と、なると、恨まれてはいけない相手に対しては
「聖徳太子」と、良い名前を付けて?
須佐之男命
漢字をひもとくと、清められた魂(考え・精神)を持つ統括者(自分を統括することも含めて)
と、読める人物を
素戔嗚の文字、
子供のように情けなく鳴き声をあげてみっともない尊と日本書紀では書くわけです。
この事例から考えていくと、
崇神天皇、神に祟られると、非常に侮蔑的で
残虐な行為が、さらされるということも、奇妙で、
逆に、捏造したのではないか?と、考えるわけです。
即位12年、戸口を調査して初めて課役を課した。この偉業をもって御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられている。『古事記』には天下を統一して平和で人民が豊かで幸せに暮らすことが出来るようになり、その御世を称えて初めて国を治めた御真木天皇「所知初国之御真木天皇」と謂う、とある。
むしろ、大物主(日本古来の神)=大国主命(日本建国の礎)
と、考えたとき、
出雲こそが、国の発祥となるわけで、
崇神天皇が大物主=大国主命と判っていての英断であれば
藤原氏にとって、面白くないことが起きた。と考えられる。
ちなみに、放り出したといわれる天照の落ち着いた先は
伊勢であるが・・・
この伊勢神宮・下宮に天の真柱がたっているという
霊能力者の証言?が数多い。
地上から天まで伸びる太い柱であるといい、
ものすごい浄化作用があるらしい。
むしろ、このような場所にて、お祀りするようになっていることを思うと
追い出したというのは、妙だと思う。
元伊勢と呼ばれる籠神社のことも、いろいろあるwww
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。
両大神が伊勢にお遷りの後、養老三年に本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。
「古代史の謎」 2 ~籠神社の神は天照大神・饒速日命~: 銀の月 金の星 (cocolog-nifty.com)
「大嘗祭・天皇家が継承してきた神」
*石上神宮
大嘗祭は物部氏が関わる。
ヤマト建国の後、宮中のしきたりや儀礼を整えた(先代旧事本紀)。
物部の宗教観を継承している。
石上神宮の魂鎮祭の日に祝詞をあげたのが猿女の君。
(饒速日命と共にヤマトに舞い降りた天鈿女命(あめのうずめのみこと)の末裔)
この物部の祝詞とよく似たものが、天皇の儀礼の鎮魂祭り(タマフリ祭)。
物部の作り上げた「核」を天皇家は継承してきた。
*出雲大社、神魂(かもす)神社
神魂神社で行う「火継神事」と、天皇家の「日継神事」である大嘗祭はそっくり同じ。
「火継神事」では、天穂日命から継承された霊は、次の出雲国造に引き継がれる。
「大嘗祭」では太陽神の霊を引き継いでいる。
*
以前瞑想の中で見た那珂川の現人神社の神の衣装から、住吉の神が饒速日命だと
辿り着きました。
大嘗祭(新嘗祭も)に関わる神は饒速日命でした。
「籠神社」は、この神が祀られているお社の中でも、様々なことへと
繋げてくれます。
御祭神は天火明命。
物部系の文書「先代旧事本紀」では 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。
籠神社は元伊勢。
下宮の神は、丹後から「独り身は寂しい」と豊受大神を連れてきたが
本来、独り身が寂しいというのは男神の方。(「古代史の謎」より要約)
*伊勢神宮の神・天照=丹後(籠神社)の男神である饒速日命です。
京都の籠神社の主祭神は、天孫・天火明命。 .
(籠神社に)最初に祀られていたのは豊受大神。
豊受大神=宇迦御魂(お稲荷さん)。
裏の極秘伝には、本来の主神は「天之御中主神」。
豊受大神=天之御中主神とある。
「天之御中主神=豊受大神=宇迦御魂=賀茂別雷神=
天照国照天火明櫛玉饒速日命=饒速日命=猿田彦=素戔鳴尊=神武天皇」
(「日本の真相」より)
天火明命は、饒速日命。
豊受大神=宇迦御魂は、歳神でもある饒速日命。
ですが、「豊受大神」は、彼と別な者でもあります。
天火明命が饒速日命ならば、
「トヨの神」は彼と夫婦であったと(籠神社の伝承にある)いう市杵島姫。
饒速日命とトヨの神。
昔話や伝承で繋がって行きます。
「籠神社」の「天の羽衣伝承」の天女が豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)。
これが豊受大神。
豊受大神は、籠神社の相殿に祀られています。
「丹後一宮籠神社縁起」には、
*羽衣を盗んだ老翁の名は「塩土老翁(しおつつのおじ)」。
(両者は夫婦)
籠神社の御祭神の「豊受大神」が天女の方。
彼女と夫婦となったのが「塩土老翁」。
「塩土老翁」とは、誰なのか
「塩土老翁」は他の伝承にも登場します。
*神武東征の際。
*海幸彦山幸彦。
*浦島伝説。
*神武東征の際、塩土老翁が登場。
神武を大和に誘った。
その途中亀に乗った「浦島もどき」がやってきて、神武を導く。
神武天皇が瀬戸内海を東に向かっている時、亀の甲羅に乗った男に会う。
これは浦島太郎では。
亀の甲羅は「亀甲紋」で、「亀甲紋の連続はカゴメ紋」となる。
*海幸山幸神話。塩土老翁は山幸彦を「無目籠(まなしかたま)」に乗せ、海神宮に導く。
この二つの話に似ているのが、浦島伝説。
*浦島伝説は丹後の籠神社の近くの話(万葉集)
浦島が塩土老翁であり、彼の故郷は、「墨吉(すみのえ)」(住吉のこと)。
亀に乗って竜宮へ行く。
この三つは同じ話なのではないか。
「塩土老翁」は、住吉大社の御祭神でもある。
*
塩土老翁=住吉大社の御祭神の住吉の神。
(昔話や伝承の中には、何かを伝えようとしてる物があるのではないか?
「後世に伝えなければならないことを」そう、感じます)
そうであるなら、
籠神社の御祭神の「豊受大神」が天女の方であり、
彼女と夫婦となった「塩土老翁」は、住吉大神ということです。
また、籠神社の御祭神、天火明命は饒速日命。
彼と夫婦神なのは、市杵島姫。
ならば、天火明命=饒速日命=塩土老翁=住吉大神。
そして、市杵島姫=豊受大神。
伊勢の下宮に祀られているのは、女神の豊受大神であり、
内宮の天照神は、饒速日命でもある住吉大神。
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多くコピーしてきてしまったが、
仮に崇神天皇が、ここをすべて判っていて
皇国を護ろうとする日本古来の大物主と建国の礎である大国主命との加護を得るため
精神的?魂的?合体者である、大物主を呼んだとするなら・・・
古事記』には天下を統一して平和で人民が豊かで幸せに暮らすことが出来るようになり、その御世を称えて初めて国を治めた御真木天皇「所知初国之御真木天皇」と謂う、とある。
というのが、本当だろうと思えてくる。
と、なると、
大物主が疫病は私の心の顕れである。
と、いうのを、
「祟り」と解釈したのが間違いであり、
あるいは、そんな話も捏造かもしれない。
つまり・・・
崇神天皇は、
皇室の祖神を祀るのでなく
日本・日本建国を思う神を祀ろうとしていたのかもしれない。
それは、もしかすると、
崇神天皇は、
失われた12支族の良い方の2支族のうちの1支族の系統である天皇系とは違う
もう1支族の系統であったかもしれない。
と、いうのも、
やはり、饒速日が、最初に降臨したという事を思うと
2支族のうちの1支族であり
ヨシュア(イエスと同じ意味合い)であったと思われる。
奥宮眞名井神社 マナの壺に関連
(吉佐宮) よさのみや。ヨシュアの宮。
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そして、対比するのが、伊勢神宮 下宮の伊雑宮
六芒星(りくぼうせい)、ダビデの星と呼ばれる神紋があることで有名であるが
この伊雑宮は、 イザヤの宮であるという。
そして、下宮の天の真柱(御柱)
あくまでも、宮と柱で、伊勢神宮を守護するがごときなのであるが、
この伊雑宮もいろいろいわくがある。
その中で、気になるのが、実は、素戔嗚が祀られていた。
と、いう話。
まず、日御碕神社のこと。
素戔嗚が天千木で、天照が地千木(守護)
天より、夜の日本を護れ・・と素戔嗚が天意を受ける。
一方、天照は、昼の日本を護れ・・と、天意を受けるので
千木は天千木。
で、あるのに、伊勢神宮には、素戔嗚が祀られていない。
それは、イザヤの宮、ダビデの星の神紋があるから
同じく、籠神社もダビデの神紋(日月星紋)
(最近、巴紋に差し替えられている様子)
つまり????
伊勢神宮の本当の祭神は饒速日であり
伊雑宮で、素戔嗚が饒速日を守護していたと考えられる。
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ところが、何らかの理由で、大物主が
このままではいけないと、
皇室から天照(饒速日)を外に出させた。
ところが、実権を握りたかったのが、藤原氏で
藤原氏こそが、(もしかすると)自分が信奉する百済の蛇神を祀ろうとしたのかもしれない。
そうなると、日本がえらいことになると
大物主が予兆をおこしたのが、疫病だったかもしれない。
そして、日本を、(皇室を含め=皇室こそが日本を護る礎である)守るために
大物主が現れてしまったので、
藤原氏としては、崇神天皇を悪者にしてしまったのではなかろうか?
わざわざ崇神天皇(いみな?)とよぶのは、非常におかしい。
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