ロータスブルーム~ふしぎなこと~

不思議なこと、人間関係、明晰夢、開運、直感、ヘミシンク。「本日のラッキーを招く3つのポイント」は翌日分を前日に更新^^

優しさと肝臓

2015年08月18日 | ふしぎなこと
かなり昔の話ですが、立て続けに起こったことなので、

ひとつの仮説として書いてみます。


相談して、頼っていた人が、立て続けになくなってしまっり、入院してかなり重いところまで行った。

というお話を別々の人から、なぜか続けて

聞いたことがあります。


で、肝臓は五行でいうと「木」で、これは優しさとか、仁愛というか、人間としての優しさ、というか

そういう要素と関連してたりします。

「木」のバランスが崩れると、肝臓に来たりすることもあります。

(実際は、複雑なメカニズムが働くので一概にはいえませんが)


「話をただ、優しく聞いてあげる」だけ、ってのは

実はけっこうエネルギーを使うことなのですね。


「話をただ、聴く」というのはむずかしい。

相談事をされて、「それはあなた、これこれこうよ!なぜなら・・・」と

意見をいうのはそんなにダメージないんですが、

「ただ、聴く」というのは特殊技能と申しますか、だれにでも出来ることではないです。

ただ、聴く、だけでそれは一種のヒーリングとなってますので

聴いてくれる人に、負担をかけることにもなったりすることがあります。


人を癒すということは、自らを削ってのみしか、なかなか出来ないことだったりします。


気配り、というのも同様で、

あまり気配りしすぎても、自分の体にきたりしますので

自分が倒れて、困る人々がまわりにいるのであれば、

そこそこの優しさでいいのでは?と思ったりもします。


思うに、だれもが、だれもに、気軽に相談できるような世の中になれば

一番いいのですがね。

誰か一人に、集中して頼ったりするよりも。

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シンクロ。骨折の意味☆

2015年08月07日 | ふしぎなこと
五日前に子供とプロレスごっこをしていたら

子供の肩甲骨だかなんだかが、私の肋骨のどっかに入って

「うっ!!」と激痛。

ひー。すげえ痛い。なんだこれ。

と、五分くらい悶絶していたのですが、そのうち

なんとか動けるようになったので

それから五日間くらい「なんか、ひねったんだろう」と思ってたんですが

五日たっても痛みそのものが全然ひかない・・・というか、ある角度に体をひねったら

もーれつ痛いので、病院いったら肋骨の間にある軟骨がどーも折れてるらしい。ってことで、


ひー骨って簡単に折れるんじゃねー

と、驚き。しかし年齢も年齢なんで、自分としちゃ「心筋梗塞とかか!?」と思ってたんで

ある意味ほっ。


実は娘が今年の春先、ちょっとしたことで肋骨の似た場所を骨折してたんですよね。

そのとき、単なる打ち身だと思って

だいじょうぶ?とか動ける?とかいくら言っても「痛い~っつ!」しか言わないんで

「もう!」とか言ってたんですが、いや、骨折って痛いですね・・・・



で、娘が病院行ったとき、そこの整形外科の先生も肋骨を骨折してて(二週間前だったそうですが)

「わしもこないだ、やったばっかりなんよー」

と、言われたという。


今日子供の習い事にお迎えにいって、

「こういう偶然があったんですよー」と、他のお子さんのお母さんにお話してたら

「今日、うちに出入りしてくださってる植木屋さんが、骨折したんで、お見舞いに行ったんです。」


・・・・どういうシンクロ???


んで、まあ、ヘミシンクでアクセスしてみたんですが・・・



ガイドが言うには、

それは、ある意味、今までたまっていたエネルギーの解放とともに起きた出来事なんで

心配しなくてもいいってことで。



確かに、これらの出来事は、

○娘の骨折→娘が激務が続いていた年度末におこった

○私の骨折→十数年ぶりに働き出した直後におこった



のでした。

で、私たちのは少なくとも、なんか、ある種の曲がり角にきて、

その変化のエネルギーの影響かなーという感じがしました。


いや、激いたかったですけど。。。。

でもまあ、肋骨といっても、ギプスなしでもなんとか、というくらいですんだので。


なにかを、開放したんでしょうね。

人が、変わろうとするとき、いろいろあるものだ。

というのを河合隼雄先生の御本で読んだこともありますし。



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シンクロ

2015年08月04日 | ふしぎなこと
きのう夜、娘と話していましたら、

○今日あった人のタイプ
○今日、人から言われたこと

が、本当にシチュエーションや、いわれたことが

そっくりで、

「不思議だね~」と言い合いました。

ふたりとも

焦らずに、ひとつひとつのことをやりなさい。

という注意を、言われたのですが、

さいしょ、「あの言い方ってナイよね~」「そうだよね~もう少しやんわり言ってくれても・・・」

と思ったのですが(ふたりとも)

同時に、「でも・・・あそこまで強く注意されなかったら、きっと私たちはその注意が身にしみなかっただろう」

とも思ったのです。

ふたりとも。

シンクロですよね~


で、きょうになって、私はとある書類の手続きにあちこち電話をかけなければならなかったのですが

きのう、注意されたことを気をつけながらやったら、

うまくいったのでした。


えー、そんな言い方ってないよね、と思ったとしても

それは何か、わたしたちを守ってくれる存在が、その人の口を借りて

いってくれているサインなのだな、と思います。


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生まれる前の記憶(by息子)

2015年07月25日 | ふしぎなこと
「息子の幽体離脱話」というのを昨日ブログで書きましたが、

そのあと、息子が「もうひとつ、そういえば・・・」と言い出しました。


息子「あーそういえば、かなり昔に、自分でもいつか覚えてないけど、

家の廊下の奥、ほら、トイレの前に棚があるでしょう、トイレットペーパー置き場になってる棚。

そこの視点から廊下を見下ろしてるんだよね」

私「それは昼?夜?」

息子「朝だったね。で、階段から枕みたいなのをひきずって降りてくる小さい子がいたんよね

私「・・・それ自分じゃないの?」

(こいつ、こういうことしたっけ?と記憶を掘り返す私。どうも記憶がない)


息子「よく覚えていないけど、それ、たぶん、お姉ちゃん


私「へ?それ、あのー、あなたがうまれたとき、お姉ちゃんは既に小5だったんだよ??」

息子「いやあの、そう言われれば、はっきりどうこう言えないんだけど、うそは言ってないって。

ほら、生まれる前の記憶っていう本見せてくれたことあるでしょう。

ああいう話の一種じゃないの?」

と、クールな回答の息子。


うーむ。

ちなみに、この家は息子が生まれる前の年に購入したので、

娘は少なくとも、小4だったことになります。


↓息子作のGIF




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息子の幽体離脱体験談

2015年07月24日 | ふしぎなこと
息子「おかあさん、ぼくね、実は、幽体離脱したことがあるんよ」

私「ええっ!?いつ!?」

息子「中一のとき、授業中、寝そうになったんよね。で、まあ、そのままばったりと。そしたら、

起きてるときと同じ景色が見えるんよね」

私「どういうふうに?」

息子「視点は、こー、机に突っ伏してる感じね。で、前が見えるよね?で、視界のまわりに

白いもやがかかってるんよね。で、そのまま起きるわけよ。で、また眠くなりだしたから、今度は

右腕を上げてみたんだよね。で、そのまま寝ちゃったみたいで、自分の腕が机の前方に放り出されてるのが見えるんだよね」

私「で?それから?」

息子「それで目が覚めて・・・うーん、そういうことはそれ以来、もう無いね」


うーん。息子は今年14歳になりますが、

いままでそういうことは聞いたこと無かったですね~

聞いてみないと、わかんないことって、家族同士でもあるもんだなと思いましたです。


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義父の死の朝に見た天使

2015年06月22日 | ふしぎなこと
私は、義父母からただの一言も嫌味を言われたことが無い。

私だけではない。義父母は遠縁の人が病床にある時、

まだ乳飲み子だったその人の子を見たり、

近所の人たちへ晩のおかずを届けたりする親切な人たちだったのである。

私は義父母の優しさに感謝しつつも、なぜそこまで?と、不思議に思うことさえあった。


突然、義父は癌に倒れた。病の進行は早く、わずか四ヵ月後に義父はこの世を離れた。

告知は本人になされた。

それでも襖職人だった義父はわずかな退院期間にさえ、

昔なじみのお客さんの注文に応えようとしていた。


夫はよろめく義父を支えるように配達を手伝った。

私は義父がつらいとか苦しいとか言ったのを聞いたことがない。

病院の前で私が車で義父を降ろす時にさえ姿勢を正し

「ありがとうございました」と出来た嫁とは言いがたい私に笑顔でお礼を言うのだった。

その顔は黄疸で黄色く、

私のような者にさえかけるその思いやりのエネルギーを

すべて今は病魔に打ち勝つために向けて欲しいと思った。



「お義父さんは、苦しいと言いませんね」

義父が薬でうとうとしている時、義母に話しかけた。

義母は少し遠くを見るような目になった。

「おとうさんは若いころ結核をやってね。

周り中から結核がうつると言われて忌み嫌われた事があるんだよ。

それを乗り越えてきたのだから、とても心が強いんだ」

と義母は言った。


義父は若いころ、気性が激しかったらしい。

「今は仏さんみたいだけど、昔は今とは全然違ったんやで。」と夫は私に言っていた。


年齢のわりに丈夫な人で、体も若々しかった義父が

みるみる弱っていくのを見るのはつらかった。

心の中で私は

「なぜ、なぜあなたは助けてくださらないのですか、助からないまでも、

なぜ、あんなに良い人が病にかかったのですか」

と何度もどこか上にいると思っていた存在を罵った。

人のために力を尽くした最後がこれではあんまりだと思った。


義父はクリスマスイブの早朝にこの世を離れた。

危篤の報を受け、前夜親族が病院に集まったのだが

子供を寝かせるために私は一度帰宅し布団に横になっていた。

眠れない中、うとうとまどろんだ私は夢を見た。

白い衣を着た美しい女性が祭壇のある白い部屋にいて、

跪きながらバラの花を一本一本、床に並べていくという夢だった。

その直後、死去を知らせるメールが夫から届いた。



葬儀の朝、まだ誰もいない祭壇の前に安置された義父の顔は穏やかだった。

ルオーの絵を思い浮かべるくらいに。


人さまに迷惑をなるべくかけぬよう、

親族葬にしようと話し合って決めたのだが

葬列に向かう親族の一人を見かけた近所の人を始めに

やってくる人はどんどん増えていき、部屋からあふれた。

お年寄りに椅子をなるべく譲ったが、足りずに申し訳なかった。

気力を振り絞るように立ち尽くしている高齢の方もいた。

義父の棺の前で泣き崩れる見知らぬ方もいた。


その光景を見ながら私は、あの女性が置いていったバラの花は

義父が無償で人々へ与え続けた愛であり、

そしてその人たちがまたその愛を携えてやってきたのだと思った。


葬儀が終わって、雪が降った。

誰かが

「優しい人だったから、私らが安全に山を越えて帰られるように降らせないでおいてくれたんだ」

と言った。



義父母の親しい友人は私が不思議な夢の話をした時

「マリア様が迎えに来てくれたんかね」と涙ぐんだ。

義父は若い頃、結核にかかっていた時キリスト教を信じていた事があると

義母から聞いた。

私はもちろん、主人や義弟たちは驚いた。

義父からそれに関係するような言葉を産まれてこのかた一回も聞いた事が無かったのだ。

ただ、今でも信じていたのかどうかは、わからなかった。


義父亡き後、義母も私たちも呆然としつつ、

書類の手続きや、仕事に使っていた車の処分など後片付けに追われた。

自営業をしていたので、大量の襖の材料をどうするかという話になった。



私は夫や義母、義妹たちにも夢の話をした。

夫は黙って聞いていたが、

「それについて俺は今意味をつけたくない。

俺は親父の死は何だったのかをこれからずっと考えていく」と言った。

夫は今でも、義父の死について、納得はしていない。

私もクリスチャンは知り合いにいるが、家は仏教徒で、

クリスチャンというわけではない。

ただ、義父が人に与え続けた愛は、その分、死のとき、義父のところへ帰ってきて

義父を包んだのだと思っている。

義父の苦しみは、比較的、少ないものだったように思える。

そして、義父の近くには、いつも、誰かが付き添っていた。

やり手の事業家の義父の弟さんが、一番見舞いに来ていた。

若いころ、弟さんが無欲な義父をいろいろ言ったことがあるそうだが、

弟さんは、義父が目を覚ましていないときも、

ずっと、義父のそばにたたずんでいた。




長男である夫はよく、無欲で人のためばかりに奔走する義父母を心配していた。

サラリーマンの夫は休日に、義父の遺した仕事場で、

行灯を作り始めた。

木の端切れや、襖に使う丈夫な紙を見ているうちに思いついたと言っていた。


私も、自分にとっての義父と出会えた意味を考えたいと思った。

そして自分の今までの人生を振り返り、

いかに多くの血縁ではない人たちに助けられ今があるのかを思って愕然となった。


義父への感謝の気持ちは、容態がかなり悪くなるまで言えなかった。

死期が近づいていると思って欲しくなかったからだ。

危篤になってから、

やっと感謝の気持ちと義母の事は心配しないでくれという事を言うのが精一杯だった。



義父はすべての愛を出し惜しみせず、力いっぱい生きてこの世を去った。

その苦しみを誰にも言う事なく。

義父に伝えられなかった言葉がある。

お義父さん、あなたが私に教えてくださった事は、

愛とはどういうものなのかという事でした。どうかはるか上、あなたの場所まで届きますように。

あのバラの花は、あなたがわたしたちに置いてくれていった愛だったのだと、

そしてそれを、誰かがあなたの代わりに私たちに届けてくれたのだと

思えてなりません。





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印象を拾う遠隔透視(リモート・ビューイング)マクモニーグルの本

2015年06月21日 | ふしぎなこと
「FBI超能力捜査官マクモニーグルと「遠隔透視」舞台の真実」。

この本の収穫はやっぱ、

○情報は多ければ多いほど良い→NO。
○雑多な情報から、不要なものを削る作業&必要な情報を選択する作業が大事。

「たくさん得る」のではなく「そぎ落とす」作業が大切だと何度も述べられていました。

大切なことって、やはり何回も書かれている本がいいなと思います。

くどいと思う人もいるかもしれないけど、

私は「何回も書かれているから、ほんとうに大事なことなんだな」と納得するほうなので。


ということで、後者の目的(○雑多な情報から、不要なものを削る作業&必要な情報を選択する)を

達成するための練習方法も興味深かったです。

こういう方法って、前にも本当は読んだことはあったんですよね。

でも、そのバックグラウンドというか、

その方法を長年使用してきて、実績を上げている機関があった、と知っているのと知らないのとでは

私の納得度がちがうので、

この本に書いてある実績を読んだあと、そういう方法を読むというのは

とてもよく頭に入りました。

まず、左脳で「これは××に似ているな」とか思うのはNG。

印象を、印象のままスケッチするというのが良い。

視覚に頼らない。リモート・ビューイングは目で見ることではない。味、におい、肌触り、印象、

そういう微細な感覚を丁寧に拾っていく練習をするのが良い。

などなど・・・

また、「何を透視するか」ですが

時間は関係ないそうです。未来も見えるわけです。

そして、地図座標軸はもちろん、意味のない数字の羅列によって示された対象も

ちゃんと「見える」そうです。

その実例も、延々書かれていて

疑り深い私も納得できました

面白かったですよ^^


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焼き鳥テレパシー

2015年06月04日 | ふしぎなこと

とある昼のこと。

台所にいて、ぼーっとしていたら、突然「焼き鳥の匂い」が強烈にしてきました。

しかも、匂いは目の先、鼻の先、という超至近距離からしてくるのです。

でも、目の前には何も無い・・・

?????

誰か、焼いてるのかな?

玄関から外に出てみたりしましたが・・・どこからもしません。

夜、旦那が帰宅して、

「今日は絶対に焼き鳥が食いたい」

と、言ったのでした。

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背後の人、というのは・・・

2015年05月20日 | ふしぎなこと
色々いわゆる霊能者みたいな人に見てもらったことがあるんですが、

背後になんか、これといった人が見えないってことがあったんですよね。。。

今思うに、そのときは、自分が個人的なことで悩んでいるときでした。

悩みで頭がいっぱいだと、背後にこれっていう人が来てないみたいですね。

べつのときに見てもらったとき、自分に用事がなくて、他の人に用事があったりとか(汗)

ってことがありました。

それは十年くらい前、30歳なかばの霊能者の人に見てもらったときのことです。
というか、その人は知り合いだったんですよね。

今はもう、遠方に引っ越してしまったのもあって、連絡もつけることができてないんですが。

「母方のおばあさんが来ておられて、(私の)お兄さんを心配しておられます」

とか言ってましたね、その霊能者の人は。

確かに、兄貴、その頃不眠症とかにかかってたんですよ。

で、別に、父(実家の)の母、つまり父方の祖母も出てきて、

父を心配げに見ている、みたいなことも言っていました。

丁度、父が定年退職して、何をしていいのやら、みたいな時期でしたね。

で、母(つまり祖母にとっては嫁)のことを批判的にみているそうで、

やー、死後も嫁姑の確執って続くんですかね?まあ、話はそれだけで、

母は今日もわりと元気には生きてますが。



私には何も用件がないんかい☆とかは思いましたが、

まあー、ほっておいてもこいつは大丈夫だろうとか思われたのですかね・・・

だから、悩んでいる人を助ける、というより

なんかしようと思っている人の手助け、みたいな存在なのかもしれない。と

おもったんですよね

背後の人というのは・・・


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