まずは、下の写真をご覧下さい。
前回訪れたのが左側の丸の筏津坑。そして、次に向かったのが右の丸の余慶鉱床の余慶坑です。
別子銅山の四つの鉱床のうち、本山鉱床と筏津鉱床以外の二つ(積善、余慶)については、かなりマイナーです。
でも、別子銅山に深く傾倒してしまったぽっくんとしては、見れるものは全部みたいと思うわけですよ。
オタクって生物は、とことんまで混沌まで後ろから這いよるまで全部を突き詰めたい、極めたいと思う性癖があるものです。
その意味からすれば、
別子銅山って宝の山ですな。
以前の記事に書いた第二通洞もそうですが、全く公になっていないような所にも様々な遺構が眠っているんですから。
おいらみたいな熱烈な水樹奈々ファンで、かつ、別子銅山好きという変な奴が様々な別子銅山の歴史的遺構を巡ってみるというのもなかなか面白いじゃないですか!(いや別に面白くはないが)
とまあ、いろいろ言い訳をしたところで、次の余慶坑へ、たんけんぼくのまちです。
ここに移っているお兄さんは当時チョーさんと呼ばれていたのですが、現在声優として活躍されているチョーさんと同一人物です(クッソどうでもいい)。
前回の筏津から次の余慶まで約2キロの距離は、県道沿いを歩いて向かうことになります。
(県道47号。静かな山間の道をそぞろ歩く。最高で採鉱の日です。なんて日だ!)
さて、余慶に向かうといっても、実は事前情報は何も調べておりませんでした。
余慶に坑道の入口が残っているのかどうかも分かりません。
地図上では余慶という地域はちゃんと存在しており余慶付近に南光院というお寺さんがあるので住職の方に余慶坑がないか尋ねてみると、なんと、
まだ残っているという有力な情報を得ることができました。
南光院の入口。
余慶坑は、つり橋を渡って少し山を登った所にあります。
これが
余慶坑。余慶坑の名残で鉄骨のアーチがまだ残っています。
余慶坑付近にある潰れた家屋・1
余慶坑付近にある潰れた家屋・2
余慶坑については、写真を見てもらえばある程度雰囲気が伝わるかと思いますが、全くの廃墟。
案内板はなく、南光院の住職さんからお話しを聞かなければここが余慶坑なのか確証を持てなかったほどです。
そもそも、
別子銅山には四つの鉱床があるということ自体、なかなか知られていないのではないでしょうか。
採鉱本部があった東平や端出場と、最後の別子銅山の舞台となった筏津はそれぞれ別の鉱床なんですね。
その鉱床のうちのひとつが、上記の余慶であると。
余慶の周辺もまた、最盛期にはちょっとした集落やお店があったのかもしれません。
余慶坑も、案内板が無いため往時の姿がどんなであったか分かりません。
余慶については、改めて資料を調べてみる必要がありそうです。
とまあ、別子銅山って、
月読調べれば調べるほど知れば知るほど面白くなって味が出てくる、そんな所なんですよ。
スルメみたいなもんです。
奈々ちゃんの曲だってスルメ曲がいっぱいあるじゃないですか。
ちなみに、奈々ちゃんの曲の中で個人的にこれは極上のスルメ曲だなあと思ったのはティアナイっすね。
最初は、正直ピンと来なかった。
でも、聞けば聞くほどロックな疾走感とストリングの重厚さが合わさりどんどん好きになっていきました。
まあ、別子銅山もつまりそういうことですよ。
話が脱線トリオしたところで、続く。