☆Lorosae(太陽が昇る)ブログ☆

ロロサエという言葉は、東ティモールで使われているテトゥン語で、つまりは「日の丸」です。

「りくぜんたかたウェルカムバックツアー2016」 普門寺編

2016-02-07 22:07:35 | 旅行
2月7日 朝、陸前高田の街は、新しくできた公営住宅の向こうから朝日が昇り、明るい陽射しに包まれました。



写真は、キャピタルホテル1000からの眺めです。

この日は東日本大震災にて、陸前高田の方々を弔い、また、まだみつからない(判明していない)方々の身内の方々の心のよりどころとなっている「普門寺」と、ボランティアの方々の手伝いにより復活をとげた牡蠣の養殖をしている漁港の視察という内容です。

海辺の街では雪はありませんでしたが、普門寺周辺にはずいぶんと雪が残っていて、寒暖の差が一つの市内に明確にあることが印象的でした。



気仙大工さんの手によると思われる精巧な造り。

このお寺の中には、盛岡の女性が手掛けた、高田松原の海辺をモチーフにした祭壇と呼ぶのか、様々なかたちで陸前高田へ奉納された仏様が並んでいます。

真っ白い砂浜、雲の上。

悲惨な災害が起きた時、現れ、一瞬にして楽に天界へ導くという菩薩様と呼ぶのでしょうか、その姿の絵などが置かれています。



蓮の絵だけ、岩手の蓮めぐり用に撮影しましたが、仏像に関してはカメラを向けませんでした。



また、ねがい桜という、散らない桜に願いをこめた奉納品が祀られています。


もともとお寺というのは、世界中の取り決めというのか、何かあったときの避難所のような場所で、宗派を超えて助け合う場所になっていたりします。
なので、見知らぬ土地で疲れ果てて困った旅人が、お寺に泊まるという昔話があったりします。それが外国人であった場合、お寺は領事館などの役目をになったりしています

でも、津波があったとき、高台にあるこのお寺に、誰も来なかったそうです。
ほんのしばらくのち、福井県の職員さんたちが(さすが永平寺のある福井県)、手助けに来たとき、ここを宿としていたそうです。



亡くなった方々のご遺体を、最初は土葬される予定だったそうです。
でも、埋めるにあたって、土をならさないとならない。
そして、その人数は日に日に多くなり、千葉県より、こちらで火葬しましょうということで、
300名の方々が、千葉県の空の煙になっていったそうです。

お骨になっても、いまだ、DNA鑑定により、どこの誰であったのか、わかっていない方がいるそうです。

陸前高田という場所を知ったのは、たかたのゆめちゃんというキャラクターですが、東北の震災後、放射能の影響で、京都の大文字焼きに使われるはずだった松の薪から放射能の反応が出たということで、中止になったニュースはよく覚えていました。

自分の親戚がその大本になった地域に住んでいて、農家をしていて、放射能の影響で全部伐り倒すことになったことを知った頃だったので、関西の対応に腹をたてながら見ていたのを覚えています。

その大文字焼きにつかわれるはずだった薪の芯の方からは何の反応もなかったので、京都の学生さん達が仏像を彫ったそうです。そしてそれを、普門寺へ奉納したそうです。

そんな顛末があったことを、自分は一切知らず、その後の顛末に、興味を持たず過ごしていました。

参加してよかったと思いました。



以前より陸前高田を旅していて、蓮が咲くところはどこかにないかなと思っていたら、ここ普門寺に、平泉の蓮が咲くことを知りました。



まだまだこの日は氷の奥の蓮ですが、夏に、必ず、行ってみたいです。


津波の被害に遭われた陸前高田の方々と同じ数になりつつあるという仏像、そして、五百羅漢。



椿の花はまだ固いつぼみでしたが、多分きっと、3月11日には、花が咲くのだと思います。








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「りくぜんたかたウェルカム... | トップ | りくぜんたかたウェルカムバ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事