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*村ちゃんの歴史ぶらり旅!     *美濃伊木山城! *岐阜県各務原市編!

2018-03-01 | Weblog

伊木城・北側・登り口

 

     

伊木山登り口   登り口説明板

 

   

説明板         登り口

 

    

登り口            説明板

*伊木山城跡!     

住所=岐阜県各務原市鵜沼1492-1

  木曽川の北岸に横たわる「伊木山」は、別名「夕暮れ富士」とも呼ばれ、

  川面に映える美しい山容で有名です。

  山頂(標高173m)からは木曽川を眼下に濃尾平野を一望し、

  西方は岐阜城を遠望する戦略的に重要な地でもあります。

  この伊木山には、戦国時代の永禄八年(1565)、

  「織田信長」が美濃攻めの際に城を築いたとも言われていますが、

  江戸時代に書かれた「美濃雑事記」には、「伊木長門守正久」が、

  天正年間(1573~1591)に居城していたとされ、あるいはまた、

  濃陽志略」という書物では、「池田信輝」の家臣「伊木清兵衛(正久の子)が、

  城を築いたと記されています。

  こうした伝承・記録から、築城や廃城の時期は不明ですが、

  伊木城は江戸時代に「池田家の家老をつとめた「伊木氏」の、

  伊木城あったことがわかります。

*伊木氏は、木曽川を基盤として活躍した一族で、

  こうした豪族たちは「川並衆」と呼ばれていました。

  木曽川の水運と多くの配下を掌握して勢力を振るった伊木氏は、

  のちに「織田家」に属して各地に戦い、戦国時代を生き抜いて行きました。

  現在、城跡と推定される遺構は明らかではありませんが、

  かつて頂上には東西六間(約11m)南北四間三尺(約八m)の、

  石垣台形(天守台)がありました。 

*各務原市教育委員会 説明板より。

 

*伊木山城(伊木山ガーデンより遠望)!

*美濃伊木山城! 

 住所=岐阜県各務原市鵜沼丸子町3-15(各務原森の駅・伊木山ガーデン)

     伊木山にあった「伊木山城「砦」も対岸の犬山城(国宝)と鵜沼城(城山)

 とのつなぎの城として、重要な働きをもつていました。  

 永禄七年(1564)織田信長は、東美濃へ攻め込むための足掛かりとして、

 この地に攻撃し、勇将・「大沢次郎左衛門(鵜沼城主)を中心とする

 「斉藤(美濃戦国大名)方の抵抗にあい苦戦しました。

 そこで「織田信長」は策略家であった家臣「木下藤吉郎・(後の豊臣秀吉)」に、

 鵜沼城と、伊木山城(城主・伊木清兵衛」の攻略を命じました。

 松倉(川島町)から「摩免戸・(前渡)」へ進軍した「木下勢」は、

 摩免戸(前戸)で二手に分かれ、一隊の「蜂須賀隊」は木曽川ぞいを

 通って伊木城へ向かいました。

 この隊の「蜂須賀小六」は「伊木清兵衛」と親しい間柄であっため、

 木下藤吉郎の書状を見せて、本意を伝えることで、戦わずに伊木勢を木下勢に、

 引き込むことに成功しました。摩免戸(前戸)から内陸道を通って進軍していた木下隊は、

 幅上(鵜沼羽場町)で、この知らせを受けたとされています。 

 その後、勢力の衰えた大沢勢は木下勢に攻め落とされました。

 この地域を制した「織田信長」は、伊木山山頂(173m)を、

 美濃や尾張地域の見張り場としていた。