*稲沢あじさい祭り(性海寺)!
住所=稲沢市大塚南1-33
性海寺アジサイ 案内板
性海寺・碑 山門
*性海寺は、弘仁年間(810年~823年)空海が熱田参詣の途上創建したと伝
える。健長年間(1249年~1255年)「多宝搭」などを建立し再興した。
弘安三年(1280年)には蒙古再襲来に備えて中興第2世「淨胤」が勅願によ
り、異賊調伏の祈願を行っている。
江戸時代には尾張藩初代「徳川義直」をはじめ代々の藩主より寺領を寄進された。
(稲沢教育委員会)説明板より
本堂 多宝塔
多宝塔案内板 大塚古墳前案内板
*性海寺 本堂及び宝塔 二棟 鎌倉及び江戸時代(重要文化財)
付旧須弥壇擬宝珠 四個
本堂 桁行間 一重柿葺 入母屋造 唐破風向拝
慶安年間(1648年~1651年)の再建されているが、内部の來迎壁並びに、
須弥檀は鎌倉時代末。 天井の大半に鎌倉時代末の格天井を使用している。
宝搭 総高二六三センチ、搭身径七七センチ、蓮弁の台座の上に勾欄があり、
軸部の上に亀腹があり、十二本の円柱を立て、和様の斗栱を組む。
屋根は柿葺を模した板葺。 昭和四十四年六月二十日 (重要文化財指定)
*性海寺 多宝塔!(重要文化財) 一基 付棟札三枚 (室町時代)!
三間多宝塔 銅版葺下層の四方に廻縁があり中央の間は板唐戸を方立に取り付け、
脇の間は盲連子窓に腰羽根板、組物は和様出三斗に軒支輪があり、
中央の間にのみ絵様を入れた蟇股があり、頭貫には天竺様の来鼻がある。
上層は円柱十二本の上に四手先の斗栱をおき、勾欄腰組の平三斗とともに、
唐様である。 明治三十六年四月一五日 (重要文化財・指定)
大塚古墳上より 公園内
公園内 公園内
*大塚古墳! 一基(稲沢市指定史跡)
幅七m、深さ一mの周溝を伴う円墳で、本来の高さは五m程あったが、
墳丘上層部は中世以降の盛り土で、歴史公園整備の際、保護のたに、
さらに土が盛られた。
出土した円筒は埴輪・きぬがさ形埴輪から、古墳時代中頃に三宅川の灌漑権・
水上交通権を、把握していた豪族の墓と推定される。
昭和五十八年十一月一日指定
(稲沢市教育委員会)説明板より。
説明板 アジサイ
公園内 東屋
(稲沢あじさい祭り幟旗)
(公園外側北側)
(稲沢アジサイ祭り幟旗)
(公園外東側)
性海寺多宝塔一基
(重要文化財)室町時代