今朝、今日は外へ何か食べに行こうか、と息子に声をかける。
特に自分の誕生日とは言わずに、軽く声をかけると、不機嫌に、私と一緒に食事するのは嫌だという。
傷つくが、虫の居所が良くないのだろうとスルーする。
夜、息子が好きなメンチカツを作って、私が食べているところへ、「腹が減った」と同じテーブルの隣に座った。
「なんで一緒にご飯食べるのが嫌なのかなあ」
「私の何が嫌いなのかなあ」
「そういうことを聞いてくること自体、イライラする。話をしたくない」
ため息が出る。
こういう息子に育てたのは、私なのだ。
ちょっと悲しくなるが、息子にも言い分があるのだろう。
それは私には理解できないし、言ってこない。
漠然と、何気ない会話がつまらないという。
誕生日だというのに、寂しくなってしまった。
Facebookでは、友人たちや教え子たちから、優しいお祝いの言葉がくる。
それだけ今日あるのだから、いいじゃないかと今日は気持ちを治めることにした。
こういう悲しいことがあるから、嬉しいことを感じる。
息子の態度には、何か意味があるんだろう。わからないけれど。
すべてに感謝。
特に自分の誕生日とは言わずに、軽く声をかけると、不機嫌に、私と一緒に食事するのは嫌だという。
傷つくが、虫の居所が良くないのだろうとスルーする。
夜、息子が好きなメンチカツを作って、私が食べているところへ、「腹が減った」と同じテーブルの隣に座った。
「なんで一緒にご飯食べるのが嫌なのかなあ」
「私の何が嫌いなのかなあ」
「そういうことを聞いてくること自体、イライラする。話をしたくない」
ため息が出る。
こういう息子に育てたのは、私なのだ。
ちょっと悲しくなるが、息子にも言い分があるのだろう。
それは私には理解できないし、言ってこない。
漠然と、何気ない会話がつまらないという。
誕生日だというのに、寂しくなってしまった。
Facebookでは、友人たちや教え子たちから、優しいお祝いの言葉がくる。
それだけ今日あるのだから、いいじゃないかと今日は気持ちを治めることにした。
こういう悲しいことがあるから、嬉しいことを感じる。
息子の態度には、何か意味があるんだろう。わからないけれど。
すべてに感謝。
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