脳内一人旅日記・改

登山、ロードバイク、一人旅好きのつれづれなるブログ。

格ゲー雑記・15 ネオジオフリーク編集部でのいろいろエピソード(1)

2007年10月29日 | 格闘ゲームとわたし
●マックシェイク事件
確か、たかさんが買ってきたと思うんですが、マックシェイクの飲み残しを机の上にそのまま数ヶ月放置。そのままにしてしばらく経ったら中身はどうなるか、という実験をしてみようという話になったのです。

ところで、KOFは毎年夏に発売されていたので、むろん、誰もいないときは編集部内は熱気の渦となります。そんな状況に何十日も熟成されたマックシェイクはどうなっているのか。


しばらく経って中身を見てみようってことになったんですね。すると…


うじうじうじうじうじうじうじうじうじ


うじの山です。栃木県に放置されたタイヤから多量の蚊が発生しているくらいのうじの量。ストローを見てみると、中身からうじの大群が隊列をなして登ってきています。ずったかたーずったかたー
あんときはみんなでなぜかお祭り騒ぎw


のみちんなんかは涙を流しながらうじを植毛していたのが印象的でした。





…すいません、それは嘘です。




●みんなでドラクエ・1
確か、KOF2000のときの攻略だったと思うんですが、同じ時期にドラクエ7が発売していたんですね。んで、編集部にはテレビが3つか4つあって、攻略そっちのけでドラクエをしていたというエピソードw


少なくともテレビ2つはドラクエで占有されていました。たかさん・おいらは確実にやってて、けん・のみちんもやってたかなあ。特に、たかさんなんかはカジノでコインを楽に稼ぐためにコントローラを固定してオートでルーレットを回すようにしていたので、そのテレビはずっと使えないままw


っていうか、ネオフリってKOFを発売しているSNKという会社のオフィシャル雑誌だったのですが、当時のSNKは経営が厳しく(のちにSNKは倒産)、攻略用に編集部に回ってくるROM(ソフト)が1本とかすごく少なかったという状況でもありました。だからテレビが余っていたんですね。


99では2本か3本回ってきていてわざわざSNKに行って開発前のをいじらせてもらったのに、2000ではそれもありませんでしたし。



●みんなでドラクエ・2
実は、前述したような状況をほのめかす証言をしていたのがKでした。ネオジオフリーク2000年11月号の一番最後のページにある編集後記。編集後記とはライターの日常を好き勝手に書いているコーナーで、ここでKは「つーか、DQ7早くやりてえ」。もうこれはインサイダーですね(?)


ってか、確かKも編集部にドラクエ持ってきてたような。というのは、ドラクエ7には移民システムってのがありました(よね?!確か)。んで、村や町や城やそこいらで一般人を拉致って強制移住させるとどんどん街が大きくなっていき、また、違うプレイヤー同士で移民を交換させるということも可能でした。


普通にやると、これがまた移民の収集がすげー面倒なのですが、移民の交換システムを使った裏技が発見されて楽チンに。この移民の交換をKとやった記憶があります。下の名前半分がおいらもKも「かず」で一緒で、冒険の書も二人ともその名前でやってたんでどっちがどっちだかわかんなくなってたんですよね。


あと、移民の街にはプレイヤーが自由に名前をつけることが出来たんですが、Kさん、なんとも個性的な名前をつけていらして。ゲーム内で、移民情報として出身地が表示されますが、彼の街から来たというのが一発で分かりました。
とりあえずぼくはこれ苦手ですね(謎)。


いや、ただそれが言いたかっただけです。

格ゲー雑記・16 編集部でのいろいろエピソード(2)に続く。

格ゲー雑記・14 ネオジオフリークライターあんな人こんな人(2)

2007年10月27日 | 格闘ゲームとわたし
●ILP-ケンちゃん(けん)
マキシマムザホルモンのボーカルみたいにがたいのいいあんちゃん。俺らの年下でプライベートでは一番遊んだかな。よく池袋のラーメン屋にラーメン食いに行ったなあ。けんも手堅く勝つタイプで対戦の大会にもよく出ていました。

基本的にライターはみんな毒舌なんですが、けんの毒は特に強烈。編集も含めてみんなで遊んだときがあったんですが、毒吐きまくって半泣きした編集の子がいたしなあwおいらもそのとき全くフォローなしだったですけどw

読者を含めたオフ会なんかもよく一緒に参加してたし、ネオフリでは一番仲良かったんじゃないかと思います。



●そうえんとうしゆーちさん(ゆーちさん)
「そうえんとうし」は漢字ですが、探すのがめんどいのでひらがなで。バンドマンな人。いかにもミュージシャンというような風貌で編集部に現れていました。

攻略記事のキャプションやキャッチコピーは独特な言い回しと表現で書かれていて、かなり個性的でした。んで、この人と対戦をするときはほんと心臓に悪かtったです。

対戦中、いきなり「うおおおおおーーー!!!!!」とか叫び声をあげるんですからwそりゃびっくりします。なんかそんな流れでいつの間にか負けてしまうというwこの人も面白いんですけど、一方で大人なお兄さんといった感じでもありました。今でもごくたまに連絡をくれたりします。


●Kaz78年式
わざわざこんな形で紹介することもないんですが、まあ一応ということでwおいらの親友であり、彼が編集長にスカウトされたおかげで、おいらも漁夫の利を得てライターになれたという、ネオフリにおける恩人。他の意味でも恩人という風評もありますが、ここでは置いておきます。

普段からそうなんですが、ネオフリ内でも自由奔放だった彼。みんな攻略作業をしているのを尻目に違うゲームやってたりとかwでも、編集長の目に留まっただけあって、対戦の腕は抜群でほかのライターからも好評価を受けておりました。




格ゲー雑記・15 編集部でのいろいろエピソード(1)に続く。

格ゲー雑記・13 ネオジオフリークライター あんな人こんな人(1)

2007年10月25日 | 格闘ゲームとわたし
先の記事で他のライターさんとなかなか溶け込めなかったといった内容を書きましたが、99から本格的な攻略作業に入ると、彼らとはすぐに打ち解けることが出来ました。皆それぞれ個性があってほんと面白い人たちばっかだったのです。

ここでちょっと紹介したいと思います!いやー、まさかこんなとこで自分が書かれてるなんて当の本人にとっては思いもよらないだろうなw

●修羅騎士・鷹さん(たかさん)
すでに登場していますが、外見はちょっとこわもてですが実はいい人で面白い人。ゲームセンスの塊のような人で、テクニカルでかつ対戦の駆け引きもうまい。なかなか勝てなかったなあ。

んで、この人のひょうきんさを物語るエピソードがあります。親友Kと対戦をしていたあるとき。Kがなんか相手にとっていやらしい攻撃をしていて、鷹さんがその攻撃にぶつぶつ文句を言い出したかと思うと、いきなり「いえぇ~」とかなんとかいって、レバーとボタンを操作しているKの両手を自分の手で邪魔し始めたのです。ふつうにありえない所業ですwでも、最終的にそんなんで自分が勝って「ひっひっひ」とか笑って終わりにしちゃうwそんなおちゃめな人ですw



●DSP-たろりんさん(たろさん)
イケメンな人。攻略ではゲーム全体のシステムを攻略する「システム解析」というものを担当していました。口癖は「なんなんすかねえ」。いや、これ本人が言ってるところ聞いた記憶がないんですが、ネオフリでGrade-1というコーナーがありまして、のみちんが担当していたんですが、そのコーナーでたびたびその口癖が登場していた記憶はありますw

ってか、すごい細かいネタですいません。

あと、多分おいらが一番迷惑をかけたであろう人がこの人。前の記事でストップボタンを使って攻略作業をするといった内容を書きましたが、そのボタンは細い銅線で繋がれていて引っ張ればすぐ取れてしまうようなものだったんですね。

んで、ほかのライターさんは慎重にそれを扱っていたんですが、無神経なおいらはよくボタンの銅線に足を引っ掛けたり、攻略が上手くいかなくて暴れて引きちぎったりと、よく線をぶった切っていました。

それを「誰だよ!またボタン壊したのは!」と文句を言いながらハンダコテでボタンを直す役目を負っていたのがたろさんだったわけです。むろんおいらは「しらねえ」の一言で知らぬ存ぜぬ。それを横目で見ながら何食わぬ顔で他の作業をしていたという寸法です。

たろさん、すんませんでした!余談ですが、この時に全てを無に帰す「しらねえ」という名言が生まれたのでした。

●飲み頃KINGさん(のみちん)
ライター陣では一番面白いというか、斬新な発言を何度もしていたのがこの人じゃないかなあ。ライターがみんな勢ぞろいしていたある深夜ののみちんの発言はまさに神が降りていました。

そのときの発言を語録として、編集のHPにアップされたこともあるほどです。よく自分のことをネタにする人なのですが、記憶を手繰り寄せると「ハゲは管理職の特権だ」「毛根が滅び去る音が聞こえる」「オートで麟のコスプレをしているようなもの」(注:麟というのはKOFに登場するハゲたキャラクターです)などなど。もっといっぱいあったんですが。のみちん語録を発見された方、ご一報お願いします。

あとは、某同人誌即売会でご一緒したことがあるなど、そっち方面でプライベートでも交流があった一人です。

●ヒデ本条さん(ヒデさん、Gさん)
絵描きな人。確か、自分でも本を出版してたような。ゲームでは一番手堅く勝つお人。この人がCPU戦の攻略をやったときのエピソードがあります。「んだよ!クソゲーだよ!」キレ始めるんですよね、CPU戦をやるとwなかなかパターンが見つからなくてキレるwんで、次の2000でもCPU戦をやるたび、その光景が繰り返されたのでしたw

格ゲー雑記・14 あんな人こんな人(2)に続く。

格ゲー雑記・12 ネオフリ対戦エピソード(2)~飛んでぶーりん~

2007年10月23日 | 格闘ゲームとわたし
それは上りジャンプ強キックです。


その上りジャンプ強キックというのは自分がジャンプした直後から強キック攻撃を出すという方法で、ジャンプの軌道の頂点に達する前に攻撃は終わり、そのあとは無防備になってしまいます。


なので、例えば、自分の上りジャンプ攻撃で相手のジャンプ攻撃を空対空で迎撃するといった場合には有効ですが、相手が地上にいる状態で使う方法ではありません。


このキャラの上りジャンプ強キックは地上にいる相手にはまず当たらないということもありますが、それ以前に自分の起き上がりにジャンプ攻撃を繰り出すなんて、あまりに理解不能・不可解極まりない行動です。


じゃあ、結果はどうなったか。当たりました。一瞬にして画面が真っ白になり切り替わった画面でおいらの勝利が告げられます。アンビリバボーです。佐藤藍子の耳もびっくりです。


それでは佐藤政道さんのナレーターで奇跡の瞬間を検証してみましょう。


まず、けんが使っていたキャラが出した中段技はかかと落としをするようなモーションです。しかも、ただその場でかかと落としをするのではなく、体を一回転させるような感じで出すので、若干前に進みながら素早く技が出ます。


このとき、攻撃発生から実際に攻撃が相手に当たるまでの、1秒にも満たない間は両足が地上から離れて一瞬だけ相手は空中にいる状態になります。この一瞬で出してきた相手キャラの足に、自分のキャラの足をジャンプ攻撃でぶち当てたというわけです。


もちろん、反応して出したわけではありません。なんかしなきゃって慌てていたら出ちゃったんです。聞いちゃったといえば……聞いちゃったんです。もいっかいやれと言われても二度と出来ません。


周りで見ていたライター陣から爆笑の渦。けんはあり得ないといった感じで苦渋の表情。おいらもあり得ないといった感じながらも飄々とした表情。なんかしらんが笑いを取ったことで心の中でガッツポーズ。


というか、たったこれだけのことをいったい何文字使って説明すれば気が済むんでしょうね、この人は。しかも、多分伝わりにくい汗。ここまで読み進めてくださった奇特な方がいらっしゃいましたら、感謝の意を表すると共にお悔やみを申し上げますw

格ゲー雑記・13 あんな人こんな人(1)に続く。

格ゲー雑記・11 ネオフリ対戦エピソード(1)~ILP~

2007年10月22日 | 格闘ゲームとわたし
ということで突拍子もないエピソードです。格ゲーの専門的な内容が出てきますが、長々説明してますんでどうぞ読んでやってくださいまし。


編集部でけんと対戦をしていたときのこと。お互い体力ゲージも残り少なく、どちらかが何かしら技を当てれば勝てるという緊迫した状況。ほかのライターさんもその様子を見守っています。


このとき、おいらは何か技を食らっていてダウンしており、けんはその起き上がりを狙って攻撃をしかけてくる様子。

相手の起き上がりを攻撃する常套手段として中段技というものがあります。これはなにかというと、まず、攻撃を防御する方法には相手との向きで左右に防御する方法と、立って防御するかあるいはしゃがんで防御するかという方法があります。


普通に考えて、相手のジャンプしながらの攻撃には立って防御し足払いのような相手の足元を狙う攻撃はしゃがんで防御します。足元を狙わないが地上に相手がいる状態で攻撃を受ける際は、しゃがみ防御すれば通常は安全です。

そういったたいていの地上技はしゃがみ防御で防げるので、足元攻撃の防御も兼ねてしゃがみ防御をするわけです。


しかし、地上技の中でも立ち防御をしなければ防げない攻撃があります。それが中段技です。中段技を持っているキャラはやっかいです。つまり、攻撃を受けるこちらとしては相手の中段技と足払いの両方をそれぞれ立ち防御、しゃがみ防御で対応する必要があるからです。


中段技の攻撃発生が速ければ速いほど、コンピュータならともかく、人間でそれを反応するには至難の業。攻撃する方としては、人間相手に立ち防御としゃがみ防御の二択を迫るわけで、これだけ有効な方法もないんですね。


とここで、けんとの対戦状況に戻してみます。けんが操作するキングというキャラにはその中段技が備わっていました。こちらが起き上がるちょうどそのときに相手が中段技あるいは足払い技を重ねたとすれば、こちらは、起き上がっているときには立ちかしゃがみか、そのどちらかに防御しなくてはなりません。


こーゆう状況では、無敵時間がある迎撃技使うという選択肢もあります。無敵時間で相手の攻撃を避けつつ自分の攻撃を当てることで相手の攻撃を回避するというもの。


しかし、たいていの迎撃技は技を出した後に大きな隙ができるものがほとんどなので、自分の起き上がりに出すにはリスク大。相手にそれを読まれて様子を見られてしまったら、その隙に大打撃を受けるわけですから。


どちらにしろ、ダウンさせられてしまったこちらは不利です(もっと細かいことを言えば、キャラとキャラとの距離がある程度離れており、相手の中段攻撃はこちらに届くが逆にこちらの攻撃は相手に届かないという間合いでした)。


しかも、このときにおいらが使っていたクラークというキャラはそういった迎撃技を持っていないのでいちかばちかの賭けをするにもその選択肢がありません。負けは必至な様相です。


定石通り、けんはここで中段技を出してとどめを刺しにきたんですが、おいらは何を思ったのか神が降りたのかは分かりませんが、自分もほかの誰も予想もしない行動に出ます。


まあ、こーゆうときは普通ならこちらは立ちかしゃがみでなんとか防御して一旦様子を見るでしょう。しかしながら、おいらは一転して攻撃に転じたのです。どんな攻撃か。

格ゲー雑記・12 ネオフリ対戦エピソード(2)~飛んでぶーりん~

格ゲー雑記・10 ライターの仕事(2)~攻略作業~

2007年10月21日 | 格闘ゲームとわたし
この回では、実際にどういった攻略作業を行ったのか、その内容を振り返ってみようと思います。


まず、それぞれのキャラが持っている全ての技の性能・特性を調べる技解析というものを行います。編集部にあるゲームの台にストップボタンというものがついていて、それを押すと画面が止まり離すとまた動く、これを駆使して細かい調べが可能となります。


その一例として、ある技を出した後の硬直時間を調べる際、まずその技を相手にガードさせて一度ストップボタンを押します。そして、技を出したキャラとガードしたキャラを操作して、二人同時にレバーを↑に入れっぱなしにするんですね。


このあと細かくボタンを押していくと、どちらが先にジャンプしたかで硬直時間が分かるという寸法です。つまり、技を出したキャラが相手より先に飛べば、相手より先に動けるということでその技は相手より有利に働くということになります。


ほかにも、必殺技のコマンドを入力してから何フレームで攻撃判定が発生するのかとか、文字通り1秒以下の細かさです。


こういった例は格ゲーをよくやってる人にとっては既定となってる手法だと思われますが、当時のおいらにはこういった概念がなかったので、攻略作業は目からうろこの連続でした。


細かい仕事はとても自分向きには思えないのですが、なにせ楽しいことをしているわけですからそんな自分でも自然と熱が入ります。


そうやって調べた内容を元に原稿を作成します。原稿があがると今度は写真を撮り、その写真にコメント(キャプション)を加える作業になります。これらの作業が全て終わった時点で、編集に原稿を持っていくわけです。


んで、仕事はこれで終わりという訳じゃなくて、初校をチェックする作業があります。この段階では編集に原稿をあげたあとに間違いや新しい情報が発見された場合でも、文章などを手直しできます。最後に、色校をチェックしやっとうちらが作った記事が店頭に並ぶという流れです。


原稿作成の流れは対人戦やCPU戦などでも同様ですが、対人戦の原稿作成はなかなかやっかいです。当然、人間同士がやってることなので機械的に必ずこうなるというものでもありません。技解析でどの技が強いのかという情報を参考にしつつ、ライター同士、あるいは巷に出て行って対戦を繰り返すことになります。


基本的な考え方としてあるのは、ローリスク・ハイリターンな攻撃あるいはそのパターンを探すというもの。極端な例は、いわゆるハメというやつですね。一度相手がその攻撃を食らったら、こちらがミスをしない限り相手の体力がなくなるまで攻撃し続けられるいうもの。


こういった状況でその技を出して相手をハメて勝ちましょう、というのは立派な対人戦攻略です。


その一方で、対戦相手の防御をどうやって崩すか、これも対人戦攻略の大きな柱です。例えば、ある技を防御させたあと、その場から小ジャンプすると裏に回れるよとか。これは相手が防御する左右の方向を惑わすものです。


そういったさまざまな要素を組み合わせて検証や実践を繰り返し、それを記事にしていくというわけです。まあ、いろいろと小難しいことを書きましたが、結局のところ、対戦に強い人が攻略を書けばそれが良い記事になるわけで。ライターとしてのセンスがここで問われますよね。


とりあえず、親友Kは自分が書いた記事通りの対戦をしてほかのライターさんにも普通に勝ってましたわw 「出たよ、始まったよ」とか(通常技を)「ばらまくなよ」とか文句を言われながらwいい攻略を書いたもんですなあ。


んで、ライターの中ではたかさんが強かったなあ。テクニカルでかつ強いというタイプ。ほかのライターではILP-ケンちゃん(通称:けん)やヒデ本条さん(通称:Gさん)はとにかく手堅い。ほんといやらしいことしてくんですよねぇwというか、みんな強いんですけどね。


じゃあ、当のおいらはどうだったのか。あんま勝てなかったっすね!突拍子もないことよくやってましたし。自分の趣味に走るきらいがありましたw


格ゲー雑記・11 対戦エピソード(1)~ILP~に続く。

格ゲー雑記・9 ライターの仕事(1)~キャラ決め~ 

2007年10月19日 | 格闘ゲームとわたし
次の仕事は、前回、編集部に行ってから数ヵ月後に発売されたKOF99の攻略です。


編集から携帯に電話があり、攻略をやって欲しい、SNK(KOFを発売している会社)に行って取材をするから来てくれ、とのことで某駅で他の攻略陣と待ち合わせをしSNKに向かったのでありました。SNKでは、まず開発版をやりその場でキャラ決めをすることになります。


KOFという格ゲーは以前も説明したとおり、三人一組で対戦する形式で多くのキャラが登場していたのも特徴でした。
多数のキャラの攻略を誰が担当するのか。この時のキャラ決めについて当時を振り返ってみます。


まず、それぞれの人が希望のキャラを言っていきます。そして、キャラがかぶった人同士で個別に話し合い、妥協した人が最終的に空いているキャラを担当する、という形です。


最初にキャラを言い合う段階ですが、それぞれが毎年担当してるキャラってのがいて、暗黙のうちにこのキャラはこの人だろうってのがあったんですね。例えば、たかさんは草薙京とアンディだな、飲み頃KINGさん(通称:のみちん)はサイコソルジャーだな、とか。


だから、そーいったキャラはそれぞれが避けてキャラの希望を出すわけです。おいらの場合は、レオナ、クラーク、テリーというキャラだったのですが、レオナ・クラークはすんなり決まりました。


前作までレオナ・クラークの担当だったジェイケイさん、モリスケさんというライターさんがいたのですが、その人たちはすでにやめていたので(その入れ替わりでおれらが入った)、問題はたかさんがやってたテリー。結局、その場でおいらがテリーの担当には決まりませんでした。


そんで、その取材が終わった夜、親と外食したあとタクシーで帰宅したんですが、タクシーに乗ってる時に知らない番号から電話がかかってきたんです。

誰だか分からないままに電話取ると、低い声で何事が名乗っているんですが、どうも聞き取りにくい。知らない人から声をかけられたときは威厳を保たねばならない。そんなわけの分からない理由で「誰?誰だよ?」と、高圧的な感じで受け答えをします。


ようやく電話の主が分かった時にはかなりびびりました。というより、戦慄が走りました。たかさんだったんです。ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!誰とか言っちゃったよ、どうしよう(;▽;)。とりあえず謝りました。


んで、用件はというと、テリーをおまえに譲るということでした。なんでも、もうテリーは飽きたということでw。わざわざ編集部でおいらの携帯No調べて電話してくれたんですね。わざわざどうもでした!ってことで、最後にテリーもおいらの担当になったわけです。

格ゲー雑記・10 ライターの仕事(2)~攻略作業~

格ゲー雑記・8 ライターになっちゃった(2)

2007年10月18日 | 格闘ゲームとわたし
前回の場面からの続きです。
とりあえずまた別の日に編集部まで来てくれ、ということで、編集長から名刺を頂きその場は別れました。


もう、そのあとは対戦どころじゃありません。2人とも興奮してしまって、すげーすげーを連発してましたYOッ!マジすげ~!おれらがあの全国誌のライター?!マジかよ?マジだよ!ほら!この名刺が目に入らぬか!はいらねーよ!ばかかおめー死ね!でもすげ~!・・・・そんな会話ともつかぬ会話が展開されていました。


そして、数日後2人して編集部に行くことに。どぎまぎしながら編集部に入ると、なんかせまっくるしくて汚い印象が記憶に残っています。とりあえず、編集部内のテーブルとソファがあるところで、編集長と俺ら3人でこれからやる仕事について話し合うことに。


具体的には、98のサバイバルモードってやつの攻略をするようで、内容はいかに早くCPUを倒しボス戦まで行けるか、といったものでした。あとはキャラ決め。おいらはたしか、誰だっけなあ?忘れました、ネオフリの初仕事だったのに。とりあえず、レオナは真っ先に選んだけど。


当時は、編集と攻略が同じ場所で仕事をしていて(後に編集は2階、攻略陣は3階に分かれました)、たまたま、おれらが行った日に修羅騎士鷹さん(ネオフリの看板ライターさん)もなにやら調べをしていました。編集長からたかさんを紹介されたんですが、その時のたかさんの印象は、


「こえ~、なんて無愛想な人なんだ。近づいちゃいけね~ぞ、こりゃあ」


でも実は、たかさんって人はよく話してみるとすっごく面白い人で、ただ単にシャイなだけでしたw。とりあえず、おれらはたかさんに攻略のポイントを教わり、すこしプレイしただけでその日は編集部をあとにします。


そして、今度は本格的に調べをする為に再び編集部を訪れます。その日はだいたいの攻略陣が勢ぞろいしていましたが、その時の印象は、おれらが予想していたものとは全く違っていました。


おれらは、「ゲームの攻略やってる人なんてヲタっぽい人多いんだろうなあ」なんて固定観念じみた話をしていたんですが、実際はそんなこと微塵も思わせない風貌な人たちばかり(編集部初日で既に会ったたかさんも含む)。


とにかく、最初の頃はほかのライターと事務的な話はするものの、その他の会話は一切無しで、俺ら2人が孤立した形で仕事を黙々とこなしていた記憶があります。こちらが分からないことがあれば親切に教えてくれるだけで、淡々と時間が過ぎていきました。


そのあと、KOF98のプレステ版だっけな、そのムック(攻略記事をひとまとめにしたもの)を作る仕事もしたのですが、状況は変わらず。なんちゅーか、それぞれがただ仕事をこなすことに精一杯で、話をする時間的余裕がなかったんですな。
あの時はほんとやりづらかったなあ。


やりづらかったことは、さらにもうひとつあります。それは攻略原稿を作るためのワープロです。「ルポ」というやつでして、かなり古いもので自分の家のパソコンで原稿を作っても「ルポ」ではファイルを開けません。

まあ、編集部でその「ルポ」を使ってやればいいのですが、なにしろ使いずらく、ひらがなの変換はばか変換だし、打ちにくいしとにかく最悪でしたわ。まあ、使っていくうちにある程度慣れましたけど。

格ゲー雑記・9 ライターの仕事(1)~キャラ決め~に続く。

格ゲー雑記・7 ライターになっちゃった(1)

2007年10月17日 | 格闘ゲームとわたし
時は199X年10月か11月の某日、池袋のGIGOというゲーセンで親友Kと一緒にKOF98の対戦に熱中していた時のことです。この日は我々の運命を大きく変えることになる奇跡が待っていました。


KOFに「レオナ」というキャラがおりまして(パプニカの姫ではなく)、96から初登場して以来ずっと愛用していたキャラなのですが、そのレオナが特に調子よくってかなり連勝してました。Kのほうもクリスというキャラを中心に勝ち星を積み重ねている様子です。


ちょっとここで余談。KOFをご存知の方ならクリスはお馴染みのキャラなんですが98のクリスはほんと強くて対戦ではよく泣かされました。特に、Kが扱うクリスは最強というか最凶というか。身内同士での対戦はもちろん、知らない人との対戦でも彼はほとんど負けてなかったですし。劣勢でも異常な粘りを見せて勝つんですよねえ。


ということで、最初は二人別々に対戦していたのですが、この日はじきに対戦相手もいなくなり必然的に身内同士の対戦になるわけです。これまで幾度となく繰り広げられたレオナVSクリスの戦い。


その熱戦の最中、途中でいきなりKのキャラの動きが止まったんですね。どうしたんだろう、ボタンでも壊れたかな。対戦台の反対側にいるKの様子を覗いてみると、なにやら誰かに話しかけられています。話しかけているのは中年のびしっとした感じのめがねのおっさん、そしてその側には30代くらいのお姉さん。


この二人、確かおれらがGIGOに到着した時にはすでにKOFの対戦台の周りに張り付いていました。ゲーセンの対戦格闘をするにはあまりに場違いな風貌の男女。これが最近の不倫のやり方か?などとは当時のおいらは思わなかったのですが、とにかくおれら二人ともちょっと気にかかった存在だったのです。


対戦が中断され、事態を飲み込めないまましばし待つしかありません。
そして、Kの方からこちらに歩み寄ってきて、あまりにも唐突で衝撃的な事実をおいらに告げたのです。


「ネオジオフリークのライターにならないかって、スカウトされたよ」


えええええええええ??????!!!なにーーーーー?!石焼ビビンバーーー?!ネオフリと言えばおいらも結構読んでるあのネオフリか!?そのライターに?!ぬおおおおおおおおおおおおおおおお!
(注:ネオジオフリーク=SNKという会社が出していた格闘ゲームの攻略を行っていたゲーム雑誌)


Kの言葉は非常に簡潔だったのですが、さらに頭が混乱します。


話を聞いてみると、どうやら、ネオジオフリークのライターが足りなくなったらしく、編集長(めがねのおっさん)とデザイナー(お姉さん)が直々にゲーセンまで足を運び、その素質があるものを漁っていたらしいのです。


そして、おれらの対戦の目の当たりにし、Kにお声がかかったというわけでした。


っていうか、冷静に考えてみると声をかけられたのはあくまでもKなわけです。おいらは?どうなっちゃうの?放置プレイ?やだー!と嘆いていると、Kが親切にも「今対戦してた相手は俺の友達なんだが、彼の腕はどうですか?」と、打診してくれたようで、すんなりOKが出ました。


うおおおお!!!やったー!!そのときの衝撃といったら筆舌に尽くせません。とにかく、KOF一筋300年、目移りせずにやってきて良かったと思った瞬間でした。


んで、鮮明に記憶に残っているのがゲーセンに行く前の行動。確か、一番館というラーメン屋で夕食を済ませていて、もう帰ろうかそれとも対戦しにいくか、って二人で相談してたんですね。結局、対戦することになったのですがこの時の選択がまさかのまさかに繋がるという、村田兆治もびっくりくりくりくりっくりくりです。

格ゲー雑記・8 ライターになっちゃった(2)

格ゲー雑記・6 人生を変えたKOF98

2007年10月16日 | 格闘ゲームとわたし
時は流れて1998年。KOF98はKOFシリーズの中で最もバランスに優れている名作と言われていますが、おいらにとっても非常に思い入れの深い作品となります。



この年は無事に大学受験に合格、都内で1人暮らしを始めることになるのですが、初めてパソコンを買い自宅にインターネットを引いてあちこちの格ゲー攻略サイトを巡っていました。
余談ですが、この頃は今みたいにADSLやFTTHといった常時接続環境がまだ整っていない時代。ダイヤルアップで「テレホーダイ」とかを利用していたんですねえ。


んで、巡っていたサイトの中で、ある大手のサイトに常駐するようになりBBSへの書き込みやチャットの参加などを頻繁に行い、ネット上での人の交流を盛んにするようになっていました。


いわゆる「オフ会」は小規模なものを含めて100回以上はやりましたかなあ。1対1で会うこともしばしば。でも、会話ってほとんどなかったですねえwとにかく対戦対戦でw


つまり、「オフ会で対戦」ということに尋常ならざる情熱を燃やし始めたんですわ。例えば、車で6~7時間ぐらいかけて夜中の東北道を通って仙台まで行き、一日中対戦した後、また夜に車で戻るとか、生まれが北海道なんで北海道室蘭市の家に帰省したとき、網走とかその辺に住んでいた人と対戦するため、旭川で対戦したりとか。

北海道は広いですから、室蘭から旭川まで片道約270kmを特急で往復しましたねえ。旭川から戻るときなんて、ぎりぎりまでやってたんで、駅までは猛ダッシュでした。


ほかにも、青春18きっぷを使って広島まで行ったり九州一人旅の帰りに愛知県に立ち寄ったりと。ネットで知り合った人と実際に会うため、全国各地を飛び回ってオフ会やってたっちゅうことですわなあ。


現在、おいらは埼玉県の蕨というところに住んでいて、まあいろんな人に聞いてもどこか分からない人多いし、漢字が書けないとか、なぜかクルド人がたくさん住んでいて、成田空港で「ワラビー!!ワラビー!!」って叫ぶクルド人がいるとか、散々なことを言われている市なんですが、ここに引っ越してくる前に蕨のゲーセンでオフ会をした、なんてこともありました。


オフ会・対戦を通じてたくさんの人たちと出会いました。そこで出会った人の中でも、このブログにも登場していますが、一緒に山登りしたM君とか、AIRの旅に同行してくれたF君とか、最初会ったときはお互い柄が悪くて牽制しあっていたもののすぐに意気投合したC君とか、今でも普通に友達付き合いしている人たちも少なからずいるんですから、人の縁とは不思議なものです。


そして、98の年ではもうひとつ、おいらの運命を変える出来事が待っていました。

格ゲー雑記・7 ライターになっちゃった(1)に続く。

格ゲー雑記・5 Mの恐怖

2007年10月15日 | 格闘ゲームとわたし
二度目の大会ということで、前回のようにびびってキャラを変更とかもせず大会に臨みます。


結果は…


前回と同様、何もしないままあっさり惨敗。まあこんなもんでしょう。
しかし、2番目のMはこの日は違いました。前回の時とキャラを変えてきていたんですが、このキャラ、95での対戦では非常に忌み嫌われてたキャラだったのです。というのは、自分自身のリスクは非常に少ない共に効率的に相手のダメージを与えられる黄金戦法みたいなものが存在していたんですね。別に難しい操作をするのでもなく誰でも出来るような戦法です。


極端な話、この一定のパターンに則った攻撃だけを百万回繰り返しても勝てるような感じ。
やられた相手はというと、フラストレーションが溜まる一方だと思います。ワンパターンな攻撃なのに自分はなかなか反撃できないのですから。



しかし、Mは非情にも徹底してその黄金戦法を使っていました。見ているこっちも苦笑いするほど。
勝つためなら手段を選ばず、どんなえぐいことやえげつないことでもやってのける。表向きは卑屈を気取っていますが、その裏には冷たく鋭い氷の刃を保持しています。そのデスブリンガーによる犠牲者は栃木県佐野市に放置された廃タイヤの数をも大きく上回るでしょう。


殺人マシーンとなった彼の活躍で、決勝まで大将であるKまで順番が回らないうちに勝利を重ねます。決勝戦ではさすがに相手も強く、一人も勝ちぬけぬままKに順番が回ってきました。この大会で初めて操作するのが決勝で、しかも後がない状態。一番プレッシャーがかかる場面です。もしこれがぽっくんならとっくにイタイイタイ病になってるところですが、なんちゅーかKはなかなか千両役者ですわな。

まだこの時には一般に知られていなかった超絶連続技を決めてみせる余裕を見せ、ギャラリーから歓声も沸きます。そのまま二人を勝ち抜きお互いの大将戦となったのですが、緊迫した展開の中僅差で勝利を逃してしまい、準優勝となりました。


ぼくがもう少し働いていれば結果は違っていたかもしれませんが、なにぶん四日市ぜんそくなんで仕方ありません。


そうして、大会参加などもしながら格ゲーに明け暮れる日々は続きます。

格ゲー雑記・6 人生を変えたKOF98

格ゲー雑記・4 精神障害と臆病者

2007年10月14日 | 格闘ゲームとわたし
腕に覚えがあれば、その腕がどこまで通用するのか試してみたくなるのが男の性というものです。ちなみに、おいらはNHK連続ドラマ「腕に覚えあり」で黒木瞳を初めて知りました。いやぁ面白かったなあ(聞いてない)。


腕に覚えがあるのはむろんおいらではなく、KとMであったろうと思います。つまり、彼らの提案で腕試しの為ローカルの対戦大会に出場しようということになったのです。


KOFは3人一組で対戦を行うので、ちょうどこのぶっかけ3人組はぴったしなわけですね。


彼らは意気軒昂としていたわけですが、おいらは逆に心神耗弱です。緊張でがちがちでそのキャラを本番では上手く動かせない、そう考えたおいらは大会直前になって当初決めていたキャラからより扱いやすいキャラに使用キャラを変更をします。


結果は…


今で言う社会不安障害(SAD)だったのでしょうか、マイケルJフォックスのようにパーキンソン病だったのでしょうか、まったく正常に神経が働かず、かたまり魂のまま、何も出来ないままに惨敗に終わります。


「おまえ、何もしてねーじゃん!」


ごもっとも!


おいらのあまりに醜い敗北っぷりにリズムを崩したのか、KもMも本来の力を発揮できぬままこの大会を終えることになるのでした。


このときのおいらの弱気、逃げ腰、軟弱といったらなかったですねえ。臆病者、チキンの極みとも言えるでしょうか。はっはっはっは!!


もうSADでけっこうですよ。今でもですねえ、会社でおいらが全体朝礼をするときは足が震えますからねえ!!ぷるぷる香りぷるぷる消臭!



この後、雪辱を期すため日を改めて別の大会に出場することになります。
汚名返上といきたいところですが、神はそう簡単に勝利の栄誉を与えてはくれません。むしろ、



「魔封波だー!」



んで、魔封波返しをされるわけですね。
ちなみに、この大会で悟空が結婚する話では亀仙人が八奈見乗児なんですよねえ。


っていうか!
亀仙人といえばエアロビのテレビをわんつぅーわんつぅーて言いながらすんごい至近距離で見ているのが印象的ですよね。


あと、悟空とクリリンを修行したとき、国語の時間で悟空に読ませた教材…



「うふんくすぐったいだめよもうすぐままがかえつてくるんだからとまーがれつとはいったのだがぼぶはごういんに・・・」



悟空はさぞ国語力がアップしたことでしょう。

アップしたことでしょう……

…ん?ちょっとまてよ?
んーん?!

あ!!!


格ゲー雑記・5 Mの恐怖に続く。

格ゲー雑記・3 そのとき歴史は動いた

2007年10月12日 | 格闘ゲームとわたし
おいらが初めてKOFという格ゲーに出会ったこの頃(1990年代)、世間では格闘ゲームが大きなブームとなっていました。火付け役となったのは、いわずと知れたカプコンのストリートファイター2。

また、100メガショックでおなじみ、SNKから発売された餓狼伝説もヒット。このような状況下で、3人一組による勝ち抜き戦、豊富なキャラクターといった斬新な特徴を持ったKOFもまた大ヒットし、1994年から毎年のように新シリーズが発売されることとなります。


KOF95では、KOFの主人公で草薙京というキャラクターのライバルとして八神庵というキャラクターが初登場します。これ以来、京と庵がKOFの中心となっていくわけですが、彼らの人気はゲーセンの対戦台以外のところにも大きく飛び火しておりました。

例えば、オタクの祭典と言われている同人誌即売会「コミックマーケット」。ここにはコスプレをした方々もたくさん集結しますが、当時、京と庵のコスプレをした人がいるわいるわ。男性だけじゃなくて女性も多かったなー。KOFってこんなに人気あったの?!ってびっくりした記憶が残っているくらいです。



3Dだけではなく2Dでも絶好調。庵×京、京×庵といった(攻めと受けでだいぶ違いますが)、いわゆるBL系ってやつですか、ヤオイってやつですか、よく分かりませんが、そっち系の題材としても数多く利用されてきたわけです。ほかにも、さまざまなカップリングが存在しますけれども。



そーゆうわけで特に意味もなく、自己満足的に初期の格ゲーの歴史を振り返ってみました。
とにもかくにも、KOF絶頂期の中、94をやって格ゲーの虜になってしまったおいらは、95が発売されてからさらに対戦にのめり込んでいったのでした。


95に入ってからも94と同様、なかなか対戦相手に勝てない日々が続きます。94のやり初めに比べると多少なりとも腕は上がったものの、まだまだ未熟児。95の通算戦績は、細かい数字は分かりませんが8:2ぐらいで大きく負け越していたのではないでしょうか。


それでは、親友K、Mはどうだったか。やっぱ強かったっすよね。特に、Kの強さはほかの巷のプレイヤーと比べても一歩頭抜け出している感じ。プレイヤー同士で力の差があれば何度乱入してもなかなか勝てないのが常なんですが、Kの場合は特定の相手を苦手とすることはほとんどなかったと思います。


ここでちょっとローカルな話になりますが、俺らがよく通っていたゲーセンにちょくちょく現れる、通称「キャベツ」という格ゲープレイヤーがいたのですが、彼はよくKといい勝負を演じてましたねぇ。お互い顔は知っていたと思いますが、会話することが一切ありませんでした。なにせ「キャベツ」ですからねぇ。ってか、なぜその呼び名がついたのか未だに謎です。


そういえば、池袋でこのずっこけ3人組でKOF95の対戦をしていたとき、けっこうな猛者が対戦に乱入してきて、おいらとMはなかなか勝てなかったのですが、Kとは一進一退を繰り返していました。途中からKは相手のクセを掴み連勝するようになったのですが、元中日ディスティファーノのように気の荒い性格だったようで、俺らにからんできたんです。

結局その場は収まったのですが、肝を冷やした一瞬でした。そんで、話はこれで終わりではなくて、Kが1人で池袋の同じゲーセンで対戦をしていたら、そのディスティファーノと再会、また一触即発かと思いきや、お互いの腕を認め合い和解したそうなんですね。歴史が動いた瞬間でした(?)


そんでもって、おいらが中学時代を過ごした埼玉県上尾市のゲーセンで対戦をしていた際、なんとおいらもディスティファーノと遭遇。普通に彼と仲良しこよしにw


ところで、このゲーセン、1P側と2P側が3階と4階で分かれているという特殊な対戦環境だったんですが、彼の気性の荒さはここでも健在で、わざわざ下に降りてきてまで、気に入らない相手にはがんがん因縁つけたり椅子を蹴ってたりしてましたw
自分じゃなくて良かったっす。


格ゲー雑記・4 精神障害と臆病者に続く。

格ゲー雑記・2 奇行と痙攣と…

2007年10月11日 | 格闘ゲームとわたし
ゲーセンに行って対戦をする、これはある種の病気ともいます。毎日することはもちろん、空き時間があればとにかく対戦対戦の繰り返し。対戦していないと落ち着かないのです。


この状態はいわば、アル中になった赤塚富士夫が手をわなわな震えさせながらテレビのインタービューに答えているようなものです(?)


そう!この「手が震える」という現象は、おいらの格ゲー人生の最初を象徴するひとつのテーマだったのです。


KOF94という格ゲーは、弱攻撃(相手に与えるダメージは低いが連続して出せる、あるいは隙が少ない攻撃)の連射が非常に効くゲームで、対戦における肝というべきものです。例えるなら、ボクシングのジャブを高速に打てるようなもの。


一度攻撃が入れば、ロスなく連打することで10ヒット以上攻撃が当たり一気に相手の体力を半分近くまで減らせるという、恐ろしい威力を持っていました。


いかにして連打を制するか。

ボタン連打をするやり方は、主に2通りあってひとつはピアノ打ち、もうひとつは痙攣打ちと呼ばれるものがありました。


前者は二つの指を交互にボタンに打ち付けることで連射を生み出します。後者はというと、腕を細かく震えさせて連射します。高橋名人がスターソルジャーとかでやってた方法ですな。


そういえば!
かな~り昔、16連射に挑戦!とかなんとかの謳い文句で連射測定器ってありましたよね?!でも、定規をビローンと歪ませれば簡単に連射が稼げたという代物でした。すぐ飽きたなあ。


あの頃はなんとか名人ってたくさんいたなあ。名人対決とか。ファミっ子大集合だっけ?ん?渡辺徹が司会のやつは…


あ、ええと話が脱線トリオしたところで戻したいと思います。
つまり、KOF94で対戦相手に勝つべく、おいらも連射の修行を積んだということです。おいらが選んだのは痙攣打ち。


「手が震える」
ここでやっと出てくるわけですね。


いかにして「手が震え」やすい状態を作り出せることができるか。知恵を絞りました。考えました。


結論は、まずは腕のストレッチ。拳を握ると出てくる筋肉を伸ばすため、壁に腕を固定して体をひねるわけですが、体の向きを色々と変えながら行うおいらのストレッチは、端から見ると、さび付いたおもちゃがかくかくと動くように、いや、コロッケが五木ひろしのモノマネでする五木ロボットのように、非常に滑稽に見えていたというんですね。


滑稽に見えた動きというのはほかにも一つ心当たりがあって、JR日暮里駅のホームで山手線を待っていたときのことです。


この日は風が強くて、ホームに立っていた自分の真横から風が吹いてきていました。どういうわけか風が気になったんでしょう。言葉で説明しにくいのですが、首の向きを固定したまま、体だけを先にぐいっと素早く捻って、遅れて首がその方向に向くような動きをしたんです。

今なんか自分でもすげー不自然な動きしたなと分かったんですが、分かったのはおいらだけじゃなくて首を向けた先にいた二人の女子高生の視界にもおいらのモーションが入ってたのでした。

二人の女子高生は、口を押さえ笑いこらえるような苦悶の表情をして、おいらのほうから視線をそむけます。

そして二人してひそひそと、
「今なんかあの人、変な動きしたよね?」


聞こえてます。


っていうか、首の方向が変わって女子高生が姿が眼前に飛び込んできたとき、しまった!見られたか!って思ったんですよねえ。案の定でした。


んで、痙攣の話ですが、ストレッチを行った後は重い物を持ち上げる運動をします。重いダンベルなどを上げ下げして筋肉を疲労させると、勝手にぷるぷる震えだしますよね。それを痙攣打ちの準備に応用したというわけですが、そのおもりには学校のかばんを用いました。いつも無駄に教科書が入っていて、それなりの重さになっていたんです。


おいら自身はその二つの行動は真剣そのものですが、親友K、Mから失笑を買っていました。ゲーセンでの腕ストレッチング、かばんによるダンベル運動、可笑しかったですかねえ?


うーむ。
まあ、そうやっておいら独自の研究・創意工夫を重ねながら格ゲーの腕を磨くという作業をひたすらやっていたということですな。

格ゲー雑記・3 そのとき歴史は動いたに続く。

格ゲー雑記・1 キングオブファイターズ(KOF)との出会い

2007年10月10日 | 格闘ゲームとわたし
一年前にすでに草稿が終わっていたにも関わらずまだアップされていなかった文章を今更ながらちょっとずつあげていきまっする。


ええとですね、今日からおいらの格闘ゲーム(以下:格ゲー)人生についてのよた話を綴っていきたいと思います。


ってか、なんで格ゲーなのかっていったら、自分のパソコンのファイルを整理していたらおいらが格ゲーに一番熱中していた大学生の時に、htmlで書いた日記みたいなもんが出てきたんですよね。それを再編集して載せようと思いまして。っていうか、格ゲーはおいらの青春時代の中心にいましたので、格ゲーを振り返ることは自分の歴史を振り返ることでもあるわけですな。


内容は、一緒に格ゲーをやっていた親友K、Mとのくだらない面白話や攻略ライターになった出来事など感動のスペクタクルスクリームストーリーとなっております(??)
加えて、格ゲーに全く興味がない人でも分かるように丁寧な解説を試みているという挑戦作!(いつも通り長い)






ということで、ここではおいらがいつどのようにして格ゲーとであったか、語っちゃおうと思いますYOッ!


おいらが格ゲーを初めてやったのは確か高1の冬から春ぐらいだったと思います。KOF94という格ゲーでした。親友Kからゲーセンに誘われたのがきっかけ。


それまでおいらは対戦格闘なんて無縁の人間で、ゲーセンすらずっと行ったことがありませんでした。まあ、やったことがあるとしれば、スーファミのスト2ぐらい(当時としては誰もが通る道か?!)。んなもんだから、最初は親友Kともう一人の親友Mが、二人で対戦してるのを横で見ていることが最初は多かったのです。


ゲーセンに行くたびに「おまえもやってみろよ」なんて再三再四言われてたんだけど、どうも敬遠してしまう。「見てるだけで面白いから」などと虚勢を張りつつも、実は、行くたびにこのゲームをやってみたい気持ちが募る一方でした。


そんななかで、埼玉の中学校の頃の友達に家に遊びに行った時に、たまたま94のロムとネオジオ本体が彼の家にあったのです。しめた!ここで94の練習をして、初めてとは思えない腕を彼らに見せて驚かせてやろう!・・・


そう、なぜ彼らが一緒にやろうと誘ってくれているにも関わらずできなかった理由は、自分のあまりにも下手であろう格ゲーの腕を見せたくなかったのであります。そんなの初めてなんだからめちゃめちゃ当たり前の話ですが、その頃のおいらといえば、愚かなことにカッコつけたがりだったんだなあ苦笑。ばかちんです。


んで、KOF94で一番最初に使ってみようと思ったチームは韓国チームでした。ってか、KOF94って格ゲーはキャラ単体ではなく3人1組のチーム同士で対戦をするという当時としては画期的なシステムを用いていたのです。


んで、埼玉の友人から韓国チームが強いと言われたもんだから、それを鵜呑みにしそのチームを使ったわけです。しかし、実際やってみると全く勝てない。そりゃあ、格ゲーの経験が今までほとんどなかったずぶの素人ですから当たり前田のクラッカーといえばクラッカーで。


ほかのチームもいろいろやってみましたが、とにかく必殺技がでねー。しょうりゅうけんコマンド(右、下、斜め右下)はおろか、よがコマンド(レバー下半回転)さえも出ません。当然ながら、通常技→キャンセル必殺技という、格ゲーの基本中の基本であるキャンセル技もまったくもって当時のぽっくんには不可能だったのでした。


それでもなんとか重い腰を上げK・Mとの対戦に加わるようになって、徐々に操作にも慣れていきます。こうやって、毎日のようにゲーセンに入り浸るぽっくんの格ゲー人生が始まったのです。


格ゲー雑記・2 奇行と痙攣と…に続く。