2024/01/09 17:59 震源 佐渡付近 マグニチュード6 震度5弱
発表時間 2024/01/09 18:03
ちょうど 唐揚げの仕込みをしていた。
時間は定かでないが 地震が起きた 17:59ではなかったと思う。
17:50 くらいか。
刺すような頭痛が かなり 痛く 長く続いた気がした。
これは、かなり大きな地震が起きる。
と、思いつつ 唐揚げの味付けを決めていた。
正月の地震も 年末くらいから
大きな地震がくる、と かなり「確信」をもっていたのだが、
まさか、年明けのしょっぱなにくるとは思っていなかった。
地震が起きると思うものには
二手あって
「漠然と思う」
と、いうのと
「ちりちりした頭痛が起きる」
と、いうのとがある。
先日 出雲大社に行っていた時に
頭痛があり それから何時間か後に
インドネシアだったか?
かなり大きな地震が起きていた。
そして、2024/01/09 17:59の地震の前に
かなり激しい頭痛。
地震が
いつ起きるか予想が付かないし
何処で起きるかもわからないし
(不安感も頭痛もおきない場合もある。)
だが、「かなり大きい」とだけ思った。
それから、しばらくして
TVで緊急地震速報のブザーが鳴りだした。
岡山のほうで 鳴るときは、
震度5以上?と思われる。
1月1日に聴いてからしばらくなってなかったように思う。
(記憶あいまいだが・・・確かにブザーはなっておらず
テロップだけはでているという状態で 大きくても震度3くらいだったと思う
TVをつけていなかったときのことは判らない)
こういう言い方は不謹慎かもしれないが
震度5弱と判って ほっとしたところがあった。
と、いうのも
頭痛のその刺し方・・・で、
「かなり大きい」と、思えたから。
またも7~7強 津波・・・
そんな不安を内包させるくらいのするどい痛みだった。
AUDIOのほうでの記事で
代理の耳が 2MHz以上の高周波で頭痛が起きるということを書いているし
それが 発見?解明された時の話も書いている。
それが、なぜ、地震の時にも起きるのか
不思議だった。
地震自体の周波数はかなり低い
なのに 何故?感知する?
そんな時に見たのが
高周波が起きる (あるいは電磁波?)という事実。
地震の前に 岩盤が崩れ出したりして そのぶつかりや崩落で
高周波が発生する・・・
と、いうもの。
地震自体を感知するのでなく
崩落で起きる高周波に反応するのであれば
仮に 砂が流れるような崩落だったら
衝撃が少ないので 高周波が発生しない?
そして、地震を頭痛で感じる人の多くは
何日も前から 何日間も頭痛状態が続くらしい。
その点で言えば
程度(痛み)の差があるだけで ほぼ瞬間といって良い。
そして、よく判らないのが
予知めいた思い。
熊本地震の時にあった。
「大変なことになる」というようなもので、
何がどう大変なのか具体性がない。
不安感と胸騒ぎが非常に増大したのを覚えている。
そして、夜に起きた熊本地震は
その時点では ひどくないと思っていた。
だから、「大変なことになる」のは、
もっとべつのことなのかもしれないと思ったりもした。
が、一夜明けてみて・・・
「大変なことになっている」と、わかったのであるが。
今回の1月1日の地震については
いつ、どこでか判らないけど
「かなり大きな地震が起きる」と、断定というか
明確というか 確定した思いでいた。
これも 何らかの周波を感じ取っているのかもしれない。
例えば、低周波(ゆっくりとした地層のずれとか)
この低周波に居心地の悪さを覚えて
「ただならぬ」「いつもと違う」ゆえの違和感から
不安感を覚える その繰り返しの学習で
これは、地震が来るなと体得して
「かなり大きな地震が起きる」と思ったのかもしれない。
だとすると、
非常に厄介だが
(雑念が生じるのでwww)
頭痛より 直感のほうが 予知につながるかもしれない。
頭痛は変則的で すぐに・・という場合もあるが
すぐ~3,4日後というばらつきがある。
ただ、場所がわからない。
気になった場所が パターンの違う災害を受けたことがある。
二子玉川 が妙に気になっていたのだけど
この時は 頭では決壊とか増水で 浸水??と心配したのだけど
結果は内水浸水
この地震・津波で、全国で104人の方が亡くなり、このうち100人は津波によるものでした。
2023年は、日本海中部地震から40年の節目の年です。
過去の災害を振り返り、地震・津波への備えを改めて確認していただくために、このページをご活用ください。
北緯 40度21.6分
東経 139度04.4分
深さ 14km
マグニチュード 7.7
1983年(昭和58年)5月26日(木)11時59分、男鹿半島沖から津軽海峡の西側にかけての広い範囲を震源域として、マグニチュード(M)7.7の大地震が発生しました。この地震により、秋田県と青森県で震度5を観測したほか、北海道から中国地方にかけての広い範囲で有感となりました。
地震発生から8分後の12時07分には青森県の深浦で、12時08分には秋田県の男鹿で津波の第1波を観測しました。津波は北海道から九州にかけての日本海沿岸を中心に観測され、津波の高さは、気象庁の現地調査で、青森県から男鹿半島にかけて5~6m、北海道奥尻島では3~4m、佐渡、能登半島、隠岐では2~3mに達しました。最大は震源に近い秋田県八竜町(現在の三種町)で6.6mでした。また、東北大学工学部の調査では、秋田県峰浜村(現在の八峰町)で14mに達したことが報告されています。
この地震・津波により、全国で104人の方が亡くなり、このうち100人が津波によるものでした。このほか、負傷者324人、建物の全壊・流出1,584棟、半壊3,515棟、船舶被害2,598隻など甚大な被害となりました(1983年11月1日現在:非常災害対策本部調べ。被害状況の詳細はこちら)。
気象庁はこの地震を「昭和58年(1983年)日本海中部地震」と命名しました。
なお、この地震から約1ヶ月後の6月21日にはM7.1の最大余震(青森県で震度4、秋田県で震度3)があり、能代・深浦・酒田等で津波が観測されました。また、付近では5月14日頃から最大M5.0の前震活動が見られました。
仙台管区気象台は、地震発生から15分後の12時14分に東北地方の日本海沿岸と陸奥湾に「オオツナミ」の津波警報を発表しましたが、津波の第1波は、早いところで12時07分には沿岸に到達していました。被害が大きかった秋田県や青森県の日本海沿岸では、津波警報が沿岸の住民に伝わらなかったところもあったと言われています。また、津波による大きな被害の経験がしばらくなかったことなどもあり、警報の重大性が認識されなかったことや、「日本海には津波はない」といった俗説などが避難の遅れにつながり、犠牲者を増やした原因の一つとされています。
なお、気象庁ではこの地震を契機に津波警報等の迅速化に取り組み、現在は地震発生から3分を目途に津波警報等を発表しています。
日本海中部地震から10年後の1993年には、この地震の震源域の北側で北海道南西沖地震(M7.8)が発生しました。日本海中部地震や北海道南西沖地震などが発生した日本海東縁部は、今後も大きな地震が発生する可能性があります。日本海で発生する津波は、津波を発生させる震源域が陸地に近いため、地震発生直後に津波が沿岸に押し寄せる可能性があります。
海岸付近や海に近い河口付近で大きな揺れを感じたら、津波警報等を待つことなく、揺れが収まったら直ちに安全な高台に避難してください。
また、地震の揺れによる被害は秋田県と青森県に集中し、秋田県で4人が亡くなり、建物・道路・鉄道・堤防などに甚大な被害がありました。なかでも地盤の液状化が各所でおこり被害を大きくしました (液状化地点分布図)。
液状化現象は、水分を多く含んだ砂状の地盤(埋立地や干拓地、昔の河道を埋めた土地、砂丘や砂州の間の低地など)が、強く揺さぶられるために発生する現象です。地面から泥水が噴き出してきたり、地盤沈下が起こることがあり、比重の大きいビルや橋梁などが沈下したり、比重の小さい地下埋設管やマンホールなどは浮力で浮き上がったりします。
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