ありがとうのブログ

毎日、家族や仕事関係の人たちとのふれあいで感謝していることをつづります。

自分の過去を振り返る4

2008年09月28日 20時52分56秒 | Weblog
アルバイトは、時給が良い、家庭教師と塾の講師が平日夕方以降と土曜の午後。平日の午前は、大手電力会社の本社で印刷の仕事をお手伝いしていた。

家庭教師は、当時大手の教育関連会社の部長の息子さんを見ていた。
お宅に伺って、賢そうな小学校6年生の息子さんは、学力では良いのだが、人間関係で辛かったようで、年下のいたずらっ子からいじめを受けていた。
私との時間は、癒しと笑いの時間だったようで、私が来るようになって、元気に学校に行くようになったと喜んでいただき、そのご家庭で豪華の夕食を週に3回、いただいていた。
そのお母様も私の話を聴いて元気になっていたような気がする。
日頃、栄養価が低い食事をしていたので、そのお宅での肉や魚、野菜たっぷりの夕食で活力をいただいていた。ありがたかった。
塾では中学1年生を担当し、英語と国語を担当していた。
しかし、少人数スタイルでの塾運営は採算が厳しいと思ったら、閉鎖になった。
当時時給千円以上のアルバイトで、ようやく生き延びていたので、カレー屋さんのウエイトレスも始めて、そこでも出会いをいただいて自分の今ある姿に影響を受けた。

カレー屋さんの社長は、大手電力会社の組合幹部を出て、大手電力会社の下請けをしていた。多角的事業を行っていて、当時100人ほどの社員がいたように思う。
その中のアルバイトである私をよくみて、「あなたは人を使うような仕事をするようになる」と目をしっかり見て語った。私は特別扱いを受けて、その社長は私をたまに食事に連れて行ってくれるのだが、お姉さまたちがたむろうお店にも行くので、私は閉口した。おしゃれではないジーンズ姿できらびやかな服装の女性たちがいる店にはそぐわないが、その対応でその社長は、お店の踏み絵にしていたように、今は感じる。
その会社の幹部は、私にその社長の彼女になれば、苦しいアルバイトなんかせずに楽に生活できるのに、と忠言していたが、私は、愛人になんかなったら、一生だめだと思い込んでいた。当時、仲良くしていたBFもいたので、社長のお世話を受けるようなことは全く考えない。
そして社長自体、そういう私だから可愛がってくれていたと思う。すぐに楽な方向に行くなら、他の女性と同じだと思って、きっと愛人にしないだろう。

いろいろな出会いに感謝。


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