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宇摩志阿斯訶備比古遅神ーキエンギ(葦の主の国)とヘブライと・・・☆18 2021-07-09

2023年11月05日 | 続☆歴史の中の「経緯」

シュメールの彫刻に「太陽紋」が多く見られるが、日本の皇室の「菊花紋」と同じである。

シュメール人は自分の国を「キエンギ(葦の主の国)」と呼んでいた。

日本は「豊葦原の瑞穂の国」と云う。シュメールと日本は「葦の国」です。

日本語とシュメール語はどちらも膠着語で共通している。

日本とシュメールの共通性を初めて指摘したのは、元禄3年(1690年)に日本に来たドイツ系オランダ人医師・博物学者のエンゲルベルト・ケンペル(1651年-1716年)であった。シュメール人が祖国滅亡後、日本列島に大挙移住したと提唱した。

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ここで、思い出した。

その次に、国土が形成されて海に浮かぶくらげのようになった時に以下の二柱の神が現われた。

この二柱の神もまた独神として身を隠した。

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葦黴(あしかび)という酵素があるが、魂に活力を与えると、いうものだった。

と、いうのも、日本人は、葦から生まれたという話がある。

この葦黴(葦に発生する黴?)が、元になって「生命体」が生まれてきたのかもしれない。

この宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)- 活力の神の名前を知ったのは

葦から生まれたという話より後のことで、

ええ~~~!!吃驚。

人間は「草」?? 『古事記』が教える古代日本人の人間観——三浦佑之×池田雅之|人間力・仕事力を高めるWEB chichi|致知出版社

『古事記』の冒頭には天地創造の物語が出てきますが、そこには、霞のような何もない状態から最初の神々が生まれ出てくる様子が次にように描かれています。

「天と地とがはじめて姿を見せた、その時に、高天の原に成り出た神の御名は、アメノミナカヌシ。つぎにタカミムスヒ、つぎにカムムスヒが成り出た。この三柱のお方はみな独り神で、いつのまにやら、その身を隠してしまわれた。

できたばかりの下の国は、土とは言えぬほどにやわらかくて、椀に浮かんだ鹿猪の脂身のさまで、海月なしてゆらゆらと漂っていたが、その時に、泥の中から葦牙のごとくに萌えあがってきたものがあって、そのあらわれ出たお方を、ウマシアシカビヒコヂと言う。」

高天原に三柱の神が生まれ、大地がクラゲのように、脂身のように漂っている時に、僅かばかりの泥の中から自ずと萌え出た「ウマシアシカビヒコヂ」。これこそ私は人間の祖先を表しているのだと思っているんです。「ウマシアシカビヒコヂ」とは、「立派な葦の芽の男神」という意味なのですが、つまり、古代日本人は人間の祖先を葦の芽、植物だと考えていた。

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先にも書いたが、神話の中は、日本独特のもので、

神世七代のあとの、天照とか素戔嗚とか、月読とか・・・は

どうも、おかしいwwww

だが、別天津神神世七代の神々については、

宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)でも判るように、

日本独特と思われる。

これを、他の国からもってくるのは不可能と思っていたが、

ヘブライ人・シュメール人なら(元が、日本文明ならば)持ってこれる。

シュメール人は自分の国を「キエンギ(葦の主の国)」と呼んでいた。日本は「豊葦原の瑞穂の国」と云う。シュメールと日本は「葦の国」です。

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2700年前の封印を発見、預言者イザヤのものか? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト (nikkeibp.co.jp)

 イスラエル、エルサレムの発掘調査で、粘土にハンコを押した紀元前8世紀の「封印」が発見された。学術誌「Biblical Archaeology Review」に掲載された最新の報告によると、この封印には旧約聖書に登場する預言者イザヤの名が刻まれている可能性があるという。(参考記事:「エルサレムで古代の劇場を発見、「嘆きの壁」発掘中」

 考古学者エイラート・マザール氏は、「預言者イザヤの印を発見か」と題した報告を同誌に発表。それによると、封印は1.3センチの楕円形の粘土で、一部が欠けている。欠損がなければ、古代ヘブライ文字で「預言者イザヤのもの」と読めるかもしれないとの説を唱えている。

 この2700年前の封印にある文字の解釈が正しければ、聖書以外でイザヤへの言及が見つかった初の例となる。預言者イザヤは、紀元前8世紀末から7世紀初めにかけてユダ王国を統治した王ヒゼキヤに助言する人物として、旧約聖書に描かれている。(参考記事:「古代イスラエル 消えた王国」

米ジョージ・ワシントン大学の教授で、セム系諸語に詳しいクリストファー・ロールストン氏も、「nvy」の読み方が問題だと話す。

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伊雑宮(イザヤの宮)に祀られていたのは、素戔嗚という説

素戔嗚=秦氏と考えると、

秦氏=ヘブライ人となっては、まずいものが、祀り替えた?

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「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」

「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」

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日本書紀のいうとおり、秦氏が、中国・朝鮮系帰化人であるだろうか?

むしろ、十二支族のどちらかではなかろうか?

そして、

ウガヤフキアエズ王朝がどうなるか・・・・

ひとつに、正統な神話をもっているか?

と、いうところなのだが・・・

先にも書いたが、神話の中は、日本独特のもので、

神世七代のあとの、天照とか素戔嗚とか、月読とか・・・は

どうも、おかしいwwww

と、思っていたひとつの理由。

ホーム→火山と日本の神話/火山と神話の現場からの報告

この記事を読んだせいもある。

なぜ、隠れたのかを素戔嗚のせいにするばかりは妙である。

(別途、国常立を素戔嗚とし

それを、暗喩させていることに気が付かせようというのなら別だが)

ところが、

火之明(ホノアカリ)の時代に、阿蘇山で地震が発生したので、この洞窟に篭って助かった。

祖母を開いた神は、隠れるケ戸を掘って、

これにうずくまった。

火明の御代に、天の岩戸にこもった。
時に阿蘇山のそばで、地震が発生し
タカヒメの親・ツカヤリは、
皇祖ゆかりの蓋を作って、
天の岩戸に逃れた。
地面が怒り唸るのを、天の岩屋にこもって
助かった。岩が守って生きながらえたのである。

そのいわれを書く。

のちに作者は訂正するのですが、

少なくとも、素戔嗚のせいにしていないという事で着目していたわけです。

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地震シェルター説

私が最初に書いた記事は、この説がベースとなっています。

あちこちのサイトで見かけるこの解釈が、どこから出てきたのか分りませんが、ほぼ翻訳ミスと断定して構わないと思います。

その要旨は、「火之明(ホノアカリ)の時代に、阿蘇山で地震が発生したので、この洞窟に篭って助かった。」

というように現代語訳されており、全くデタラメの読み方であることが分りました。

>>>詳しくは、こちら

海彦山彦の時代に、ヤタの鏡は高千穂の天の岩戸にあった! - ウガヤフキアエズ王朝実在論 (jimdofree.com)

この3人が解読した「蓋石の碑文」は、下記のとおりです。

(前段翻訳不能のため省略)--------右側は筆者による現代語訳

火之明(ホノアカリ)の命が--------ホノアカリの命が

この天の岩戸に篭座す時の--------この天の岩戸に篭って鎮座したときに

遊びの供えに奉る--------行幸のお供えとして奉納された

 

ひとつの大御鏡は--------ひとつの大御鏡=ヤタの鏡は

皇太御神の御霊として--------天照大神の御神体として

天の岩戸に遺こし--------(天上界の)天の岩戸に残し

 

持出ししなるを--------持ち出した(もうひとつの鏡)を

天の岩屋戸の此地の岸に--------天然の洞窟のあるこの地の岸に

石もて四枚に立てて--------石を四枚立てて

隠し置くなり--------隠し置いたのである

 

つまり、「こここそが、ヤタの鏡が置かれていた隠し場所である」と書かれているのです。

◆ちなみに、この『上記鈔訳』を書いた三人は、ホノアカリ=海彦説をとっています。

なぜなら、ウエツフミにある下記の記述とも一致するからだとしています。

 

弟・山幸彦の人徳に人気が集まり、兄も皇位継承権を弟に譲ろうとするのですが、山幸彦自身が「自分は弟だから」という理由でこれを辞退したため、兄はそれを嘆いて『天の岩戸』に篭って反省した。

そして・・・

ところが、「いったいホノアカリとは誰なのか?」をめぐっては、解釈が大きく分かれています。

ニギハヤヒ説

(1)『ウエツフミ』では、ホノアカリ=火明橿日(ホアカリカシヒ)の命とは、ニギハヤヒ、またはその一族だと書かれているのです。

※宗像本36綴7章には、第70代ウガヤフキアエズの命が「火明(ホアケ)の命とは誰か?」と尋ねたところ、「ニギハヤヒの子孫です。この神は領主にはならず、斎(いつき)として天の磐船に乗って臼杵の河内山に降臨しました。だから天上界の呪術を伝えます」と地神が答えている。

※『上記』宗像本37綴7章に、「お前の祀る神は誰だ?」と聞かれたナガスネヒコが、ニギハヤヒのことを「天照国照彦天津火之明饒速日の命」と答えている。

(2)『ホツマツタエ』でも、ホノアカリ=ムメヒトとは、ニギハヤヒの父とされています。

(3)『ウエツフミ』の記述を信じたい私の立場ですが、火之明=ニギハヤヒという解釈に従うと、ニギハヤヒが高千穂町に居たことになり、他の記述と矛盾してきます。

ニギハヤヒは関西(現在の大阪府交野市の磐船神社あたり)に降臨した、ニニギの命とは別系統の皇祖だと書かれており、九州までやってきたという記述は無いからです。

【訂正】その後の研究により、ニギハヤヒは臼杵の河内山に降臨したことが分りましたので、「九州までやってきたという記述は無い」という部分は撤回させていただきます。詳しくは、こちらから。

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素戔嗚ー饒速日を親子とみなす説もある。

すると、

『ホツマツタエ』でも、ホノアカリ=ムメヒトとは、ニギハヤヒの父とされています。

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ニギハヤヒはニニギの命とは別系統の皇祖だと書かれており・・・

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早合点してはいけないとは思うけど

十二支族のうちのN支族ー饒速日=秦氏(物部氏)(海部氏)

十二支族のうちのA支族ー天照(ニニギ)=ウガヤフキアエズ王朝

と、いう仮説を立てたくなる。

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◆アマベ氏とは、アマ族を取りまとめるリーダーであり、アマベのルーツは修験サエキである。

⇒「修験サエキ」とは落合莞爾先生の命名によるのもので、「日本にやって来たウバイド人(前期シュメール文明)のうち、天皇家より先に九州に渡来した一派をいい、のちに海部氏と呼ばれた」と説明されている。ちなみに、落合先生もこのことを調査するため大分県を訪れている。

もしも、海部氏こそ「修験サエキ」であり、エジプト文明の継承者であるとするならば、なぜ彼らは「自ら大王になる」ことを選択しなかったのでしょうか?

それは、大分県の中央部、祖母山から流れ出す大野川の流域には、もっと強いパワーを持つ一族が居たからです。

それが「日向天孫族」

『ウエツフミ』では、「オオミタカラ族」と呼ばれています。

彼ら天孫族の持つパワーの源泉は分かっていませんが、豊後海部氏は「常に補佐役的なセカンド・ポジション」に廻って来たことは、歴史が証明しています。

さらに、大分県の北部には、秦氏の本拠地である「秦王国」もありました。

私は、秦氏とは「東ローマ帝国」が派遣した新植民地開拓のための騎馬隊、海部氏とは「西ローマ帝国」が派遣した新植民地開拓部のための海兵隊であると考えており、落合莞爾先生のいわれる「ウバイド人の修験サエキ」とはやや異なる解釈をしていますが、その議論は長くなるので、また章を改めます。

いずれにせよ、ウガヤフキアエズ王朝とは、北の秦氏と、南の海部氏の両方を支配下に収めることに成功した“第三の勢力”であり、その強大なパワーゆえに日本一の大豪族である天皇家にまで発展したと解釈しています。

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「日向天孫族」

『ウエツフミ』では、「オオミタカラ族」と呼ばれています。

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ある方が

「日本にはイエスは来ていない」

その後の発言だったか、別の文献を混同しているか、記憶が薄い。

が、

「イエスの弟が来ている・・」

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饒速日(ヨシュアーイエス)

ニニギノミコト(「オオミタカラ族」)大御宝=天皇にとって人民は大御宝である。

「イエスの弟が来ている・・」

さらに、王仁三郎の話をしんずれば

古代天皇の大御宝の中から、イエスが出現している。

あるいは、古代天皇の子孫であるかもしれない。

シュメールの神官の霊は、次のように語っている。

「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」

「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」

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ヘブライ人が日本を目指したのは、当たり前といっていいし、

秦氏(十二支族?)が大挙して日本に来てもおかしくない。

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東遷から約100年後の2世紀(倭国大乱)、この平和な和歌山に、秦氏が擁立した渡来人の神武天皇(ヒダカサヌとは別人)が攻め込んで来ます。

大分県の北部には、秦氏の本拠地である「秦王国」もありました。

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シュメール人・文明とは?特徴や謎、日本人との関係をやさしく解説 - 2ページ目 (2ページ中) - レキシル[Rekisiru]

 

日本人シュメール起源説とは、シュメール人などのバビロニアを居住地としていた民族と日本人の間に見られる様々な共通点から、大昔にシュメール人の一部が日本に移住してきたのではないかという仮説です。

日本人とシュメール人の関係性における根拠として、代表的なものが日本の古語とシュメール語の共通点です。「すめらみこと」という天皇を意味する古語は、シュメールから来ているのではないかという説が存在します。また、天皇を指す「みかど」に対して、シュメール語には天降る者を意味する「ミグド」という言葉も存在しているのです。

そして、山口県にある彦島杉田遺跡では、複数のペトログラフが発見されており、シュメール語に近い文字が刻まれていることがわかりました。ペトログラフとは、古代人が岩に刻んだ文字や模様を指します。つまり、大昔に日本列島へやってきた民族の中に、シュメール語を知っている人々がいたかもしれないのです。

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祖母が数を数えるとき「ひい、ふう、みい・・・・」言います。
この言葉は古代へブライ語が由来らしいです。
ユダヤ人言語学研究家ヨセフ・アイデルバーグ氏によると
HI・FA・MI・YO・TSIA・MA・NANE・Y・KAKHENA・TAWO というと、
「誰がその麗し女を出だすのやら、いざないにいかなる言葉をかけるやら」 という意味になるとか。
似ているけどこじつけだろと思っている自分でしたが
古事記と日本書紀に天の神である女神アマテラスが「天の岩屋戸」に隠れたので、そのために世の中が真っ暗闇になったという有名な話があるらしいのです。
このとき女神にそこから出てもらおうと女祭司コヤネ(アメノコヤネノミコト)が他の神々の見守る前で読んだ祈祷文が例の「ひい、ふう、みい・・」ということがわかって確信がもてたましたね

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ヨシュアヘブライ語יְהוֹשֻׁעַ‎, Yehoshuʿa)は『旧約聖書』の「民数記」や「ヨシュア記」に登場するユダヤ人の指導者。新約聖書のイエスと同じ名前。יהוה(ヤハウェ/ヤフア)は救いという意味。


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