620Aのスーパーツイーターを厳選しているわけだけど、
お奨めした時に、使用された方のインプレに
「枯れた音」と、いう表現があった。
枯れた音という表現は、ある意味、合っている。
だが、反語として考えると、
「枯れた音」
の、反対は、「生気のある音」と、受け取られるだろうと思えた。
これでは、本当の意味合いが通じないと思え、
「枯れた音」という表現はさけた。
だが、あえて、その表現を使うとするなら、
注釈が必要になる。
逆からの説明になるけど
「生気のある音」というのが、本当になまっぽい、自然な音かというと
まったく、違ってくる。
確かに、きらびやかな音、鮮やかな音という言い方では、あっているが、
不自然で、わざとらしく、作った音という感じが有る。
ところが、逆に「枯れた音」というのは、
かなりリアルで、生っぽく、自然な音になる。
こう考えると、「枯れた音」のほうが、「本物」なのだが・・・・。
では、なぜ、枯れた音=生気のない音のほうが、
620Aから出て来る音を、より本物っぽくさせるのだろうということになる。
まず、その前にCDPは無論、WADIA6LTD(Blue)である。
既に、CDPから、鮮やかな音は出ている。
その他の音の成分は満点といっていい。
そして、かなりの低域がでる。
ここで、高橋の話から・・・
「低域(あるいは、低周波)をだせばだすほど、高域(高周波)が、出て来る。
低域の拡充を図るということは、高域の調整(扱い)でもある」
と、言う言葉だったと思う。
つまり、SPの低域を拡充させれば、その箱の中で高域の行き場がなくなる。
この状態が既に、620Aでは、最初に有ると言ってよい。
そのため、低域が、でているけど、まともにでるようになっていない。
(そこで、ネットワークを作るのだと思う)
で、それ以前の元の状態からでも、
箱の中で高域の行き場が無くなっている。
と、なると
もうスーパーツイーターをつけて
飽和している高域を整えてやる必要が有る。
(おそらくであるが、アルテックの製作者=JBLの製作者であるが、
アルテックの権利を持ち出すことが出来ず、
JBLであの低域をだそうと試みただろうということとは別に
スーパーツイーターを付けてやらないと、うまく抜けない・・・という部分もかなり意識したのだろうと思う)
で、なにをしでかしたかというと
JBLのほうには、高域の抜けがよくなるように、ツイーターなど、おおめに盛り込んでいる。
だが、稼働率(㏈)が、わるいこともあるのか(クロスオーバーの配分とか)
低域が逆に弱い。
と、どうなるかというと、
低域が高域を支え・冴えさすという部分での高域の冴えでなく
コーン・ツイーターなどによる、高域が良く出る。と、いうのがある。
なにか、高域の成分に重々しさ・深みなどがうすくなる。
だけど、一聴では、鮮やかさ、きらびやかさ、が、耳に心地が良い。
で、620Aにさらに低域拡充をするとなると
当然、高域の抜けが必要になってくる。
低域が重々しさや深みを司るということになるので
ここに、
鮮やかさ・きらびやかさに特化したスーパーツイーターをつけると
一聴では、抜群によくなったようにかんじるのだけど
よくきいていくと、
先に書いた嘘くさい音になってしまう。
そこに「枯れた音」のスーパーツイーターをつけると
まこと、自然で深みもでるし、低域が高域を支えて冴えさすというのが、みえてくる。
それが、自然ということなのだろう。
つまり、低域=高域の程よい調和をつくれるのが
「枯れた音」ということになってくる。
こく、を、作ることが出来るのは低域であり
その こく、を活かす方法が枯れた音にあるというのが、
じつは、あまり知られていないのだろう。
で、620Aをお勧めする時
(あるいは、他のSPでも)
このスーパーツイーターをおすすめするのだけど・・・
実際の場面で
「生っぽい音」「自然な音」「低域の成分を表現するSP」というのに慣れていない(知らない?)人が多く
その低域他の成分を聴きとれる耳が育っていない場合がある。
で、ここを判っていると思ったのが
CDX10000の富山のT氏で、SP談議になった時のSPに対してのインプレを語っていたのだけど
聴こえている人(耳が良い)と、思わされたことがある。
高橋はT氏が若いから、聴こえる帯域も広いのだというけれど
現状、高橋も代理も若くないけど、聴こえる(判る)
それは、実際、何度も書いている様に
中域の低いほうを低域だと思って
張りのある音のインパクトに耳を持っていかれている人が
低域を意識できないせいだったり
体感(5感・6感~?)で音を聴く(感じる)耳が育っていなかったりして
ひどい場合は、高域好みにより、耳を壊している場合がある。
なので、枯れた音というスーパーツイーターをきくと
文字通り、生気が無いとか、インパクトが薄いとか、
偏ってしまった耳でうけとめた評価になりやすくなる。
ところが、
低域=高域の成分・緻密さを聴く耳ができてくると
生気がないなど、たわけたことでしかなく
インパクトという一部分ではなく
音の成分の深さ・密度の方がよほど、深い感銘(インパクト)を与えてくれると
理解出来てくる。
そういうことが有り、
代理は「枯れた音」という表現をつかうことをしなかったのだ。
そして、最近思うのは、
上記のように、
一般で使われている音の表現をつかうと
はたして、当方で表現している音の説明になるだろうか?
と、いう部分があったし
逆に、一般で使われている音の表現を
当方の現実の音と同じととらえてしまう誤解もあると思えた。
同じCDに対しての評価の違いから、
システムの音をある程度、判断できるという部分はあるが
これも、オールマイティな判断方法ではない。
現実に、システムの音をきいてみるしかないのだろうと思うけど
早々、客先訪問はできないというところもある。
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