余慶坑の見学後は、さらに県道沿いを1.8キロ歩いて日浦通洞を目指します。
上記の写真で分かるように日浦通洞は第三通洞と繋がっており、日浦と東平間で籠電車と呼ばれる列車で旅客輸送も行われていました。
以前の記事でも書いたように、東平の遊歩道を山側へ歩いた所にある第三通洞へ繋がっていたわけですね。
日浦通洞には案内板も立てられています。
日浦通洞の入口はこの鉄橋を渡った先にあるのですが、鉄橋の腐食により危険となったため、通行禁止。その入口も木々に覆われ、見ることができませんでした。
日浦通洞の見学をあっさり終えた後は、日浦通洞から程近い日浦登山口から旧別子の登山を開始します。
旧別子登山は2回目で今回の主な目的地は第一通洞と機械場跡。
上記の写真で分かるように、第一通洞と機械場跡はちょっと横道に入った所にあり以前の訪問時は時間が無くて行けなかったんですね。
日浦登山口から登山道沿いに接待館や小学校跡、劇場跡などの多くの遺跡が眠っています。
日浦登山口の駐車場には平日にもかかわらず数台の車が停まっていました。すでに何組かの登山客が山に入っていると思われます。
登山道は整備されて歩きやすく、道沿いには産業遺跡が点在し、頂上の銅山越えまでそれほど時間がかからないなどが人気の理由になっているのではないかと思います。
日浦登山口まで以前の記事にも書いた別子山地域バスでも来れるので、つがざくら奈々ファンには是非登って欲しい!笑(いや、わりとマジで)
ところで、おいらが登山口に到着したほぼ同じタイミングで1台の車が入ってきたのですが、車から下りてきたのは観光客っぽい軽装で男女それぞれ2人ずつのリア充グループ。
「なんかここ面白そうじゃね?」とかなんとか言いながら、事前の下調べも何もしてなさそうでとりあえず行ってみよう的なノリで山を登っていったんですが、なんか腹立つわ~。
山というか別子銅山なめてんじゃねーよ!
足谷川に落ちて銅の一部になれ!ばか共が!
ということで、怒りゲージMAXになり大蛇薙を出しそうになりながら、登山道を登っていきます。
第一通洞。反対側の第一通洞には銅山峰ヒュッテという山小屋があり、山小屋があった場所は別子銅山上部鉄道の角石原という駅がありました。第一通洞によって角石原まで運ばれた銅は、角石原から前述の上部鉄道という山岳鉱山鉄道によって運ばれていったのです。
第一通洞の案内看板です。
第一通洞をさらに奥へ進み、旧別子銅山の採鉱本部があった東延地区へ足を踏み入れます。
なんと、明治18年に谷を埋め立てて2000坪の土地を造成して完成した当時の最先端の工業地帯だったんですよ。
東延の案内看板。
以下の写真にあるレンガ造りの構造物が東延機械場跡。
明治時代に蒸気機関の巻き上げ機が備え付けられていて斜坑の中から鉱石を乗せた台車を引き上げていました。今は森の中に佇む忘れられた過去の遺跡ですが、こんな深い山の中にこれほどはっきりとした形で残っている。
これも、特A級の産業遺跡ですね。
続く。
上記の写真で分かるように日浦通洞は第三通洞と繋がっており、日浦と東平間で籠電車と呼ばれる列車で旅客輸送も行われていました。
以前の記事でも書いたように、東平の遊歩道を山側へ歩いた所にある第三通洞へ繋がっていたわけですね。
日浦通洞には案内板も立てられています。
日浦通洞の入口はこの鉄橋を渡った先にあるのですが、鉄橋の腐食により危険となったため、通行禁止。その入口も木々に覆われ、見ることができませんでした。
日浦通洞の見学をあっさり終えた後は、日浦通洞から程近い日浦登山口から旧別子の登山を開始します。
旧別子登山は2回目で今回の主な目的地は第一通洞と機械場跡。
上記の写真で分かるように、第一通洞と機械場跡はちょっと横道に入った所にあり以前の訪問時は時間が無くて行けなかったんですね。
日浦登山口から登山道沿いに接待館や小学校跡、劇場跡などの多くの遺跡が眠っています。
日浦登山口の駐車場には平日にもかかわらず数台の車が停まっていました。すでに何組かの登山客が山に入っていると思われます。
登山道は整備されて歩きやすく、道沿いには産業遺跡が点在し、頂上の銅山越えまでそれほど時間がかからないなどが人気の理由になっているのではないかと思います。
日浦登山口まで以前の記事にも書いた別子山地域バスでも来れるので、つがざくら奈々ファンには是非登って欲しい!笑(いや、わりとマジで)
ところで、おいらが登山口に到着したほぼ同じタイミングで1台の車が入ってきたのですが、車から下りてきたのは観光客っぽい軽装で男女それぞれ2人ずつのリア充グループ。
「なんかここ面白そうじゃね?」とかなんとか言いながら、事前の下調べも何もしてなさそうでとりあえず行ってみよう的なノリで山を登っていったんですが、なんか腹立つわ~。
山というか別子銅山なめてんじゃねーよ!
足谷川に落ちて銅の一部になれ!ばか共が!
ということで、怒りゲージMAXになり大蛇薙を出しそうになりながら、登山道を登っていきます。
第一通洞。反対側の第一通洞には銅山峰ヒュッテという山小屋があり、山小屋があった場所は別子銅山上部鉄道の角石原という駅がありました。第一通洞によって角石原まで運ばれた銅は、角石原から前述の上部鉄道という山岳鉱山鉄道によって運ばれていったのです。
第一通洞の案内看板です。
第一通洞をさらに奥へ進み、旧別子銅山の採鉱本部があった東延地区へ足を踏み入れます。
なんと、明治18年に谷を埋め立てて2000坪の土地を造成して完成した当時の最先端の工業地帯だったんですよ。
東延の案内看板。
以下の写真にあるレンガ造りの構造物が東延機械場跡。
明治時代に蒸気機関の巻き上げ機が備え付けられていて斜坑の中から鉱石を乗せた台車を引き上げていました。今は森の中に佇む忘れられた過去の遺跡ですが、こんな深い山の中にこれほどはっきりとした形で残っている。
これも、特A級の産業遺跡ですね。
続く。
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