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大物主ー「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事」饒速日? 続☆12   2021-07-09

2023年11月05日 | 続☆歴史の中の「経緯」

*****

大物主が疫病は私の心の顕れである。

と、いうのを、

「祟り」と解釈したのが間違いであり、

あるいは、そんな話も捏造かもしれない。

 

つまり・・・

崇神天皇は、

皇室の祖神を祀るのでなく

日本・日本建国を思う神を祀ろうとしていたのかもしれない。

それは、もしかすると、

崇神天皇は、

失われた12支族の良い方の2支族のうちの1支族の系統である天皇系とは違う

もう1支族の系統であったかもしれない。

と、いうのも、

やはり、饒速日が、最初に降臨したという事を思うと

2支族のうちの1支族であり

ヨシュア(イエスと同じ意味合い)であったと思われる。

奥宮眞名井神社 マナの壺に関連

(吉佐宮)   よさのみや。ヨシュアの宮。

*********

そして、対比するのが、伊勢神宮 下宮の伊雑宮

六芒星(りくぼうせい)、ダビデの星と呼ばれる神紋があることで有名であるが

この伊雑宮は、 イザヤの宮であるという。

そして、下宮の天の真柱(御柱)

あくまでも、宮と柱で、伊勢神宮を守護するがごときなのであるが、

この伊雑宮もいろいろいわくがある。

その中で、気になるのが、実は、素戔嗚が祀られていた。

と、いう話。

まず、日御碕神社のこと。

素戔嗚が天千木で、天照が地千木(守護)

天より、夜の日本を護れ・・と素戔嗚が天意を受ける。

一方、天照は、昼の日本を護れ・・と、天意を受けるので

千木は天千木。

で、あるのに、伊勢神宮には、素戔嗚が祀られていない。

それは、イザヤの宮、ダビデの星の神紋があるから

同じく、籠神社もダビデの神紋(日月星紋)

(最近、巴紋に差し替えられている様子)

 

**********

さらに、疑問が増えてしまったwww

伊雑宮(いざわのみや)が、ユダヤのイザヤ・・の宮であるかもしれないということは、

判らないでもない。

が、なぜ、そこに素戔嗚が祀られていたのか?

あげく、天照に祀り替えられている。

(下宮と内宮に天照が祀られるというのも、妙な気がするし)

それより、以前、素戔嗚が伊雑宮に、イザヤ(意味合いが違うが)として入れるのが、判らない。

蘇の人間ではないか、と いう話もあるくらいだから。

だが、もしも、

素戔嗚が日本に来ていた2支族のうち、饒速日(ヨシュア)を有する側の支族だとしたら。

当然、饒速日を守護するだろう。

と、なると、

素戔嗚と天照は兄弟でも何でもない。

すでに、日本のほぼ、を治めていたと思われる素戔嗚(&饒速日)であるので、

天照と兄弟という形をとり、

カムフラージュしたかったのだと思う。

それが、なにかといえば、

饒速日こそが、本当の天照大神であるという事実になる。

饒速日の存在をうやむやにしたのは良いが、

素戔嗚はあまりにも各地に足跡を残しすぎていて

素戔嗚の存在は消せない。

やむを得ず、傘下にいれたのが、

兄弟という位置になる。

なので、素戔嗚の物は天照のもの・・という変な法則がまかり通ってしまう。

ところが、素戔嗚の物は天照のもの・・と、いうには、

二人は

月読をいれた三貴神であるとしてしまったので、

納得できる方法で素戔嗚の統治権を取り上げなければならない。

そのために、高天原からおいだし、

天津神でもなく・国津神でもない(と、取れる)妙な位置に追いやった。

 

そして、饒速日・素戔嗚という関係性をにおわすのが、

土地の名前。

出雲国伊那佐之小浜(いなさのおはま)

この名前が、妙にきにかかり

調べていった。

すると、思った通りの文献が見つかった。

*******

「伊耶佐(いざさ)の小浜」とする校訂本もある。 

建御雷神と天鳥船神は、出雲国伊那佐之小浜(いなさのおはま)[注釈 4]に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主神に「この国は我が御子が治めるべきであると天照大御神は仰せられた。それをどう思うか」と訊ねた。大国主神は、自分の前に息子の八重事代主神(やえことしろぬし)に訊ねるよう言った。事代主神はその時、鳥や魚を獲りに出かけていたため、天鳥船神が事代主神を連れて帰り、国譲りを迫った。これに対して事代主神が「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、船をひっくり返し、逆手を打って船の上に青柴垣(あおふしがき)を作って、その中に隠れた。

********

伊耶佐(いなさ)この文字を見たとき、もしかしたら、

「いざさ」ではないか?

と、思った。

すると、

「伊耶佐(いざさ)の小浜」とする校訂本もある。 

いざさ・・・

もう少し前に、いざさわけ(気比大神)のことをしらべていたが、

いざさは、つづめていうと、「饒速日」になる。

出雲国伊那佐之小浜

は、

出雲国の饒速日の小浜

と、いう事になってくる。

つまり?

大国主命が饒速日であり、

天照が、

饒速日から国を奪ったww

天照が天照(饒速日)から国を奪った、と、いうことになると、

「やばいよ。やばいよ。ばれちゃうよ」

と、いう事になるので、早いうちに、

饒速日の存在を抹消した。

すなわち、大物主=饒速日=真の天照大神である。

と、判った崇神天皇が大物主を祀ったのは、間違ってはいない。

だが、藤原氏にとっては、そうはいかない。

どうにか、天照を担ぎ上げておきたかったのだろう。

そこで、本当のことをうやむやにするだけで飽き足らず

崇神天皇を悪者に仕立て上げた。

(もうすこし、藤原氏の位置をたしかめたい)

ところが、今度は

伊雑宮に素戔嗚が祀られる。

(もしかすると、饒速日だったかもしれない)

 

今のような情報社会ではないのだから

饒速日ー素戔嗚の伝承は口伝でのこっているかもしれない。

それを証明するような、におわすような

素戔嗚ーユダヤ

饒速日―ユダヤ

と、いう関連はふさぎ込みたかったのかもしれない。

 

実際、能「三輪」の中の最後。

「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事 いまさら何をいわくらや!」

この何をいわくらやは、

言うをかけている。

「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事 いまさら (本当のことを)言えない」

と、いうことであり、

「言う」ことを「くら」の中に押し込めている。

いわくら、そのものが、伊勢と三輪の神、一体分身の御事を秘めている。

いわくら、そのものが、伊勢と三輪の神、一体分身の御事のその証である。

と、解釈してよいと思う。

と、いうのも、

落語、青菜の中の「隠し言葉」でも同じ使い方といってよい。

「南無九朗判官」

と、「菜」が無いことを告げる奥方に

「義経・義経」

と、答える旦那さま。

植木屋が意味が分からず、尋ねると

「菜を食らう」ってしまったと、

菜・無・食らう(九朗)判官

と、かくして伝えてくれた。

それで、

「わかった。良し・良し(かまわない・了承した)」

と、これも隠し言葉で

「義経・義経」と答えたと植木屋に話した。

このような隠し言葉は、日本人が得意とするものだと思う。

(先の記事に書いた、万葉集の刺す竹のことでも判るように)

と、なれば

「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事 いまさら (本当のことを)言えない」

と、取れる。

今-さらのさらも、改める、さら(新しくする)ととることもできる。

今、改めて、本当のことを言うわけにはいかない。

**読み直して***

「今更~ない」という、定型文ととるよりも

今更であるが、本当のことをいわくらや。言おうではないか。

だが、言わずとも、「磐座」が語っているよ。

と、取る方が、良い気がしてきた。******

 

 

そんな風に、どこかで、漏れることを恐れ

藤原氏が、最初の段階で、色んな隠ぺいを行ったと思える。

 

そして、もしかすると、

藤原氏、書記執筆陣は

日本人でなかっただろうとも思える。

微妙な「隠し言葉」を解しきれなかったと思える。

そんな、「黄色い、あんよがみえてるよ」

と、いう

「あんよ」に、きがつけないと、

そのままに、信じてしまう話がいっぱいある気がしてきた。


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