今日はまた曇り空の札幌。
「キャンドルナイト」な明日は雨だそうで。。。
昨年のキャンドルナイト日も雨だったかなぁ、
すっごい寒かったんじゃなかったっけ・・・、忘れちゃった。
まぁまぁまぁ。。。
えーと、
「チベット子供村支援」ご協力に、
はるばる遠方から、札幌近郊から、ご近所さま、
早速アクション頂きまして有り難うございます
また共感・賛同して頂け、大変心強く、深く感謝しております。
支援物資についてですが、
現地のコ達は、いま何を必要としてるか、
その時々で色々あるかと思われます。
ですから、「使えるんじゃないか」って可能性があるものなら
いいんじゃないかと思います。
これから夏の気候に入りますが、
TCVがある地域の気候は判りません。
ヒマラヤを越えてきたってことは、
親元に戻る人もいなくはないだろうし、
ほとんど着なかったて綿入りのブルゾンや
カバンなんかも送ろうと思ってます。
使いかけの鉛筆、ボールペン、ノート、(結局書かなかった日記帳)や、
マフラー、ブランケット、Tシャツ、帽子、靴、衣類
なんかでも構わないと思います。
まだまだ沢山の方のご協力を必要としています。
「ペン1本」からお預かりしておりますので、よろしくお願いします
子供たちが必要としている物一覧はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/lotusmoon/e/84cfb0d2c4a2cac2c17a2b962987b956
送られて困るもの
●新品の物でタグが付いているもの(関税が彼らに掛かります)
●電気製品(おもちゃ、カメラ、ラジオ、ゲーム)
●生もの ●缶詰類 ●お菓子類(溶けにくいチョコレートはOKです)
●壊れているもの・古すぎるもの
●高価すぎるもの ●高価な装飾品
●派手な服 ●禁制品
お問い合わせは、Lotustyle
lotustyle☆palette.plala.or.jp(☆を@に変えてお願いします)
「チベット子供村支援」サイト KIKU
http://www.tsg-kiku.com/
気持ちいい一日でございました。。。
明日も是非この調子でお願いします
ちゅうわけで、
明日は定休日でございます。
ちなみに明日は、
アカシックレコードと、龍との会話を試むdayを楽しむで
なんつって。。。
募金とかします?
赤い羽、緑の羽、
どこぞの店のレジ横、どっかの団体、
24hとか被災地へという番組、
寄付金を募る処はゴチャマンとありますね。
ボクも若い頃は何度か募金したことありますよ。
手近にある善意行動だと信じて。
でもね、疑問が湧いたんです。
このお金さん、回収された後何処に行くんだろうって。
自分の気持ちから出て形となったものが、
その気持ち通りに使われているんだろうかって。
そんな疑問持ってると、不思議と答えが返ってくるもんで、
募った趣旨と違うところで使われてたり、
横に流れたり使われてなかったり。。。
募金した意味ないやん!
やたらめったらするもんじゃぁないすね。
そんでも、やっぱり心の奥底では、
“何か役に立てる事はないのか”
“困ってる人に何か出来ることはないのか”って思うじゃないですか。
そこに朗報ですよ。
自分にはもう必要性がない又は薄いもの、
下手すると、有料ゴミとして出す羽目になるもので、
とっても喜ぶ人がいるっていうんだから嬉しいじゃないですか。
それで助かる子供たちがいるんですよ。
そんな気持ちのいいことしてみませんか?
ちょっと、
ご自分の周りを確認してみてください。
ボールペン、そんなに何本も要ります?
ずーと使ってないノートとかありません?
シャープの替え芯とか何個も持ってません?
買ったけどほとんど着てない服とか、
ちょっと気恥ずかしくて着れないものとか、
靴下とか、下着とか、
とっといても、きっと着ない(使わない)んだろうなぁって物
誰にでも一つはあると思うんです。
それ、
どうせならチベット子供村支援に出しません?
部屋も片づいて綺麗になるでしょ?
誰かが喜んでくれるでしょ?
そんな気持ちいいことしてみません?
いまいちど、引き出しとかボックスの中を覗いてみて!
子供たちが必要としている物はこんなものです。
・ノート ・えんぴつ(HB/B/2B) ・えんぴつ削り ・けしごむ
・クレヨン ・色鉛筆 ・ボールペン ・定規
・チョーク、黒板消し ・便箋 などの文房具。
・比較的綺麗な古着 ・新品,未使用の衣類 ・下着類(新品,未使用品)
・紙おむつ(新品,未使用品) ・靴下類 ・靴 ・運動靴
・手袋 ・帽子 ・ハンカチ ・ティッシュペーパー
・ゴム手袋(洗濯用) などの生活用品。
・サッカーボール ・なわとび ・ぬいぐるみ ・折り紙
・絵本(英語、日本語)・小説(英語、日本語) などのお楽しみ用品。
そして、「励ましの手紙」。
またこれらに付随する物もいいと思います。
例えば、バンダナとか、はさみとか、ポーチとか。
高校生から小学一年生までの男の子と女の子が使うようなものでしたら、
壊れてなく、穴も空いてなければ大丈夫だと思います。
(bBさん、片方になった靴下もOKと思われます)
ご協力頂ける物がありましたら、Loustyleまでお持ちください。
札幌市中央区南2条西7丁目1番地 2.7ビル1階
Tel&Fax 011-398-6242
送る場所は、「ダラムサラ・TCV」。
http://www.tsg-kiku.com/tcv/sending.html
船便で送ります。
大き目のダンボール10kg位とすると
船便で5~6000円程度かかるようです。
できましたら、
100円でも500円でもお気持ち頂けますと大変助かります!!
また、私の趣旨に賛同頂けた方で、
わざわざ新しいものを揃えてくれようとされる方は、
ぜひ送料の面でご助力くださいませ
お問い合わせは、
Tel&Fax 011-398-6242
もしくは、
lotustyle@palette.plala.or.jp まで。
※念のためお断り。。。
「チベット子供村支援」に関しまして、
私個人が、個人レベルで出来る範疇で行おうとしております。
近所の子供に、「これ、使わないからあげるよ」のようなものです。
また、この行動は『気持ち』から出ており、
それ以下でも、それ以上でもございません。
ご賛同・ご協力頂ける方と同じ立場でございます。
ご理解、ご承知下さいますようお願いいたします。
でもさ、
今までゴミ袋として使ってたビニールとかさ、当然余るよね。
綺麗な状態だからとっておくでしょ?
けど、いずれ捨てらさるよね きっと。
ゴミ袋のはずだった残りの袋がゴミになる。
買い物した時の紙袋とか、お土産入ってた袋とか、
余計にゴミが増えるだけだと思うんだけどな~。。。
どない 思います?
自分の足下や身の回りにある、
明日にはゴミになるかもしれない物たち、どうしましょ。。。
ほんで、ここから本題になります。
しばらくお付き合いください<(__)>
アカシックレコードをサーチしていたら、とあるHPに辿り着き、
やけに目に付く一項目がありました。
KIKU
チベット子供村(TCV)の支援
菊池さんと久保さんのお二人からなる「KIKU」。
『1998年6月に、初めてダライ・ラマ法王に直接お会いする機会を得て、
猊下から「思いやりの力 Power of Compassion」のお話を伺って感動しました。
その後、チベット亡命政府のあるダラムサラのTCV(チベット子供村)を訪れ、
小さな子供達の寄宿生活の様子を知りました。
子供達は、ヒマラヤを着の身着のままで歩いて越えて来たといいます。
寒さのため凍死した子供もいるといいます。
そんな危険を冒してまで子供たちだけを、
中国領チベットからインド・ダラムサラに亡命させるのは、
チベット語の禁止、ダライ・ラマ法王の写真所持の禁止など、
チベット文化・伝統を根絶やしにしようとする
中国政府の信じがたい圧政から、
せめて子供達だけでも救いたいという
親たちの切ない願いからだと知りました。』
(KIKUについてから転載)
http://www.tsg-kiku.com/about.html
そして、
「なんとかこの子供たちの支援をしたいとの想いで、
チベットサポートの活動を始めた」そうです。
ボクの目に留まったのは、「TCVに物資を直接送りたい方へ」。
TCVでは子供の数が増えつづけているために、
私たちの生活からは想像できないほど本当に生活物資が不足しています。
切実な想いがこめられた言葉とは別に、簡潔にまとめられた文面。
でも愛情が伝わってきました。
なにかがボクを放しませんでした。
だからといって、ボク一人のものを集めたところで、
たかが知れています。
それでも、
一個人が出来る範疇でいいのか。。。
子供たちが取り合いにならないように、
同じ物が複数あった方がいいのか。。。
メール してみました。
返事はその日のうちに帰ってきました。
(以下返信抜粋)
親元を離れてヒマラヤを越えてきた子供たちは、
大家族で共同生活をしています。
上は高校生から下は1年生まで男女いっしょのホームで
ハウスマザーを助けて生活をしています。
物資はぎりぎりですので、大抵のものは役に立ちますが、
日本の電化生活物資は役にたちませんのでご配慮ください。
気持ちで、できる範囲で結構です。
参考までにホームには15人づつ30人の子供がいます。
逆にいっぺんに大量にもらっても彼らも困りますし、
場合によってはインドで関税がかけられ
彼らが払うことになってしまいます。
ま、できることからぼちぼちやってみてください。
よろしくお願いします。
アバウトなのか、懐が深いのか。
強要しないどころか、せっつきもしない。
無理せず、自分の出来ることをすればいい。
このスタンスにまた感銘を受けてしまったのです。
continue
神宮祭行きましたか~?
山車が練り歩いてたのは見ましたか~?
山車って書いて何て読むか知ってたら教えて~
チョキとパーだから、グーはお休みですよ~
なんのこっちゃー!
なんのこっちゃー!と言えば、
あと二週間立つと一般ゴミも有料ですよ~
キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!!
我が札幌市、「市民が主役のまちづくり」を公約に掲げていた
我らが「上田市長」がお決めになったことです
いいですね~
さすがですね~
不祥事も横領もバス問題も何も関係ありません
自分たちが出すゴミは自分たちで負担すべきです
かっちょいー
しっかりと覚えておきましょー(・∀・)人(・∀・)
選挙の際は忘れずに
( ̄ー ̄)凸
そういうこってす、はい。
んで、もう捨てるなら今のうち。
やっぱ そうなっちゃいますー?
そうなっちゃいますー。
捨てるには惜しいけど、もう着ない服とか どします?
つづく。。。
精神的鍛錬も
肉体的鍛錬も
いらない
むしろ、
何か特別な鍛錬や修行が必要なんじゃないのか!?
という かしこまった気持ちを手放しリラックスした方が
楽にアクセスできるようです。
例えば、私たち誰もが「電源を入れるとテレビがつく」事を、
当然、常識、は? くらい当たり前のこととして受け入れてますよね。
何も考えず、全く疑いを持たずに。
それと同じ事だそうです。
それくらい単純に位置づけていいようです。
アカシックレコードは、
それだけ簡単に、誰にでも読めるもの。
なんですって
さぁて、
何を見たいですか?
過去でしょうか、未来でしょうか。
未だ見ぬお相手でしょうか
うふ。。。
ぬおぉぉぉぉぉぉぉぉ。。。。。。。
・゜・(つД`)・゜・シクシク
三沢光晴さんをご存知でしょうか。
プロレスリング・ノアの社長、
2代目タイガーマスクといえばお判りなる方も多いかと。
その三沢さんが・・・。
『13日、広島県立総合体育館で行った大会で、
三沢光晴さん(46)が試合中に相手の技を受けて頭を打ち、
病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。』
(スポーツ報知より)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20090613-OHT1T00250.htm
言葉がでません。。。
三沢さんは埼玉県越谷市出身となってますが、
「1962年6月18日 北海道・夕張市生まれ」なんだそうです。
知らなかった。
Mitsuharu Misawa - Spartan X NOAH Version
橋本真也さんと仲良く。。。
降水確率80%とかなってたよ
北海道神宮の宵宮祭に行くのに、
人いっぱいで傘さしてじゃ歩けないじゃないかぁ
どうぞ、夜は晴れますように(ー人ー)なむなむ。。。
アカシックレコードに手を伸ばしちゃったのは、
どこのどいつだ~い。
わたしだよ。 (なつかしな~)
いや、前々から興味はあったのですよ。
まだね、そんときはね、
“へぇ~ふ~ん、そんなのもあんだ~”ってもんだったし、
今になってみると、自分には無理なんだろうな
なんてのがどっかに少しあったような気がする。
でも、昨日upした記事を読みながらイメージしてったらさ、
なんか肌のすぐ外と内側がさ、
泡あわネットで作った洗顔フォームのアワで
“もよん、もよん”ってされた感覚と、
体が軽く?意識がどっか行っちゃった?な感じがあって、
「あれ。おいらって、できんじゃね?」
「なんだか、行けそうな気がするぅ~」みたいな。
おふざけはさておき。。。
そもそも、「アカシックなんたらって何やねん?」てな話ですわな。
簡単にいうと、
過去、2億6000万年前から、
これから2万6000年までのすべての情報がつまっている
データバンクとか言われる記録保管場所のことです。
そこには、万物の生命の記録があり、
輪廻転生の旅を通し、体験を通し、行為を通し、
自己の向上発展のために生命的実体が築き上げた
すべての領域が含まれているそうです。
「宇宙に存在する意識のネットワ−クであり、人類の集合意識そのもの」が
<アカシックレコード>。
しかしまぁ、これからの情報があるってことは、
そこに行けば未来を知ることは可能だっちゅーことすよね。
ふぅ~ん、って感じでしょ?
<アカシックレコード>は巨大なコンピュ−タに例えられ、
その端末が私たち一人一人。
今これを読んでいるあなたも、書いてるワタクシもそのうちの一人。
インタ−ネットと同じように誰でもアクセスが可能。
そのアクセスキーが昨日の記事にあるなワケですわ。
誰でもアクセスできるのよ、
しかもタダよタダ、無料なのよ!
面白いじゃな~い。
誰もね、「私には霊感とかそういうのぜんっぜんないの」て言うけど、
誰しもが持っているのですよ。
知らず知らずのうちにシャットアウトしてたり、
必要としなく生きてきたから、自身の奥底で眠ってたり。
でも、たまにその一部がブワって出てくるのが、
“ひらめき”“勘”とか“胸騒ぎ”とか、
「あの人どうしてるかなぁ」なんて思ってたら連絡があったりとか、
電話の音で「○○さんからだ」と直感が働いたりとか。
ほら、けっこう身近にあるでしょ?
それを、
そういうものとして認識するかしないかでまた少し違うんでしょうし、
意識するかしないかで更に違ってくるようです。
自分を知る、自分を磨く、意識する=幸せになる一番の方法だとも思います。
かく言うアタクシも新人なんで、
皆さんと何ら変わりはございません。
そうしたいと心を決めたか否かってとこでしょうかね。
本当のことを知りながら、
地球のため~とか、困っている人のため~って、
自分が出来る範囲で行い始めていくのがいいんじゃないかなと。。。
アカシックから逸れましたけども
そんなこんなで、ひとつ
自分が出来そうなことかもしれない事を見つけたので調べてみようと。。。
もし、ご協力頂けるようでしたら、
もう着ない衣類なんかをばチェックしてみて頂けませんか?
詳しくは調査が済みましたら報告いたしますので
今日は寒くて、ストーブつけてます
アカシックレコードでの体験をしたい、という「意図」
これがアクセスキー鍵となる。
実際には、誰もが日常のあらゆる場面で
アカシックレコードからの情報を受け取っている、らしい。
しかし 大抵の場合、意識の上で認識されることはなく、
夢を思い出せないのと似たようなものとなり記憶から薄れていく。
アカシックレコードからの情報を日常生活に活かすためには、
意識的にレコードにアクセスする必要がある。
そしてアクセスキーを使い、
ありとあらゆる「判断」を手放し、
「観察者」という立場でアカシックレコードに入ることで、
自由にレコードの中を探求できる仕組みになっている、そうだ。
「判断」と「観察」の違いは・・・。
花瓶に花が生けてあるのを見たとき、
「花瓶に赤くてきれいな花が生けてあります。」
と言えば「判断」。
「花瓶があります。花が生けてあります。赤い花です。」
とすれば「観察」。
その花がきれいかどうかは個人の主観であり、
個人の趣味趣向によって異なり、誤差を生じる元となる。
「判断」はレコードから出た後でゆっくりできるので、
まずは「観察」すること。
これがコツ、だ。
如月マヤへのロングインタビューより、私レポート。