この際、安倍さんの不甲斐なさを云々するのはやめといて・・・・
つくづく、思うのは
「令和」である。
戒め・規律・・・「令」をもってして「和」と為す。
と、令和元年に思ったのであるが・・・
どうも、安倍さんのおかげで、見えてきたものがある。
「和」をもってして「令」と為す。
と、言い換えてよさそうに思える。
コロナに因る自粛は「令」では無かった。
「お願い」という形で始まり
それが、自発的に「和」(一丸(いちがん))になろうとしたことで
「令」決め事に昇華していったように思う。
おそらく、第2波・第3波・・とか
別の形のウィルスとか・・・
これ等に対しても、強い指導者は
「令和」そのものなのだろうと思う。
そう考えると、
先に書いたように、安倍さんの不甲斐なさを云々しないと言いたくなる。
もしも、トラ*プーさんのような指導があったら
日本人って、もっと、もめたんじゃなかろうか?
頼りないから、自分たちが頑張らなきゃ・・と、いう側面が
どれほどあったかは判らないが
少なくとも、かなり、危機感を認識させてくれるに、役に立った気はする。
なんだ、あれは!!
と、いう怒りをぶつくさ言っているより、
頼るのは自分だ。と、割り切った人もいると思う。
はたして、良いお上がいたほうがよかったか、どうかは
なんともいえないところではあるが、
逆に、頼もしいと思える大阪知事あたりに、
脅迫状?をおくるという
なにか、送る側の悲惨な心理をみせられる辛さみたいなものもある。
どこかで、安倍叩きは笑って済ませられるけど
男の脅迫は、笑って済ませられない。
なにか、資本主義の歪というか・・・
リンカーンの暗殺とか・・・
自分の利害で動いていく・・そんなアメリカナイズした思いを
振り返らず、行動に移してしまう。
精神までも、裁くことはできまいと思うと
笑って済ませられる安倍叩きのほうが
あるいは、健全かもしれない。
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