『古事記』では、別天津神の次に現れた十二柱七代の神を神世七代としている。
最初の二代は一柱で一代、その後は二柱で一代と数えて七代とする。
- 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
- 豊雲野神(とよぐもぬのかみ)
- 宇比地邇神(うひぢにのかみ)・須比智邇神(すひぢにのかみ)
- 角杙神(つぬぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)
- 意富斗能地神(おおとのぢのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)
- 淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
- 伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)
これらの神々を調べていくと、おもしろいことに気が付くのですが、
今は省略。(しいて言えば、生命の樹ににているか)
この面白いことも含め、実によく考えられている?ことが判ります。
これは、簡単には、考え付けない。
と、なると、ウガヤフキアエズ王朝のものかと思うのですが・・・
もっと、文明が発展してきたところから来た渡来人の神話体系ではないかと思うのと
ウガヤ朝が存在したのが、おおよそB.C.1000年頃からA.D.300年頃の間です。
と、いう言葉です。
世界史と照らし合わせると、
ウガヤフキアエズ王朝独自のものと思えないところがあります。
************
これだけは、残しておこうと思った文献?である。
今になると、何処のサイトから、いただいてきたのかさえ、
判らなくなっている。↓
*********
話が変わるが、王仁三郎は次のように述べている。
「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、
イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。
このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、
富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」
だが、ペトログラフ学によると、
シュメールのルーツは日本にあると考えられている。
もし、王仁三郎の話が事実だとしたら、
ノアとその家族は、大洪水前は日本列島に住んでいたことになる。
『ガイアの法則』でも、シュメールの起源は日本列島だと説明されている。
そのシュメールの神官の霊は、次のように語っている。
「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」
「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」
「日本列島から西への移動も、この法則通りであったのだ。
それだけではない。
この地球は大きな変動を何度も繰り返しているが、
そうした大変動も、基本的にはこの法則に基づくのだ。
最も最近に起きたこの変動は、約1万2000年前だ」
「その変動は太平洋の日本寄りの位置で起きた。
これによって、陸地として繁栄した太平洋上の文明は海底に沈んだのだ」
「現代の人類の文明が、約6400年前にシュメールからスタートしたように、
さらにもう6400年前から始まった文明周期は、
今のあなたの国がある日本列島からスタートしたのだ」
日本列島から西(シュメール)への移動も法則通りだった……
ということは、箱舟ではなく徒歩で移動したように受け取れる。
********
このあたりは、
ピラミッドを調べているうちに、行きついたと思う。
ピラミッドの真の目的・用途は何か?
ー古代天皇が世界各地にテレポートする道具ー
とんでも論かもしれない。
だが、饒速日にしろ、高天原の神にしろ
謎の飛行物体を使っている。
天鳥舟(こんな字じゃなかった)
天磐舟(饒速日)
そのあたりから、超古代人だったら、
テレポートも可能かもしれないという
素直なww考えである。
そして、ピラミッドも、日本が発祥ではないか?という思いも持っていた。
なので、
富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
は、日本のピラミッド(形式の自然の山?いや、もしかすると、人口ピラミッドが
長い年月の果てに、山になってしまったのかも)から
世界各地にテレポートできた。
と、これまた、素直に考え付いたwwww
*********
事実は判らないことであるが
約12000年前に、日本で、かなり、大規模な洪水があったのは事実である。
それをにおわすのが、
海幸彦・山幸彦の潮満玉・潮干玉なのであるが・・・
福井県の三方五湖から、1万2千前の漆の化石が出てきている。
化石ができる工程として、一気に堆積土が積もらないとできない。
通常の台風などによる土砂崩れなどの災害では、化石はできない。
なので、恐竜が他の恐竜をたべてる姿のまま死んだ化石などができあがる。
このことから、ノアの洪水なり、大地震なりという未曽有の天変地異が起きた。
と、思える。
***********
そして、1万2千年前から、スタートした日本文明(仮に)の時に、
天皇が(太古の時代)世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した。
と、いう事になる。
その文明が滅びたのが 6400年前。
ギザの大スフィンクスに見られる水の浸食跡から、エジプトで多くの雨が降った紀元前5000年以前に建造されたと主張する者もいる。
(多少のずれはあるが・・)
洪水の痕跡を残すとなると、ピラミッドは日本文明の所産?
******
天皇が(太古の時代)世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した。
のであるなら、世界各地に残る神代文字・ヒエログリフなど
豊国文字(が、多分、日本文明の所産?)で読み解けるのもうなづける。
この文明が滅びたあと、もう1度1からやり直す。
と、大変むつかしい事態になる。
それこそ、原始時代からのスタートに近い。
ほぼ、なにもかも残ってない。
まして、日本文明と考えると
なにも残らない。
ちょっと前までがそうだったと思う。
家一つでも、木の柱・土壁・戸も木・かやぶき屋根。
と、なにもかもが、土に帰り、痕跡を残さない。
その六千四百年前に近いものが↓。
******
縄文文化を壊滅させた「鬼界カルデラ」の大噴火(2020.06.27) | 大隅史談会 - ぐるっとおおすみ (gurutto-oosumi.com)
約7,300年前(約6,300年前とする説もある)に生じた鬼界カルデラの一連の大噴火の際に、最後の大規模火砕流(幸屋火砕流)が推定時速300km位の高速で海上を走り、大隅半島や薩摩半島にまで上陸しました(下図左)。その時のアカホヤと呼ばれる火山灰は東北地方まで達しました(下図右)。
幸屋火砕流は当時住んでいた早期縄文時代の縄文人の生活に大打撃を与えたと考えられています。その後、1,000年近くは無人の地となったようです。
その後に住み着いた前期縄文時代の縄文人は以前とはルーツが異なり、土器の様式も変わりました。
また、大噴火の際に海中に突入した火砕流の一部は大津波を発生させました。津波の推定高さ(下図左)は大隅半島で30mです。津波の痕跡は長崎県や三重県でも確認されました(下図右)。
*********
そして、今度は日本にむけて、シュメール人がやってきたとしてもおかしくない。
シュメールとユダヤの関係 : 古代史探訪 (exblog.jp)
世界最古の文明はメソポタミアで始まった。旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典であるが、旧約聖書の最初に記されている「創世記」はシュメール神話の影響を強く受けている。
創世記に記される最初の人は「アダム」で、私見では4、600年ほど前のメソポタミアの王だと考えている。
アダムの10代目が「ノアの方舟」で有名なノアで、4、300年ほど前の人である。ノアの11代目がアブラハムで、4、000年ほど前の人である。
「メソポタミアのウバイド人」をご参照ください。
アブラハムはメソポタミアの都市国家ウルで生まれ、母はシュメール人であった。アブラハムはシュメール人の耕す農地周辺で遊牧を生業としていた。メソポタミアでは遊牧民をヘブル人(ヒブル人)と言っていた。後にユダヤ人がヘブル人(ヘブライ人)と呼ばれるようになる。
シュメールは、4、000年ほど前に東方(イラン方面)からやって来たエラム人に滅ぼされてしまったので、メソポタミアで生活できなくなったアブラハムは父のテラや一族と共にカナン(パレスチナ)に向かって移住を始める。父は途中のハラン(トルコ)で亡くなった。
アブラハムはカナンに住み、妻はシュメール人のサラと、サラの召使いのハガルであった。サラの産んだ子孫がイスラエル人(ユダヤ人)になり、ハガルの産んだ子孫がアラブ人になった。アブラハムは更にケトラを妻とした。
アブラハムと妻のサラは、ヨルダン川西岸地区のヘブロンにある「マクペラの洞穴」に埋葬された。この洞穴はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地となっている。
シュメールが4、000年ほど前に滅び、その後、鉄器で有名なヒッタイトがアナトリア(トルコ)に出現、中近東一帯を制した。「ヒッタイトより1、000年古い鉄の塊」をご参照ください。
シュメールの彫刻に「太陽紋」が多く見られるが、日本の皇室の「菊花紋」と同じである。
シュメール人は自分の国を「キエンギ(葦の主の国)」と呼んでいた。
日本は「豊葦原の瑞穂の国」と云う。シュメールと日本は「葦の国」です。
日本語とシュメール語はどちらも膠着語で共通している。
日本とシュメールの共通性を初めて指摘したのは、元禄3年(1690年)に日本に来たドイツ系オランダ人医師・博物学者のエンゲルベルト・ケンペル(1651年-1716年)であった。シュメール人が祖国滅亡後、日本列島に大挙移住したと提唱した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます