なにか、妙だなと思って
ウィキを調べてきた。
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『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐之男命、
『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、須佐乃袁尊、
『出雲国風土記』では神須佐能袁命(かむすさのおのみこと)、須佐能乎命、神仏習合では牛頭天王などと表記する。
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古事記において、 素戔男
と、いう字は無いようである。
素戔男 の字の意味は
ギャーギャーと赤子のように泣き叫ぶ
と、多少、侮蔑の意味が込められている。
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『古事記』の記述によれば、神産みにおいて伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行った際、天照大御神、月読命に次いで鼻を濯(すす)いだときに産まれたとする(阿波岐原は江田神社のある宮崎市阿波岐原町に比定される)。これは神道の祝詞、祓詞にもある。
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この禊で、子供が生まれる と、いう意味合いはよくわからないことであるが・・・
素戔嗚(他)は、
伊弉諾(男・父)単身から生まれたということになる。
ところが、
ー『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願いー
あれれ?
古事記によれば 伊弉諾単身から生まれたわけで
伊弉諾の妻=イザナミ という図式で 系譜としては
イザナミは母になるわけだが
実際は 伊弉諾独りで生んでいる(生物学的には不可能だが)
なので、
『日本書紀』本文では伊弉諾尊とイザナミ (伊弉冉尊・伊邪那美命)の間に産まれ天照大神・ツクヨミ(月読)・ヒルコ(蛭児)の次に当たる。
と、あるように
日本書紀が、
ースサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願いー
と、書くのならわかる。
あげく、母神イザナミに逢いたいと
ギャーギャーと赤子のように泣き叫んだ。
ことが、もとで
素戔嗚とも呼ばれたともいう。
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『古事記』では建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、速須佐之男命、須佐之男命、
『日本書紀』では素戔男尊、素戔嗚尊等、須佐乃袁尊、
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母神イザナミに逢いたい
ギャーギャーと赤子のように泣き叫んだ
ともに 日本書紀の記述である。
が、
ー『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願いー
どうにも 古事記と日本書紀が
ぐっちゃになっているとしか思えない。
素戔嗚 は侮蔑的な名前であるが
須佐乃緒 は、逆に 精神性の高い 道理をわきまえた 元締め(まとめ役?)という意味合い。
古事記が 侮蔑的な名前を使わないということと
日本書紀が 侮蔑的な名前を使う と、いうことの裏に
編纂者・あるいは日本の政治の中心人物 などのなかに
中国系?のものがはいりこんだりしていたという
裏もあるだろう。
が、少なくとも 須佐之緒と書く古事記が
スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い
と、「素戔嗚」をにおわす行動のスサノオを書くだろうか?
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統治領域は文献によって異なり、三貴神のうち天照大御神は天(高天原)であるが、月読命は天、滄海原(あおのうなばら)または夜の食国(よるのおすくに)を、須佐之男命には夜の食国または海原または天下を治めるように言われたとあり、それぞれ異なる。須佐之男命は記述やエピソードが月読命や蛭児と被る部分がある。
『古事記』によれば、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りを買って追放されてしまう。そこで母の故地、出雲と伯耆の堺近辺の根の国へ向う前に姉の天照大御神に別れの挨拶をしようと高天原へ上るが、天照大御神は弟が攻め入って来たのではと思い武装して応対する。スサノオは疑いを解くために誓約(うけひ)を行った。
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