*旧東海道・二川宿・本陣跡!
住所=豊橋市二川町字中町65
本陣跡碑 本陣資料館前
*二川宿の遺構は、江戸時代後期の文化4年(1807年)から約60年間、
本陣をつとめた「馬場家」の遺構で、邸内には江戸時代の土蔵屋、主屋、玄関棟、
表門が残っています。
二川宿版画 版画
旧東海道 脇本陣跡
脇本陣・説明板 東駒屋・味噌・醤油業
*脇本陣は本陣の利用が重なった場合、その補助的な役割を果たしました。
その格式は本陣に次ぐものであり本陣と同様にその経営な宿場の有力者があたり、
二川宿の脇本陣は「松坂家」がつとめいました。
文化4年(1807年)以前にはこの地に後藤家・紅林家の本陣がありましたが、
文化4年(1807年)、本陣職が「紅林家」から「馬場家」に移った際に、
本陣建築のため、こと街道の南側にあった脇本陣ほこの地に移りました。
(東海道五十三次中33番目・二川宿・広重画)
*豊橋市二川町と大岩町は、江戸時代に二川宿として、東海道五十三次中、
33番目の宿場が置かれていました。
本陣と脇本陣各1軒、家数306軒、人数1289人でした。