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天日矛の太刀  胆狭浅の大刀(いささのたち) 歴史の中の経緯・61

2023年10月30日 | 歴史の中の「経緯」

天日矛を祀る出石神社に立春祭 (立春の日)があり、

「神馬藻(なのりそ:ホンダワラ、アカモクなどの褐藻ホンダワラ類)」と呼ばれる海草を奉納する慣習がある。とのこと。

やはり、白蛾は、白く乾燥した藻と取るのが、正解の様に思える。

天日矛が持ってきていた太刀に

胆狭浅の大刀(いささのたち)の太刀というのがある。

単純に読むと、胆が狭く浅い・・・

なにか、悪口でしかない気がしてくる・・・。

天日矛の「胆狭浅(いささ)太刀」がふつのみたま、よろしく ご神体となったと思われる。

これが、布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。

敦賀の気比神宮の祭神を「いざさわけ」と書いているが、

「去来紗(いささ)和気命」とも。

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名を替えよう(交換)・・なのか、

変えよう(改名)・・・なのか、

交換したというのなら、

皇位継承の品とかんがえれば、

単純にー誉田別皇子(応神天皇)に統治権を譲った。

と、取れる。

邪馬台国・卑弥呼の時に、

ウガヤフキアエズ王朝の出張先(支店ww)が、敦賀から、

奈良あたりにあったとすれば、

実際の大和朝廷が出来上がってくる

過渡期として(卑弥呼が・・)

饒速日をほろぼしていたと考えられる。

 

ほぼ、饒速日と同じ「神宝」をもっている天日矛をもちだすことにより、

卑弥呼の存在を隠蔽したとともに

大和朝廷は、崇神あたりにできてきたものであるということを

さらせないところから、

饒速日の存在も薄められたと思える。

 

*********http://www.syamashita.net/history/kodaishi/damasareta.html******

本来の皇祖神・天照御魂大神は、男性神で須佐之男尊の御子・饒速日(大歳)尊だった。饒速日尊は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」という立派な諡号で各地の古神社、天照御魂神社に祀られている。

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記紀編集者は、なにか、ヘブライ人を隠し

朝鮮系統の血統が、天皇家にはいりこんだように、

におわせたくて仕方がないようにみえる。

この裏側になにがあるのかを調べるのは、この後ということにして、

卑弥呼・邪馬台国という蔑称が、

胆狭浅の大刀(いささのたち)の太刀でも、同じパターンと見える。

天日矛が、大和で勢力をのばしたかのように見せたがるくせに

太刀への当て字は侮蔑的であると思える。

やはり、何かを隠しているとおもえてくるのだが、

そのまえに本当の「いささの太刀」とはどんなものだったのだろう。

若狭の国では、

白魚とも呼ばれる「いさざ」「いささ」が取れるのだが

この弱弱しい魚の名前の様に

白っぽい細身の小さな剣なのかもしれないとも思った。

だが、太刀なのだからありえない。

あと、素直に「いささ」を調べてきた。

すると、大角とかいて、

いささと読んでいるのにでくわした。

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大角草=いささぐさ

ソラマメの別称。 蚕豆(そらまめ)

「蚕豆」は漢名より。和名は、さやが空を向いてつくことから。

表記「空豆」とも書く。

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いささわけ が、

大角別(和気)と、いうことだとしたら、

「つぬがあるしと」 と、おなじではなかろうか?

角にみえるような、冠をかぶっていたとしたら、

かなりの豪族・・・

その統治権を奪っている。

その地域の統治権を奪っては

元の統治者をー祀りあげるーのも、繰り返されているパターンと思える。

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時代が違うが福井で発見された冠。

「角」があると言っても良いかもしれない。

鍍金冠と鍍銀冠(複製・永平寺町四季の森文化館展示)
(C)福井テレビ

松岡古墳群にある「二本松山古墳」は、全長約90m、5世紀後半の前方後円墳で、鍍金冠(ときんかん)、鍍銀冠(とぎんかん)、眉庇付冑(まびさしつきかぶと)、埴輪などが出土しています。

2つの冠には金や銀のメッキがされており、形は朝鮮半島の古墳から出土したものとよく似ています。(東京国立博物館に収蔵)

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天日矛を祀る出石神社に立春祭 (立春の日)があり、

「神馬藻(なのりそ:ホンダワラ、アカモクなどの褐藻ホンダワラ類)」

神馬藻と書く時、なのりそ・・と読む。

馬は乗りものという意味で「のり」と考えられるが

「神」は「な」になってくる。

イザサワケ=いささわけ が、

「な」をかえようといったのも、

「神」をかえようと言ったともとれる。

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ここは、神功皇后そのままといってよいのではなかろうか?

天照大神という存在がありながら、

ー神懲りするとは、いかなるものであろう?-

このころには、まだ、天照大神が、信仰?されていなかったということになるまいか?

天皇家と天照大神が、系統立てられていなかったと考えられる。

それにつけても、夫(仲哀天皇)を「1」にせず

神様の言う通り・・をやっていこうというのであれば

確かに、卑弥呼の「鬼道」であろうし

魏のほうからも、宝?にめがくらんで侵略をくわだてるというにとられ

「鬼」のような考えと言われても仕方があるまい。

 

つまり?

神(な)を替えようというのは、

いざさわけ (いささわけ)の率直な讒言・進言であったともとれる。

卑弥呼が神功皇后であったとするのなら、

イザサワケが、天照信仰を進言したとするのなら、

皆既日食で、卑弥呼が失脚したという考えも合点がいく。

皆既日食

物語風に書いてみると・・・
 
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沈みゆく陽が、鈍色の輪郭をやけにはっきりとみせていたのも、
つかの間、
陽が欠けていく・・・
卑弥呼の胸中にあの時の気比大神・・
イザサワケの言葉がよみがえる。
 
「あなたの信奉する神は、まがいものである。
あなたが、信ずるは日の神であるべきだ。
今のあなたに何を言っても通じまいが、
いずれ、私の言葉が明かされる時が来るだろう。
それは、あなたが、もっとも、栄え
なにもかもを手中におさめたとき、
それら、すべてが、
まがい物による立脚だと知らされるようになっている。
人の間違いは、
その人が一番、応える形でみせつけてくるものなのだ」
 
卑弥呼の思いの中に
イザサワケの一言一句が、
刻み付けられたかのように、浮かびあがってくる。
 
ー呪詛でしかないー
イザサワケの進言に卑弥呼が返した言葉が
生々しく、思い出される。
 
それさえも忘れ果て・・
安泰と繁栄のさなか、
イザサワケの呪詛の陰りひとつ、見出すことは無かった。
今になって
とうのむかしにわすれはてていた言葉がうずまく。
光が、うせはてた、陽の痕をこらしみつめる卑弥呼は、
短く、吐き捨てた。
「吾も年をくうてしまったわ」
陽がかききえたのは、ただの偶然でしかなく
それをイザサワケの言葉と結びつけるのは、
気が弱くなってしまっただけ・・であり、
それは、年をひろってしまったせいでしかない。
 
己の中に静観をしきつめるのは
神に問うための準備である。
 
卑弥呼は暗闇の中、
己の信ずる神に問うてみた。
 
だが、愚かである。
何故、日がかくれたかなど、問はしない。
「これは、いつまで、続くのか?
陽は、かえってくるのか?」
民の不安・恐れをいさめる言葉を得るほうが先だった。
そうしなければ、
民の心をうしなう。
卑弥呼への信を無くす。
イザサワケの言葉より
おそろしいのは、民の信をなくすことだった。
 
ほどなく、浮かび上がった神の言葉は
そっけないものだった。
 
「あんずるな。何でもないことだ」
 
ーなんでもないー
その言葉は裏を返せば
神にはどうすることもできない事態だというておるように思えた。
 
卑弥呼はおそれながら、ききたくない言葉を選んだ。
 
「神よ。あなたの力で陽をかえすことはできないのですか」
 
しばしの沈黙のあと、
神は卑弥呼に告げた。
 
「日の神のなさることだ」
 
「なぜ?
そのようなことを、日の神がおこなうのか?」
 
卑弥呼がたずね返すと、神はいいまどったようにおもえた。
 
「それは、お前が一番、しっておろう」
 
卑弥呼の胸中をひらき、さばかれる。
それは、すなわち、神もまた、己をまがいものだと
みとめているということになる。
 
「まさか」
 
卑弥呼とて、去来するものはあれど、にわかには、信じられない。
 
人は一度きりであれば、
それを偶然と呼んで、そのまま、忘れ果てていくのかもしれない。
だが、1年半ほどあとに
同じ事態がおきたとき、
卑弥呼は、日の神が、
望んだものに気が付いていく。
 
********
ちょい書きなのでwww
たどたどしいのだけど、まあ、こんな風なこともあったのではないかと
思わされる、
イザサワケの「な」をかえようを「な(神)」と仮定してみたら。
 


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