天日矛を祀る出石神社に立春祭 (立春の日)があり、
「神馬藻(なのりそ:ホンダワラ、アカモクなどの褐藻ホンダワラ類)」と呼ばれる海草を奉納する慣習がある。とのこと。
やはり、白蛾は、白く乾燥した藻と取るのが、正解の様に思える。
天日矛が持ってきていた太刀に
胆狭浅の大刀(いささのたち)の太刀というのがある。
単純に読むと、胆が狭く浅い・・・
なにか、悪口でしかない気がしてくる・・・。
天日矛の「胆狭浅(いささ)太刀」がふつのみたま、よろしく ご神体となったと思われる。
これが、布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。
敦賀の気比神宮の祭神を「いざさわけ」と書いているが、
「去来紗(いささ)和気命」とも。
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名を替えよう(交換)・・なのか、
変えよう(改名)・・・なのか、
交換したというのなら、
皇位継承の品とかんがえれば、
単純にー誉田別皇子(応神天皇)に統治権を譲った。
と、取れる。
邪馬台国・卑弥呼の時に、
ウガヤフキアエズ王朝の出張先(支店ww)が、敦賀から、
奈良あたりにあったとすれば、
実際の大和朝廷が出来上がってくる
過渡期として(卑弥呼が・・)
饒速日をほろぼしていたと考えられる。
ほぼ、饒速日と同じ「神宝」をもっている天日矛をもちだすことにより、
卑弥呼の存在を隠蔽したとともに
大和朝廷は、崇神あたりにできてきたものであるということを
さらせないところから、
饒速日の存在も薄められたと思える。
*********http://www.syamashita.net/history/kodaishi/damasareta.html******
本来の皇祖神・天照御魂大神は、男性神で須佐之男尊の御子・饒速日(大歳)尊だった。饒速日尊は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という立派な諡号で各地の古神社、天照御魂神社に祀られている。
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記紀編集者は、なにか、ヘブライ人を隠し
朝鮮系統の血統が、天皇家にはいりこんだように、
におわせたくて仕方がないようにみえる。
この裏側になにがあるのかを調べるのは、この後ということにして、
卑弥呼・邪馬台国という蔑称が、
胆狭浅の大刀(いささのたち)の太刀でも、同じパターンと見える。
天日矛が、大和で勢力をのばしたかのように見せたがるくせに
太刀への当て字は侮蔑的であると思える。
やはり、何かを隠しているとおもえてくるのだが、
そのまえに本当の「いささの太刀」とはどんなものだったのだろう。
若狭の国では、
白魚とも呼ばれる「いさざ」「いささ」が取れるのだが
この弱弱しい魚の名前の様に
白っぽい細身の小さな剣なのかもしれないとも思った。
だが、太刀なのだからありえない。
あと、素直に「いささ」を調べてきた。
すると、大角とかいて、
いささと読んでいるのにでくわした。
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大角草=いささぐさ
ソラマメの別称。 蚕豆(そらまめ)
「蚕豆」は漢名より。和名は、さやが空を向いてつくことから。
表記「空豆」とも書く。
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いささわけ が、
大角別(和気)と、いうことだとしたら、
「つぬがあるしと」 と、おなじではなかろうか?
角にみえるような、冠をかぶっていたとしたら、
かなりの豪族・・・
その統治権を奪っている。
その地域の統治権を奪っては
元の統治者をー祀りあげるーのも、繰り返されているパターンと思える。
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時代が違うが福井で発見された冠。
「角」があると言っても良いかもしれない。
松岡古墳群にある「二本松山古墳」は、全長約90m、5世紀後半の前方後円墳で、鍍金冠(ときんかん)、鍍銀冠(とぎんかん)、眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、埴輪などが出土しています。
2つの冠には金や銀のメッキがされており、形は朝鮮半島の古墳から出土したものとよく似ています。(東京国立博物館に収蔵)
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天日矛を祀る出石神社に立春祭 (立春の日)があり、
「神馬藻(なのりそ:ホンダワラ、アカモクなどの褐藻ホンダワラ類)」
神馬藻と書く時、なのりそ・・と読む。
馬は乗りものという意味で「のり」と考えられるが
「神」は「な」になってくる。
イザサワケ=いささわけ が、
「な」をかえようといったのも、
「神」をかえようと言ったともとれる。
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ここは、神功皇后そのままといってよいのではなかろうか?
天照大神という存在がありながら、
ー神懲りするとは、いかなるものであろう?-
このころには、まだ、天照大神が、信仰?されていなかったということになるまいか?
天皇家と天照大神が、系統立てられていなかったと考えられる。
それにつけても、夫(仲哀天皇)を「1」にせず
神様の言う通り・・をやっていこうというのであれば
確かに、卑弥呼の「鬼道」であろうし
魏のほうからも、宝?にめがくらんで侵略をくわだてるというにとられ
「鬼」のような考えと言われても仕方があるまい。
つまり?
神(な)を替えようというのは、
いざさわけ (いささわけ)の率直な讒言・進言であったともとれる。
卑弥呼が神功皇后であったとするのなら、
イザサワケが、天照信仰を進言したとするのなら、
皆既日食で、卑弥呼が失脚したという考えも合点がいく。
皆既日食
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