一応、定期観光バスがあるのですが片道不可。
別子山地域バスというのもありますが、東平入口まで行くことができるものの、ここから林道をさらに5キロも歩かねばなりません。


となればもちろんレンタカーを利用すればよいわけですが、一人旅の面白さを思いっきりMAXまでTORA・TORA・TORAまで楽しむには、レンタカーなどを利用してはイカんのです。


イカんでしょイカんでしょ♪


ではお一人様の旅に何を使えばいいのか。
お一人様用ハンディ炊飯器などではありません。


それはズバリヒッチハイク!





ヒッチハイクは面白そうだと一度は思っても実際にやるとなるとなかなかハードルが高いですよね。
でも、ヒッチハイクなんて勇気さえあれば全然簡単、へいき、へっちゃらなのです。


さらに勇気だけじゃなく愛と希望もあれば、あなたはヒッチハイクマスターにホーリーアップ確実でしょう!






まあ、10年以上前からヒッチハイク旅をし新居浜でも過去に何度もヒッチハイクをしているぽっくんにとっては造作も無いこと。
マイントピア別子から東平に向かって県道を歩きながら、指を立てる方法でヒッチハイクを試みます。





約15分程で地元の郵便局の方に東平入口まで乗せてもらうことに成功。
いろいろ話してみるとこの方の従兄弟がおいらの住まいと同じ川口に住んでいるとのことで川口トークで盛り上がります。



東平入口では、東平に向けて入ってきた最初の1台目でヒッチハイク成功。
ものの5分でした。





名古屋から四国一周の旅をされてる方で、東平へはレンタカーを借りたとのことでした。
俺はレンタカーなどを使わずあえてヒッチハイクを選んだというのに……


レンタカーなんぞ使ってるのは、てめーか!てめーかよ!
ヒッチハイクなんかしてるのわたしを、笑ったね!その心笑ってるね!



などと言った訳ではもちろんなく(笑)、別子銅山についてあまり詳しくない方だったので僭越ながらぽっくんからいろいろと観光案内をさせて頂きました(笑)。



そんな感じで、ヒッチハイクで無事東平に到着。
ここからは徒歩で山を登り、いざ第二通洞へ。


幻の第二通洞までの道は途中から一般登山道ではなく地図にも載っていないルートになり、いよいよ本格的な冒険の始まりを予感させます。
これから一体どんな困難が待ち受けているのか!



などと大げさにのたまってみたものの、実際にはネットにルート情報が載っており道も整備されてて迷うようなところはありません。
つまりは、本格的な冒険が始まるわけではなく、ましてや突然死して異世界へ転生してカエルに食べられて体がねとねとすることもなかったのでしたぁ、ゴッドブロー!!



さて、第二通洞までの道の途中には、いくつかの別子銅山の遺構が点在したりしています。



(新寛永谷横坑と書かれた坑道)



(火薬庫風回しと表札が置かれた遺構)



(寛永谷横坑)



(森の中にある石垣)



こうして、いくつもの遺構を経て、チャンピオンを経て、急斜面を経続けると、





第二通洞に着いたーー!!!




第二通洞は明治22年、当時の採鉱本部があった小足谷の疎水道との連絡を目指して着工。
しかし、予想外に水が湧き出たため、明治25年に工事は中止。
その後、第三通洞などの開通により第二通洞は未完成となり開通しなかったため、公式には情報が残っていないというわけだったんですね。



細かいことはさておき、一介の水樹奈々ファンが地図にも載っていないような、幻と言われている別子銅山の産業遺跡を訪れるなんてことは、なかなかないことでしょう!


実際、地元の人にこの話をしたら一様に驚かれました笑。
もちろん、地元の人を驚かすためではなく、単純に興味があって行ったわけですけど笑。


いずれにせよ、明治時代に作られた第二通洞が未完成だったにもかかわらず、
いまだに残っている点から見ても非常に貴重な産業遺跡であることは間違いありません。








続く。

水樹奈々・新居浜別子銅山聖地巡礼記2017・1日目(1)「別子銅山とつがざくら」

2017年09月18日 | 水樹奈々聖地巡礼
この記事は、水樹奈々さんの大ファンである筆者が奈々ちゃんをきっかけに別子銅山の魅力に気づいた結果、どうにもこうにもワルキューレが止まらなくなり聖地巡礼のふりをして様々な別子銅山の産業遺産にゴリゴリアタックする内容となっています。


具体的には、奈々ちゃんの聖地でお馴染みの東平や端出場(マイントピア別子)への巡礼はもちろん、旧別子の標高1300mの登山や地図にも載ってない産業遺跡の探索など、草野仁もびっくりなほどのミステリーハンティング。



一方で、初めて新居浜の古参の奈々ファンとお会いしたり、奈々ちゃんのブログでも紹介された商品のお店のスタッフとの予定外の会食、ヒッチハイクによる出会いなど、新居浜の方たちとの新たなご縁が生まれた非常に素敵で鬼がかった巡礼旅となりました。



新居浜巡礼初日は、幻の産業遺跡「第二通洞」の探索と新居浜の古参の奈々ファンである紅姫さんとの会食が主な目的です。


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2017年8月17日、埼玉県を出発。
今回の旅で新居浜訪問は記念すべき7度目となるのですが、関東民で7回は結構行ってる方じゃないでしょうか?!



さて、最初の目的地である第二通洞についてですが、別子銅山には「通洞」と呼ばれる水平に掘られた(アッー!)坑道があり、主に採掘した鉱物の輸送路として機能していました。




上の写真にも書いてあるように、マイントピア別子のある端出場(はでば)に第四通洞、禁断のレジスタンスのMV撮影が行なわれた東平(とうなる)には第三通洞、銅山越のすぐ下に第一通洞があります。


ところで、銅山越とは「つがざくら」の歌詞に登場する言葉でもあります。


ここで「つがざくら」について、知ってる人にとっては釈迦に説法、エタブレにUOですが、一応説明します。


「つがざくら」とは奈々ちゃんが13歳の中学1年の時に「近藤奈々」として出した作品で、奈々ちゃんの生涯で初めて世に出した作品でもあります。





奈々ちゃんの故郷である新居浜市は日本三大銅山のひとつで明治以降の日本の近代化に大きく貢献した別子銅山があり、「つがざくら」はすでに閉山した別子銅山の銅山男の哀愁を歌った演歌なんですね。


原曲は、パパさんから演歌のレッスンを受け、現在のポップスの歌声に矯正される前の貴重な演歌声。当たり前田玲奈ですが相当上手いです。


また、CD化はされていませんが、live academyの新居浜公演の際、新居浜市の観光大使就任の最初の仕事としてダブルアンコールに、この「つがざくら」が歌われました。
そのときの様子はNANA MIZUKI LIVE GAMES×ACADEMY -REDにも収録されています。


このように、別子銅山は、単に奈々ちゃんの故郷の新居浜市にあるというだけでなく歌を通じた深いご縁もあるというわけですね。


つまり、別子銅山における奈々ちゃんの聖地は東平や端出場だけに留まりません。


旧別子地区を含めた別子銅山全体が聖地であると言っても過言ではないのです!



別子銅山はいわばガガゼト山。
この御山を極めることで、我々は祈り子として自らを捧げ奈々ちゃんの究極召喚となることができるのです!



話を戻すと、別子銅山の通洞には上記の写真で分かるように、第一、第三、第四があるのになぜか第二はありません。さらに、地図はおろか現地の案内板、あるいは観光案内等にも一切その情報がないのです。



ぽっくん個人としても、別子銅山の虜もといトリコもといヒャダインになってから、第二通洞の存在の有無が長年の疑問となっていたのですがここ数年の間に第二通洞が発見されたとの情報がネットに出回るようになりました。


これはもう、別子銅山ミステリーハンター兼川口浩探検隊であるおいらとしては幻の第二通洞に行くしかない!


いってみようやってみよう♪
ヤッタヤッタヤッタデキタ~♪





具体的な場所は、禁レジMVロケ地である東平から登山道を登ったその先にあります。
埼玉から鉄道で新居浜駅に到着後、バスでマイントピア別子まで行き、さらにそこから東平を目指すことになります。


続く。