で、出雲王朝-スサノオあたりは、とりあえず判っているわけで、
飛騨王朝からスサノオを追い出したのか?
通説の高天原(富士高天原?)から、おいだしたのか?
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1説に、富士高天原王朝は
富士山の噴火のため
飛騨高山に遷都?したというものがある。
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もう、何10年も前になるが・・・
飛騨高山ちかくまで旅行している。
確か、高山には、祇園のような山鉾があったと思う。
このあたりも、八(ヤハウェ)と、関連するのかとも思う。
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飛騨古神道発祥の地~折敷地 | ヒヒイロカネと飛騨の古神道 (ameblo.jp)
飛騨丹生川の奥深い山の中に、折敷地、というところがある。
今はもうダムの底になってしまった部分もあるが、そこはかつて縄文遺跡が五万とあった。御物石器や石冠、石棒等々、たくさんあったものだった。みな、それぞれ、自分の山にあったので、それぞれ家宝のように持っているようだ。
折敷地のさらに奥の八本原高原には、今でもヤタノオロチ、がいるという。
10メートル以上の大蛇は、別名ヤタノオロチ、ともいい、動くと笹が波のように波打つ、という。
その大蛇は、見てもいけないし、さわってもいけないし、さわると病になる、という。
ちなみに、五色ヶ原、というのは五色人がいたところで、現に五色、という名字も残っている。
乗鞍、は祈りの座、といった。
飛騨丹生川のヒスイを加工したものである。
縄文時代の人が大切にしたのも、うなずけるものがある。
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日本のピラミッドと高屋山ピラミッド | ヒヒイロカネと飛騨の古神道 (ameblo.jp)
8合目には、太陽石(約600kg)が、今まさにこの世に生まれようとしている。生まれたら、何かおこるのかな?とワクワクしながら見守っている。
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三輪山の上にも環状列石と太陽石があるとも聞く。
太陽石(約600kg)が、今まさにこの世に生まれようとしている。
↑の表現。
三輪山は大物主がぐるぐるととりまいているのだが、
蛇の好物は卵と聞く。
哲学だったか(出典不明)
ヒポクラテスの杖からの話だったか・・・
人間の体内にも蛇(大物主が?)いる。という。
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1霊4魂
「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」に、三輪山の神は大国主命の和魂だとあることなどを根拠に、魂には大きく荒魂と和魂の2種があり、和魂にはさらに幸魂と奇魂の働きがあるとしており、四魂としてまとめてみるようなことはしていない
で、大物主が大国主命の幸魂と奇魂だという(大物主・光の玉が)
つまるところ、和魂ということになるのだが、
これが、蛇さんか~~~~www
で、ヒポクラテスの杖からだったか・・・
体内の蛇は、すきあらば、魂(1霊4魂でいうと、霊のほうか?)を食おうとするらしい。
ーこの1霊4魂も、いろんな図があると思う。ウィキから拝借すると、下図。ー
ヒポクラテス蛇(仮称)は直霊を食おうとする。
で、普段は良い子の蛇のふり?をしているのだけど
ヒポクラテスの杖では、まっすぐピンと立っている。
蛇は邪念を吸ってエネルギーにするので、
人間さんが悪い思い・生き方をすると
ヒポクラテス蛇(仮称)が、霊を食ってしまう。
ようは、邪悪な人間になってしまうということだろうか?
日本の考えと西洋の考え方は違うと思うが
三輪山の大物主は、饒速日?を護っていると考える。
あるいは、取り食らおうと、考えているのかもしれないがwww
間違って、饒速日の直霊をくわないように
卵を代替えに与えておかねばなるまいwww
で、
饒速日の直霊なるものが、
太陽石だと考えたら?(閉じ込められてるー孫悟空のような・・・)
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つまり?
太陽石(饒速日?)と大物主はセットになる。
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日輪神社 | ヒヒイロカネと飛騨の古神道 (ameblo.jp)
なんでも明治前後か昭和10年頃だったか・・・私の記憶もだんだんおぼろげになってしまったのだが、軍隊が来て、そのストーンサークル、というのか、石が四方に組まれ、真ん中に何か石があったようなのだが、何やらけしからん、とつるさきで壊し、それらの石は下へ落とされてしまった、という。
先達であった上原氏が調査した時にはもうなかったようだし、昔は軍隊の力は強力であったようだから、そんなことはどこにも書けなかったかもしれない。地元の人もそれほど気にしなかったかもしれない。が、軍隊はその玉座、というのが気に入らなかったのかもしれない。
今思うと、富山県の尖山の頂上にあったものと同じもの、だと思う。
尖山には、まだ現存している。位山にも、昔はあった、という話は聞いたことがあるが、今はもう故人達から聞いた話ばかりだ。
日輪神社へ話を戻そう。
それらの破壊された石は、日輪神社裏山には存在しない石で、近くの山口谷の石切り場から持ってきた石、である。その石の形は冠石の形をしていて、軍隊によって取り壊されたつるはしの跡、が見られる。
まだ現存しているものもある。おもしろいことに気が付いたのだが、それらの石は磁石がくっつく。中には、ラーが2個入った石もあったが、やはりくっつく。餅鉄ではない。餅鉄だったらおもしろい、と思ったが。
軍隊に壊されて残念だ、と刻まれた石も現存する。
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位山とヒヒイロカネ | ヒヒイロカネと飛騨の古神道 (ameblo.jp)
飛騨には、多くのピラミッド、と言われる山がある。
有名なものは、位山、高屋山ピラミッドなどが挙げられるだろう。
同様に、それらの山々には巨石群も多く存在する。
位山などは遊歩道もあるので、それだけでも多くの巨石群を見ることができるが、中に入れば、御親岩や標岩等、他にもただ番号のみの巨石や、その番号すらない巨石、が多く存在する。
私の知る限りでは、先達である上原清二氏が大変詳しく、その著書「世界の神都 飛騨高山」にて記載されている、と思うが、私はそれ以上に数多くの磐座を発見した。
若いころは一日に2回も登ったり、数年前までは、大寒のような雪山でも週に一回は登ることもあった。
それは、「竹内文献」にて位山は、ヒヒイロカネで作られた宮殿があった、とのことだったので、本当にあったらおもしろいものだ、と位山を隅々まで調査したのだが、位山にはヒヒイロカネなるものはなく、宮殿跡もなく、あったのは単なる大洪水の跡、だった。家一軒分の巨石、はあったが、それまで、だった。
ただ、後にヒヒイロカネの原石、は別のところで見つけた。
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単なる大洪水の跡・・・
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三輪山
太陽神である天照大神は、三種の神器のひとつ八咫鏡を神体として祀られる。この鏡は『日本書紀』によればもとは宮中に祀られていたが、崇神天皇(第10代天皇)6年に笠縫邑に移し皇女の豊鍬入姫命に祀らせ、垂仁天皇(第11代天皇)の時代に皇女倭姫命が伊勢国へ移しこれが現在の皇大神宮(伊勢神宮の内宮)であるという。この笠縫邑は三輪山の西麓の檜原神社の地であると伝えられる。檜原神社は大神神社の摂社で、天照大神若御魂神などを祀る。神体は山中の磐座である。
また古代には、延喜式神名帳に式内大社として載せられている神坐日向神社が三輪山の頂上に祀られていて太陽祭祀に深く関わっていた神社であったと推測されている。現在この日向神社は三輪山の西麓にあり、頂上には高宮社(高宮神社)が祀られており、日向御子神を祭神としている。日向神社も高宮社も大神神社の摂社である。
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飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社。式内社、飛騨国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
岐阜県北部、高山市の市街地南方に鎮座する。西南方の位山(くらいやま、標高1,529m)を神体山として祀る神社で、飛騨国の鎮守・祖神として古くは斐陀国造によって崇敬された。 安置されている左甚五郎作の稲喰神馬は伝説もあり地元の人に親しまれている。
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祭神は以下の15柱で、水無大神(みなしのおおかみ)と総称される。
- 主祭神
- 御歳大神 - 「水無神」と呼ばれる
- 配神
水無大神は地名に由来すると考えられる。水無大神は、御歳大神とする説のほか、八幡神などとする説もある
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それよりも、ウィキでは、リンクしない「天熊人命」
一瞬、星座の大熊座のことかとおもったのだが、
熊ー前祖とかんがえると
御歳大神の前祖は、饒速日ではなかろうか?
スサノオー饒速日ー(大国主命)ー大年(御歳大神)
違うか・・・
オオゲツ王朝ー出雲王朝(阿蘇豊国王朝)ーウガヤフキアエズ王朝
ウガヤフキアエズ王朝(天照ー饒速日)の前、成立前
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あまてるすめらおおみかみとよむか・・・
天照大御神
あまてらすおおみかみ
?
皇室のアマテラスと(巫女?)
天の神様のアマテラス
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『但馬故事記』には、饒速日命の田作りを手伝った天熊人命として登場する。
『先代旧事本紀』、『但馬故事記』では、瓊々杵尊の天孫降臨に先だって、饒速日命が天津国より天降っている。
『但馬故事記』では、このように書かれている。
「天照国照彦櫛玉饒速日天火明命は、天照大神の勅を奉じ、外祖高皇産霊神より十種瑞宝(奥津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死去玉・足玉・道反玉・蛇比礼・蜂比礼・品物比礼)を授かり、妃天道姫命と与(とも)に、坂戸天物部命・二田天物部命・嶋戸天物部命・両槻天物部命・垂樋天物部命・天磐船長命・天船山命・天楫取部命・稲年饒穂命・長饒穂命・佐久津彦命・佐々宇良毘売命・佐々宇良毘古命・佐伎津彦命等を率い、天磐船に乗り真名井原に降り、豊受姫命より五穀蚕桑の種子を穫て射狭那子獄に就き、真名井を堀り、稲の水種や麦菽黍粟の陸種を為べくこれを国の長田・狭田に植え昼夜生井・栄井の水を灌ぐ。すなわち、其の秋瑞穂の稲の可美稲野面に充ち狭し。豊受姫命はこれを見て大いに歓喜びて曰し給わく「あなに愛やし。命これを田庭に植えたり」と。然る後豊受姫命は天熊人命をして、天火明命に従って、田作りの御業を補佐けしめ、而して後高天原に上り給う。その後天火明命は五穀蚕桑の道を顕国(うつしくに)に起こし、大いに蒼生を幸い給う。
(以下略)
(但馬故事記:吾郷清彦著より引用)
但馬ー兵庫県あたり・・
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『但馬故事記』が、いつ書かれたによる。判らない。
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ずいぶん、前に調べていたことを思い出した。
石から生まれた。とか、天磐舟とか・・
このあたりから、石神(しゃくじん)
石神井とか・・・クナドの神とか・・・
ま、これも横道にいくので、おいといて・・・
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丹生(にゅう?)ーぬ(奴) と、変わっていった?
にゅう を ぬ としか発音できなかったと考えるべきか?
昔の「文字発音」も、そのような気がする。
てふてふ・・・これを、今、どうよんでも、ちょうちょ(う)(蝶々)とは読めない。
CYOU・・・てーCYO
英語では、たーT ちーC つーT てーT とーT
たーT タッチとかTOUCH
ちーC チーズとかcheese
ん?
カ行ーカエサル( Caesar)キリスト(CHRIST)クリスマス(Christmas)ケア(care)コーヒー(COFFEE)
CHO・・は、英語発音(ラテン系?)
てーを ちょ、とよむのは、どこ系?
(横道にそれそうなので、とりあえず保留)
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