暴力はいけない。
と、いう考え方はまちがっちゃあいないとは思う。
だが、その物差しだけで、測れるのは、
「暴力」そのものだけでしかない。
よく、代理は
子供に対しては怒るのでなく「叱る」のだという言い方をしていた。
怒るというのは、いわば、感情まかせの行動であり
叱るというのは、ヒ(漢字変換がないのでカタカナ)を口から出す。
と、言うことで、
ヒとは、「ひ」であり、「ひ」は精神・魂である。
心に灯(ひ)を灯す。
などのように、希望や精神として考えられる。
ところが、
では、怒ってはいけないか?ということになると
代理の中で逆の意見も出てくる。
ー親が感情任せになるほど、怒るー
もう、これは、理屈でない。
子供に対しては
ーそこまで、親が感情任せになるほどの「事」をしでかしているー
と、いうことを、理屈でなく、納得させることができる。と、考える。
親は、最初の世間であると、子供には伝えている。
同時に親は子を擁護・保護・育成する思いも持っている分
厳しさの裏に優しさ・慈しみがあり
その最初の世間は、どうしても、甘い部分がある。
その親身になる&甘い部分をもってしても
感情任せに怒るということに
大変なことを、しでかしているんだと子供は知らされる。
こんな状態で
世の中にでたら、大変なことになる。
それをしらせるという意味で
親は「怒る」ことも、大事なのだと思う。
今回の体操界のパワハラ問題で
速見コーチが宮川選手を思いっきり殴る映像がTVで流れました。体が揺れるほどのひどさです。
この状態でも『私はパワハラと思っていない』といった宮川選手や暴力を知りながら速見コーチを信頼している
と、いうコメントを出したおばさんがいたが・・
宮川選手が
自身の「殴られてしまうほどの、自分の落ち度について」を
どこまで内省したか、どのように体得(会得)したものがあったかについては
言及していないが、
「パワハラだと思っていない」という裏側には
それにより、得るものの方が大きかった。と、推察できる。
このことについては
他の人間には、判ることではなく
自分が理解できないからと、精神疾患があるような書き方をする、おばさんの
今までの人生を思ってしまう。
怒られることもなく育ち、人間関係、人間の情・精神性などにふれることもなく
自分の理解能力の不足(経験値の不足)を顧みず
相手を異常扱いにする。
行き過ぎた暴力は、確かにいけないが
それを受け止める側の思いを顧みられないのは
どういうことだろう?
そして、宮川選手もちゃんと
「暴力はいけない」「今後、そのようなことがないように」
と、言及している。
その「思い」をきちんと、受け止め
そのように行動してくれると信じられる
信じようとする宮川選手の無垢さを思うと
あまりにも、その「内訳」にふれようとしない、おばさん過ぎる。
宮原選手とコーチが再び、タッグを組んでやっていけるように
応援するのが、おばさんの役目ではなかろうか?
言い出せば、
このおばさんの発言も、世間・感情を度外視した
パワハラ発言であると見える。
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